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サンマリノの國と市

傾いた土地の本命としてご紹介を始めましたサンマリノですが、もう少し、世界文化遺産のこの国を説明させていただきますと、、、先ず例によって地図をご覧下さい。250px-San_Marino-San_Marino.png
と言っても唯うすらピンクと赤い色の塗り分けだけですが。前稿をお読みの方は、どうやらこの赤い部分が、T77Tのカードにあった航空写真の円筒の筒を斜め切りしたような自然地殻構造の壁に囲まれた地区だろうなと、お判りでしょう。ご推察通り、この赤いところが、このサンマリーノ国の首都サンマリーノ市と言うわけです。文字では誤解を生みやすいですが、4世紀の一番初めの年詰まり、301年、ピサの斜塔に近い西海岸の大理石加工業職人詰まり当時の石工のかしら、マリヌスにも、ローマ皇帝からのキリスト教に帰依して、財産を投げ出すか軍に征服されるかどちらかだと言う、いきなり理不尽な迫害まがいの降服勧誘の使者がたったのです。仲間数百名に図ったところ、皆そんな理不尽には応じられない、大理石を捨てて、ヤマに逃げよう、と言うことになり、背骨山脈西側を捨てて、この東海岸に近い、鉄壁の守りが出来そうな自然の石の筒壁に囲まれた、チターノ山に逃げ込み隠れたのが事の始まりだそうす。宗教布教も迫害や軍事力を伴っては本来のモノとは言いがたいですね。現在もこの國の正式名称は、Serenissima Repubblica di San Marinoと「最も清らかな」という定冠詞を付けた世界で5番目に小さいが、最も古い共和国なのです。
地図の説明をもう少し、,,その後も9世紀、11世紀にローマ軍の降伏勧告や軍事攻撃を退けて土地保全の証書を取り付けています。日本封建制度時代の言葉を借りれば、「所領安堵」を得ていると言うことですね。更にナポレオン軍も、2本目の塔を作っていて追い返し、3本目の塔を作ったようです。現在この國の国旗や国章にある、斜めに並んだ3本の塔がその歴史を語り、ナポレオン戦争後のウイーン会議、第一次大戦後のベルサイユ会議,同二次大戦後の平和会議でもサンマリノ国の領土保全が諮られています。
その石の筒に囲まれた赤い地域以外にも、ここ10世紀ほどの間に、うすらピンクの領域が広がったわけですが、これらは戦争や略取によって広げたわけでなく、すべて、納得契約か、購入によるモノで国名に[セレニッシマ]「清廉潔白の最上級[最も清らかな]」を冠する所以なのです。main_img.png
こんな小国が、どのような収入によって成り立っているのかは想像がつきますね、現在、ヨーロッパの他の国は皆30%になんなんとする消費税でアップアップですが、この国には現在のところ消費税がありません、ヨウロッパ中から年間300~400万人の観光客が訪れて、買い物と観光を楽しむのですから収入の50%以上が観光関連です。又山の上ですから、夏も涼しく、牛山羊羊等の放牧も効率よく、良質の乳製品がコスト安に産出され、イタリヤ風ワインと共に余剰分はすべてイタリヤに輸出されて、黒字経済を謳歌しているようです。このほか、キレイなコインと切手の発行で、好事家の蒐集を煽っておりその方面でも一方の雄です。国全体の文化遺産登録完了は未だついこの2008年のようですね。
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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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