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映画に学ぶ世界史(1)「誇りと情熱」のスペイン

歴史というジャンルがありません。日本の教育界では、戦前は「西洋史」と「東洋史」それに「歴史(日本)」というとらえ方でした。戦後の学制改革で、旧制中学が解消、中学校と高等学校に発展して、新制高校に「世界史」と「日本史」の選択科目が分かれました。もっともっと広い視野で歴史を見ろと云うことでしょうか。「駅弁大学」という辛口の批評も生じた新制大学の初期、第二回の新制大学の入試に我々は臨まねばなりませんでした。いわゆる「その歴史のない」蓄積のない新制「入試」、今言うセンター試験に該当する汎全国的なレベル審査的な前置テストとして、この年から「進学適性検査」が全国レベルで行われました。昭和25年1950年今から丁度60年前のことでした。このテスト結果が当時が、どう新制大学の入試判定に使われたかは今以て、曖昧です。コンピュウターも・ファックスもない戦後5年しか経っていない日本、紙切れ通信お役所仕事の「郵便」制度と針がね「電話」だけしかなかった全国の紙テストの結果成績が、当時1ヶ月足らずの期間で、どう採点されてどうそれぞれの大学に連絡されたのか、全く信じられるモノではありませんでした。
それはさておき、選択学科「社会」科目選択は迷いに迷った挙げ句結局「西洋史」に近い「世界史」で受験しました。自信があったわけではありません、山が外れればそれッきり、今言うキヨブタです。
幸いなことに、論文題は一問、あとは、事件と年号を結ぶ題とか、人名と、事件を関係でくくる問題とか、鉛筆の6角形の面を使って、さいころ代わりに宛づっぽうしてもいくつかは当たろうという問題ばかり、答の分かっているものを先に結んで残りを鉛筆転がして追い詰めれば結構正解に限りなく近づけましたね。「六角鉛筆大明神」様々でした。
問題の論文題は「帝国主義戦争をナポレオン戦争を題材として論ぜよ」という短い一文でした。まあ西洋史のウチでも山がゴツンと当たった感じ、フランス大革命の意義に関してかいつまんで、人民の悲願はマリーアントワネットの首が断頭台に泣きながら落ちて、民衆は拍手喝采したところまでで、、、ナポレオンの帝国主義によって、トンビにあぶらげを浚われた!、、、という筋書きにして、ナポレオンの各地征服の第1次から第八次まで、コレもほぼ切り詰めて書きながら中でもナポレオンの唯一の失敗は、スペイン征服で、スペインとイギリスの連合軍を追い落としきらずに自分の実兄を、スペイン皇帝に据えたことで、、、スペインの人民が納得せず、、、人民蜂起によりやがてスペインは泥沼戦争となった。とだけ書いて更に第五次征服戦争以降を書いて置いたんでした。
スペインの地形も解る部分地図を掲げます。この泥沼のゲリリャ戦の舞台となった、マドリッドより主に北西の区域、特に山川の存在と、映画に出てくるAvilaの位置を認識しておいてください。誇りと情熱map mc
幸運にも他の学科も何とか突破して、大学に入学してこの先生の西洋史に登録、出席してみました。第一限目、授業のガイダンスめいた事務的な話は助手が要領よくてきぱき終わり、何が始まるかと思いきや、入試の世界史選択したモノは手を挙げろ、まあキット出来たと思うから手を挙げました。「さすがに大東亜戦争の鉄砲の弾代わりに生きてきた連中だ、たしかによく勉強はしている、がガリ勉だ!一人の例外を除いては、問題の意味が全く判っていない、「帝国主義戦争」の対義語は何か?そこにちょっとでも触れたのはたったの一人だけだ!これからの私の授業に出てくるにはそこのところをよく考えておけ、以上で今日は未だ時間があるが」と終わった。しばらくして、助手が、未だ残っていたモノには、解説した。「対義語で言うならば、「人民戦争」、1808年、ジョゼフボナバルトを皇帝に付けたスペインでは、人民が納得せず、スペイン語で戦争はゲールラ、その小さい奴、と言う意味で「ゲリリャ」日本語ではゲリラ戦だな、、がマドリッドを初めとして、各地で蜂起して、スペイン人の誇りと情熱で、この木偶の坊のナポレオンの実兄ジョーゼフナポレオンを追い出すまで五-六年もゲリラ戦が続いているが、日本の歴史書や参考書でコレを書いているモノはほとんど無い、世界的にも殆ど見るべきモノはないが、、、只、1933年にイギリスの探検小説家C.S.フォレスターというのが、"The Gun"と言う小説に、スペイン人民の心の象徴"the pride and the passion"「誇りと情熱」だな、そういう、どでかい大砲で、ナポレオン軍と戦ったが半分は死んでも勝ち抜いた、と言う痛快小説にま、歴史の一端が記されている、そこまで答案用紙に書くには裏まで書いても充分の余白はなかっただろうが、近くまで書いたのがいた。満点付けたら先生は、「誇りと情熱」戦争か人民戦争という単語がないなら一点引いておけ、で99点だったが、まあそういうことだ。」

