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映画に学ぶ世界史(2)「誰がために鐘は鳴る」スペイン市民内戦

第二次世界大戦終戦後間もなくゲイリークーパーと新進女優イングリッドバークマンの映画「誰がために鐘は鳴る」がロードショウ公開されました。未だ闇米の買い出し列車や闇市場のお世話になっていた頃のことです。私はやっと(旧制)中学生でしたから映画には行けません。都会で戦災で焼け出されて、30になる息子と母子で田舎の我が家に疎開中だった60代半ばの大叔母が、ある日息子とこの映画を見に行き、、、帰ってきてから、開口一番[,,,ウン、映画って、良いね、芸術ダヨあれは!」とだけ言って、自分の部屋へ入ってしまいました。「映画は芸術」といったなぞの言葉としてウチの家族間では話題でした。この映画をみたのは、20年も後、メキシコオリンピックが終わって、カラーテレビの値段もグッと下がって、我が家の白黒テレビがやっとカラーに置き換えられてしばらくしての、民放TVの映画番組だったと思います。誰がために鐘
前稿「誇りと情熱]ゲリリャ戦争が1814年に終結ナポ軍が追い出されてからのスペインはwikipediaによれば,,,

フェルナンド7世が復位したが、フランスの此の侵略はスペインの経済に破滅的な影響を及ぼし、その後の1世紀に及ぶ政治的不安定と分裂をもたらすことになった。1825年にシモン・ボリーバルをはじめとするリベルタドーレスの活躍によって南米のスペイン領ボリビアが独立し、sスペインはキューバとプエルトリコ以外の全てのアメリカ大陸の植民地を失った。
19世紀のスペインは政治的不安定と経済的危機にあり、史上初の共和制移行(スペイン第一共和政)も起こったが、短期間で王政復古した。この最中に更に、フィリピンとキューバで独立運動が発生した。これらの植民地の独立戦争にアメリカが介入する(米西戦争)。1898年に開戦したこの戦争では、スペイン軍は幾つかの部隊では善戦が見られたものの、上層司令部の指揮が拙劣で短期間で敗退してしまった。この戦争は"El Desastre"(「大惨事」)の言葉で知られている。
当時としては欧州中心の世界的には、この間、1914年から1918年11月まで、約5年余第1次世界大戦(スペイン他欧州6カ国が中立宣言静観)が行われています。この戦いは、小銃、大砲、の他のいわゆる近代兵器が試され開発された戦いでした。第1に大艦巨砲、第2が飛行機による空中戦と手投げ爆弾の試行、第3にタンクと称する無限軌道付の戦車の開発、第4がダムダム弾、鉛弾等の人間殺人型弾丸の使用、第5に毒ガスの使用、など、、、戦後の講和会議で、国際法で第4と第5は国際的に永久使用を禁じられましたが。近代兵器合戦が行われたわけでした。開発進化の途中で戦争が終わったため、それから約20年経って、第2共和制政府が出来て左右が拮抗対峙して、揉め続ける中、閣内異論者が出て分裂しかけたところ、軍のフランシスフランコ将軍のクーデターが起こって、家族、兄弟まで二つに分かれる始末のイデオロギー的内戦が始まった。このスペインの内戦で、政府側人民戦線支援の国際旅団にも、コミンテルンの呼びかけに呼応してソ連の、飛行機と戦車が、旧式となったモノを中心に、数百台、数百機づつ投入され、しからば應と、クーデターのフランシスコ・フランコ将軍応援として国際義勇軍側も、ドイツの旧式となったパンツアー戦車1型及び2型、それぞれ百数十台づつ、イタリヤからは、FIAT3000と言う小型戦車が、200台ほど、送り込まれ、空には、「コンドル軍団」(Legion Condor)と称してドイツがその後こっそり開発していた双発爆撃機や、急降下爆撃機、戦闘機などが、中立国を除けてイタリヤ経由地中海廻りの長旅で、合計数百機送り込まれています。イタリヤからも、Fiatの名戦闘機の生き残り機体が100機ほど送られたようです。これらの戦車と、続いて飛行機の図を掲げておきましょう。スペイン内戦時代の戦車の図mcryodan planes mc
legion condor Xs mc
国際旅団側も、ソ連の双発爆撃機が到着してからは、地上爆撃が功を奏し、かなり巻き返したようですが、、、いかんせん、国際旅団の義勇兵は世界中から集まった、兵役経験はあるモノの文化人集団、まあいわば素人集団、飛行機や戦車も燃料・弾薬があって、操縦できる人間の食料まで調達しないと、動かない。これらの後方調達が細れば、飛行機も戦車も只の置物プラモデルと変わらなくなる。

