スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

近代産業の発展とゴールドラッシュ

どこから話を始めるべきかかなりの日数を費やしました。アマチュア局と雖も、無線交信をやる以上は、電波法令、就中、無線局運用規則は守らなければなりません。その第14条には、無線電話通信の業務用語の詳しい国際的に通じる略号と欧文発音の通話表まで規定されています。特にアルファベットと、数字の発音とアクセント(強調すべき強音)の位置についてまで、別表第5号の1及び2に表に傍線で示されています。ところが、日本のアマチュア無線連盟が発行する書籍抄録のたぐいにも欧文通話表はありますが、肝腎の読み方的発音フリガナやアクセントが省略され、法令集抄録では数字の表、別表5号の2がまるまる省略されてしまっているではありませんか!
私は、昭和24年秋からの短波リスナー、それも、たまたま駐留軍の"ジッゲェボー"コールサインのアマチュア無線の電話を聴いたのが短波ラジオを作って受信した最初の声だった事もあって、海外放送受信もしましたが興味の主体は初めから此の「ジッゲェボー,,,」にありました。そのジッゲーボーが、J .Aを言い表す通話フォネチックスというモノで、
AはAble、JはJig、従って、JAというコールサインのアタマはみな、「ジッゲーボー」と米国発音されているのだと、当時の無線雑誌ではじめて知りました。JA0IJ QSL CARD
この記事の中で、気をつけて聴いてみなさいと特に書いてあったにが、数字の「9」で、学校で習うナンバーナインではなくて、ナンバー9は「ナイナー」と発音するのが無線用語として、国際的に決まっていると書かれてありました。実際、無線局運用規則の別表第五号の2数字の表には、9 ナイナーと規定されています。7,8,9,0,はセヴン、エイト、ナイナー、ゼロ、というわけです。この無線用語「ナイナー」はどこから来た言葉か、お判りでしょうか、当時の無線雑誌の記事の著者がどなただったかは忘れましたが、ヘンリーフォンダ・リンダ・ダーネル主演の、西部劇カラー映画[my darling Clementine]がいずれ日本でも公開されるだろうが、その主題歌を良く聴いてみなさいと教えてありました。myda2.jpg
日本で、西部劇は見るが米国の歴史などはクソ喰らえだという様な映画人が、此の主題歌を訳詩するとチョイとおかしくなるのが1番の歌詞です。
Lyrics Oh My Darling, Clementine をwikipediaから引用してみましょう。

In a cavern, in a canyon,
Excavating for a mine
Dwelt a miner forty niner,
And his daughter Clementine

Oh my darling, oh my darling,
Oh my darling, Clementine!
Thou art lost and gone forever
Dreadful sorry, Clementine

ここで問題は、歌詞の3行目、「forty niner」 がそれですね、峡谷の洞穴にクレメンタインという娘と住んで掘っている49年者の坑夫がいました。1849年は大変な年だったのです、米国は!この49ersを、「49才の」と訳した日本語の歌詞が多いですが、間違いです、49年にカリフォルニアにやってきた食い詰めモノぐらいの意です。
その前年、1848年に米国は、メキシコからカリフォルニア州を金銭トレードで買い取りに成功しました。ところが、ここに移り住んだ、スイスからの入植者が、川に水車小屋を立てようと、お抱えの大工さんに、川岸に水車小屋を作らせ、大工さんが水車を作って、川に入って水車を取り付けようとすると、足に光る砂金がまとわりついてくる。川底を掘ってみるとまるで砂金の山。水車を作らなければもっと後でしか見つからなかったでしょうが、砂を洗う笊を町に買いに行った召使いが何に使う笊がいるのかと問い詰められて、どうも砂金が出たらしいと云う噂が漏れて、一気に広がる。中部・東部で食い詰めていた連中が、なけなしの全財産はたいて、カリフォルニアへとはせ参じたのが、1849年のゴールドラッシュ、1848年末の大統領の教書発表にまで、メキシコから譲り受けたカリフォルニアでは金が出たようだと、やったからたまらい。大騒ぎになった。一週間を経ないうちにこの川の中に、1万人が、笊を手に入ったという。

米国の鐵鋼工業が、カスケード滝の大型水車を動力に利用して、どうにか、汽車のレールの連続生産に成功したのが1842-3年頃、未だ汽車は、1810年代に成功したフルトンの水車式蒸気帆船での舶載輸入のヨーロッパ製のレールを使ってシカゴ辺りまでがやっとの時代。
SS_Sirius_(1837).jpg
産業革命は、英国では、ゆっくりと、18世紀の初めに炭坑の水汲みにニューコメンの往復動蒸気ポンプが発明されていたが、未だ効率の悪いモノで、馬や人力によるポンプ汲みが主流であったのが、18世紀末に、ワットが、弟子達の発明の弾み車の採用と、復水器による蒸気機関の完成に成功、漸く、毛織物工業が水車動力から脱出、紡績機も織機も殆ど職人無しで運転できるようにはなっていたが、大がかりな工業力というにはほど遠かったのです。しかし、米国ではこのカリフォルニアでのゴールドラッシュ、金鉱の大当たりは、潤沢な銀行資金となって、米国の産業革命の主流、南部の綿花の織物への工業化を促し、さらには、改良蒸気エンジンの大型化による鉄鋼工業の大型化に寄与して、僅か6-7年で、汽車のレールの大量生産に成功、汽車の線路が西へ西へと延びていく。WesternRailwayScreenshot01mc.jpg
49ersの年から10年ちょっとで、カリフォルニヤから、オレゴン州にまで伸びる、更に1860年代半ばにコロラド州に伸びた汽車の線路の鉄橋の工事現場で川の中に這入った作業員が川底に砂金を見つけ、一騒ぎが起きる。もう工業技術の革命は、イギリスを抜いて米国が技術でも、経済規模でもイギリスに大きく水を空けてしまったのでした。
ところで、クレメンタインの運命や如何に,,,,毎朝9時にはアヒルに水を呑ませようアヒルを連れて、峡谷を下っていくのでしたがある朝、木の切り株に躓いて、渦巻く激流に転げ落ち、儚く逝ってしまったのでした。可哀想なクレメンタイン!僕ちゃんはナント、クレメンタインのちっちゃな妹にキスしちゃったから、もうクレメンタインは忘れたよ!だって。ナンとも米国的な!コレではクレメンタインちゃんは文字通り浮かばれないじゃないですかァ!
スポンサーサイト

テーマ : アメリカ生活 - ジャンル : 海外情報

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。