この後7-8年してから、ハリウッド映画で、社会派と言われたスタンリークレーマー監督が、フランクシナトラ・ソフィアローレン共演で、この痛快小説"the gun"を「誇りと情熱」と題して、この監督にしてはジャンル外の一大スペクタクル映画として作っています。靴屋の文盲の青年が、ゲリラ戦の指揮を執り、ナポレオン軍の自慢の騎馬軍団の野営地を襲って、夜枯れ草の大束に火を付けて周りの山から投げ落として、壊滅させるなどは、日本歴史の木曾義仲のくりから谷の火牛攻めを彷彿させるなどゲリラ戦法面目躍如です。靴屋の青年も肉体美女ソフィアローレンもそれぞれこのアヴィラの城門前で、戦死しますが、1万を超える大量のエキストラ動員の、スペイン人民は倒れても倒れてもその屍を乗り越えて、9メートルの砲身、43kgの砲丸を1400mとばせる大砲で破った城壁を乗り越えて、ナポレオン軍を追い出すために誇りに情熱をかけるのでした。誇りと情熱 画像
このミゲルという靴屋の青年は歴史書にはありません、ゲリラ戦の指揮者としては、歴史書には、3人の名前が上がっていますが、他にもなもなく誇りのためにわが身を投げ出して、戦場の露と消えた多くの人があったことが暗示されます、スタンリークレーマーという社会派監督も、一生一度は、万人級の大エキストラ動員の、一大スペクタクルを美女主演で描きたかったのかも知れませんし、社会派としては、このナポレオンの帝国主義戦争に世界で唯一抵抗挑戦し、しかも勝利した人民戦争ゲリラ隊の誇りと情熱を描きたかったのに違いないと思います。

史実的には、ゲリラ戦の最初マドリッドの人民蜂起を指導したのは、R.D.de Tresと言う敗軍の将校、こう言うのは死んでも名が残るが、靴屋の息子ではこの時代名は残るまい。あともと将校で政治家が一人、ゲリラ戦の指揮者として名が残っているが、戦史には名がない。最後にナポレオン軍追い出しまで戦い抜いたのは、神出鬼没、人民ゲリラのいない地区まで平気で歩き回っても生還していた、フランシスコ・エスボス・イ・ミナと言う元イタリヤの宣教師らしいのが策略家で、名作戦家で、待ち伏せ・袋の鼠作戦等で、ナポレオン軍を連隊ごと殲滅するという離れ業を何度も繰り返し、遂に追い出しに成功するというすごい右脳発達の指揮者もいたようであります。こうなると、ちょっとスペイン人の誇り?と言う気もせんでもないですが。ついていった人民はみなスペインの誇りのためにでした。
尚、、この映画に出てくる、Avila の城郭市はユネスコの世界文化遺産に早くから指定されて現在に至っています。
Avila mc

因みに、此の"The Gun"を書いたC.S.フォレスターという小説家は殆ど同じ年に、「アフリカの女王」を上梓して、第一次大戦当時の東アフリカの奥地でのドイツ軍に対してのささやかな反抗を題材に、痛快冒険小説にしており、誇りと情熱より早く、1952年に米国イギリス共同製作映画として公開されました。この映画はキャスチング字幕やエンドロールにも版権の表示が無く、映画版権自由として話題になったモノですが西部劇でも有名なジョン・ヒューストン監督、ハンフリーボガード・キャサリンヘップバン共演の「アフリカの女王」がそれで、200px-The_African_Queen,_title2
リアリズムを標榜する監督がアフリカロケ強行して制作されたのは良いのですが、ジョンヒューストン監督が映画そっちのけで、ハンテイングにうつつを抜かし、キャサリンヘップバンが、体調を損ねたり、ロケ隊が食糧危機に陥ったりで、出演者のみならず、スタッフにも大いに反感を買ったようです。主演のキャサリン・ヘップバンが、恨み辛みを「アフリカの女王と私」という本に書いて、大当たりして、後にクリントイーストウッドかが、監督主演して「ホワイトハンター・ブラックハート」という映画化しています。言いたくはないが連鎖悪のりですね。
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