後の文豪ヘミングウエイの参戦も初めは半分は従軍記者のつもり程度と軽く考えて、友達と出かけたらしい。しかし、この映画では戦争画面の冒頭の、ロベルトと汽車爆破した部下が、敵弾に当たって倒れ、かねての約束通り、動けなくなったら、射殺してくれという約束に従ったように、ある作戦で同じように友達が先立ってからは、マジに戦闘にのめり込んでいったらしい。自分は幸か不幸か、負傷して失血、人事不省寸前で、幸運にも看護兵の空担架が通りかかり、後方に送られる。これだけ幸運が重なれば、何か書き残さなければ、と言うのがどうやら本音らしい。この従軍中に見聞した、エイブラハムリンカーン大隊の名指揮官の一人であったロバートメリマン大尉がこの小説の主人公ロベルトジョーダンのモデルと言われている。

映画の最後、ロベルトが消えゆく意識の中で機関銃を撃ち続け、鐘が鳴り始め暗転しますが、、、実際、内戦はこのまま、フランコ軍の優勢で終わってしまい、フランコの生きていた限り軍事独裁政権が続く。しかしこの内戦で、スペインは人民と田畑は疲弊の極に達し、経済・財政も大破綻、独裁政権と言っても何も出来るわけではない。内戦が終わる頃、ドイツとソ連のポーランド侵入分割に始まる、第二次世界大戦が勃発するが、、、。金なく、食料なく、人なき、スペインはどうしようもなく、第二次世界大戦は、双六並みに、1回お休み、枢軸同盟国よりながら中立宣言。そのうちにフランコ将軍が逝く。

尚、掲出した図は、インターネットで、検索したモノばかり集めてあります。先ず戦車ですが、人民戦線応援国として名乗りを上げた国はソ連とメキシコ2国で、メキシコは、最初の涙金程度の拠出のみ、ソ連の第一次大戦中に漸く見よう見まねで、無限軌道を造って乗用車用のエンジンで動く軽戦車T26は7.6mm固定機銃のみ。更に、緊急製造した、箱形砲塔が回せるようにしたT-27豆戦車も登場したが、装甲が薄く火力は改善なし、エンジンと操縦士が同室で、熱くて居住性お粗末な代物だったようです。これに対し、フランコ蜂起軍を推すと宣言したドイツの応援戦車は旧式で、-1-2型も、似たようなモノだったらしいが、無限軌道の幅は2型で、幅ビロに改善され、また砲塔の前後に機銃を置くなどの改善がみられたようです。傑作はイタリヤのFiATで、コレは、フランスの一次大戦で有名になった新型旋回砲塔に改良されてしかもエンジンルームが操縦室と分離された後の戦車の基本型となったFT17と言う戦車のライセンス生産型FiAT2000を更に旋回機銃に改善、機銃を12.6mmに口径アップ、エンジンを増力したタイプだったようです。映画「誰がために,,,」にも遠景ショットにこのレプリカが出ているそうです。
飛行機の方ですが、フランコ軍応援の旗印コンドル軍団の標識白地に灰色Xの標識を付けています。特筆すべきは、左上のHe51戦闘機で、スペインまで地中海廻りで送達するために考え出されてのが胴体下に固定増設された機外増槽でした。コレが、後年日本や米軍の戦闘機に応用された機外増槽の嚆矢です。但しHe51のは固定増槽でしたが、日本の9試艦戦(九六戦)以降三菱の設計陣がパクって使ったのはいずれも戦闘にはいるときには放り出して身軽になれる、落下増槽でした。海軍の艦上戦闘機だけでなく陸軍の隼、飛燕、などに応用されて、航続距離を飛躍的に伸ばしています。また海軍の陸上基地用双発攻撃機銀河や月光にも二個並列の落下増槽が応用されています。コレに対峙した国際旅団側の戦闘機は、ノモンハンでも日本の飛行機の殆どをしらみつぶしに巴戦で落としたI-15と言う小回りの利くチャイか(カモメの意)戦闘機と、ツボレフ社の新進技師アルハンゲルスキーという奇才が設計した当時としては世界に先駆けて珍しい大馬力エンジンを双発搭載し機銃で重武装した要塞のような全金属製重爆撃機がこの内戦に投入されています。これらのことから、此のスペイン内戦は、近代兵器技術進化の、第二次大戦前のテスト実験場としての前哨戦、と位置づけされたわけです。内戦の終わりにドイツ空軍が、第二次大戦では主力機となった、有名なメッサーシュミット戦闘機や、急降下爆撃機シュツーカ、ヘンケルの全金属製双発重爆を登場させています。

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テーマ : スペイン - ジャンル : 海外情報

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