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北斎とコンパス?!

2010年4月17日TVの「美の巨人達・葛飾北斎」とかで、この稿で話題にする、中村英樹先生が出演、葛飾北斎が、80才頃から版画浮世絵を離れて「為一卍」(いいち・まんじ)の雅号で盛んに量産した肉筆画の中でもとりわけの極め付きといわれる名画「「月見る虎図」の放送があったそうですね。残念ながら見落としました。その「月見る虎図」を掲げておきます。c0173882_9254148月見る虎図mcdanso.jpg
この中村英樹氏は、1965-69年頃、美術出版社が一般から公募した、美術評論に応募して入選、その一本筋の通った、評価眼の基に触れた論説で、一躍脚光をあびたのでした。
その後著された「視覚の断層」は、また面白いホンだと好評だそうです。(表紙掲出)
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甚だ旧聞に属しますが、20年前の学士会誌にこの中村英樹氏が、「90年代の日本に『美術』は有効か?」を寄稿して居られその中で、美術史的に見て、此の北斎が1820年代の初め、文化・文政時代の画壇に投じた『富嶽三十六景』の早描き出版(版画名所繪)の謎解きとして、北斎は、既にその十年前、浮世絵師になろうと決意した頃までに、当時の町の大工が使うのを見かけて知ってか『分廻し(ぶんまわし)』の使い方を自習して、作画構成に利用出来そうと言う見当を付けていたのではないかという想定で、たとえば富嶽三十六景のうち『神奈川沖浪裏』のあの奔放な構図は、『分廻し(コンパス)』を使いまくって、描き出されているのに間違いあるまい、との解説をされています。
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この解説図を見ようと、私の蔵書を探しましたが、北斎の転居九十三カ所には及びませんが、、国内海外合わせて約60カ所の転勤転居の為に残念ながらこの原本は失われていました。幸い、二十二年前、フランス在勤中に始めた手書きパピーニュウスにこの解説図のコッピーを引用していましたので、DF2CW 壱岐サンからお借りしたそれからの孫コピーで再生してみました、見づらいことお許し下さい。

現代の学校教育で、コンパスの使い方や、絵画に利用するような教育はどの程度なされているのでしょうか?、、私の知る限りでは大工道具の歴史上も、江戸時代の末期、文化文政の頃からのいわゆる化政文化の花開いた頃が、大工道具の分化が最も進んで、種類と数がその歴史上で最も多いのですが、明治になって以降、徒弟共が腕に職さえつけば、細かいところまでは気を遣わない風潮に流れて、大工道具の種類がどんどん先細りになっていったようです。分廻しが大工道具の範疇に一般的に現れたのは奇しくもこの文化文政の頃で、○を書くことの他にも、所謂『分』を廻す、詰まり『半端だが重要な寸法』をこちらからあちらに移す、また何十カ所にも移すのに重宝に使われた様です、一倍だけでなく二倍、三倍、四倍,,,何倍でもクルクル半回転ずつ回すだけで出来るのですから。それで付けた名前が『分廻し』。コレは私の爺さんの代まで、そう呼んでいました。親爺の明治の末期から大正時代は、算術・幾何と、図画の間の学際に、『用器画』という学科目があり、T定規とコンパスだけを使って、線分の複数分割法や、正三角形から始まって、正多角形の作図法が正二十角形までや、遠近法や、現代で言うアイソメリック図の初歩までとか、コンパスとT定規だけで作図作画する手法を習ったようです。
終戦直後、私どもは工場動員先から中学校の教室に帰っても、教科書もない何にもない授業の頃、爪を噛むのが癖の、尾張津島祭の版画など描いて有名だった幾何と図画の武田先生が、此の戦前まであった『用器画』の例をいくつも教えていただき、大工仕事への応用だけでなく、図面の見方やチョイとした手書き見取り図の書き方にも後年エンジニアとして非常に便利しました。

本題に戻ります、学士会報に示された二枚の図で、中村先生は、北斎の当時は、そんな用器画で版画を描いたなどとばれたらそれこそ破門・商売から閉め出されただろうから、ひた隠しだったのだろうが、以下の推定プロセス手順で、この神奈川沖浪裏の雄渾大胆にして力強い構図が描かれていったに違いない、しかも時間の大幅節約、詰まり、一品製作ながら短期間に次々と大作が生産出来た一つの秘策だったのに違いないと、言うわけデス。

学士会報をお読みいただけばいいのですが、図の中にあるプロセス、部分を抜き読みしてみましょう。

①対角線 AC 画面左上に大波の範囲を画す。
②対角線 BD 富士の収まる上限右限を限定。
③中心点 Aで半径ADの円弧を描き両対角線との交点EとF点を決定し、大波の回転モーメントが富士を直撃矢印で示す。
④中心点Cで半径BCの円弧で、大波返しの基調とし、富士の下限左端を限定。ここまでで富士の位置が決まる。また点G 及びHが得られる。
⑤中心点 Aで半径AHの円弧(落下モーメントの円弧と同心円)で、大波の右上波頭の上右限を決定。画面中央の人達を直撃。
⑥中心点B半径AHで左右のバランスを取るために円弧を描き、点Iと点Jを決定。
⑦中心点Eで半径EIの円を描き、大波・浪裏の基調。
⑧画面中央線Iを通る垂直線で、上端点K下端点Lを決定。
⑨中心点Lで半径GLの円弧で、大波の背を決定点Mが求められる。
⑩中心点 E半径EMの円弧で、大波の立ち上がる主力とする。
⑪中心点D半径DIの円弧で、大波の手前のうねりの左の千を決め、同時にうねりの高さを込めて画面の力関係のバランスをとる。
⑫中心点Kで半径KLの円弧で、画面全体の振り子状の波の動きを示す。
⑬中心点Kで半径やや小さい⑫と同心円で左側の船の形を決定。
⑭同様に中心点kで更にやや小さい同心円で、右側の船の形を決定。
⑮中心点J半径任意の円弧で、角度を変えて、富嶽前面の波の振り子状を示す。
⑯中心点jで半径に任意でやや大きい円弧で、画面下端の船の形を決定。
⑰中心点C半径任意の円弧で、画面下端の舟の舳先の形を決め、⑫に接続する波の動きを示す。
⑱中心点C任意の半径(④の同心円)で大波の動き⑦に接続する⑪の同心円と同調。
⑲中心点C任意の半径の円弧で、富士の右側の線を決定。但し山頂と、波の間の同調が必要。
⑳中心点Mで半径任意の円弧で左側船の左の形を決める。
21:中心点M半径任意で、富士山の左の線を決める。

更に、全体の総合的視点としてはロウアングルで、作画図欄外に記載されたように殆どLを視点としての遠近法で、うねりの形と波頭及び浪裏の整形がなされている

ということです。江戸時代の技術も化政文化爛熟期で、ここまでいろいろと、作画法もいろいろと考えられていたのですね。兎に角構図のできばえといい、この藍色をふんだんに使って波頭の白さを浮き立たせた思いきりといい見事の一語に尽きるように思います。

20年前に書いたことを補うとしたら、、、
その後、1999年にアメリカ合衆国の雑誌『ライフ』の2000年記念企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一ランクインしたのは葛飾北斎只一人でした。彼の始めた狩野派流でもない日本画の手法、葛飾流とも言いましょうか、がゴッホを初めとして、モネーやレンブラント他多くの西洋画家に多大の影響を及ぼしているのだそうです。
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テーマ : 絵本・制作・イラスト - ジャンル : 学問・文化・芸術

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