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傾斜した国ならここが本命!サンマリノ!M1Aってご存じ?

前稿では、ジブラルタルのアルプススタンドをご紹介しました。垂直の円筒形の筒を斜めにスパッと切ったような国をご存じ?何処にあるかは?では困りますので、イタリヤのふくらはぎの辺りの地図を掲出しましょう。サンマリノの所在004mc
続いて、そこにある、クラブ局のカードにも不完全ながら、傾斜地らしきイラストが見えます。繧オ繝ウ繝槭Μ繝撒70A+QSL007_convert_20100312224243mc
このカードのコールの下に、「M1Aの記念に」と書いてあるのが見えるでしょう。
この[M1A]をごぞんじ?
60年ほど前の第二次大戦は日独伊と称して、この遅れて、植民地化を急いだ3国が先に植民地化を完了し終わって、すましていた強大列強連合諸国に悪者にされて、反省させられたわけですが、、、イタリヤは、2年ほどで、そうそうに降参してしまいました。それで、イギリス軍を主力に4-5カ国の連合軍が、占領進駐して武装解除し、国連の委託により信託統治していました。更に2年後先ずドイツが降伏し、更に数ヶ月後に日本が降伏して大戦も終結したわけですが。そのころ既に、イタリヤでは駐留英軍によって、イギリスで使われていなかったイギリス配分のプレフィックスMで始まる、プレフィックスをを使って、アマチュア無線が再開され始めていたのです。イギリス軍は、アフリカのイタリヤ植民地に到るまで、占領統治していましたから、当時は、Mで始まるプレフィックスが、わんさか出来ていました。「ウッソオー!」と仰有る方のために証拠をお目にかけておきましょう。日本で、戦後再開と称してアマチュア無線局が復活したのが昭和27年7月29日の30局予備免許。本免許の第一陣がたしか8月27日。それから1年後に、それまでに免許された約120局のアマチュア無線局の局名録が、オーム社の月刊誌「ラジオと音響」誌の別冊付録として刊行されたのが、戦後の日本のアマチュア局名録としては一番古いのですが、表紙がこんなモノ、繧ェ繝シ繝�遉セ蛻雁ア�蜷埼鹸陦ィ邏・01_convert_20100312223707sc
この内容の局名録の後ろに、付録的に当時のカントリーリストがついていて、当時の今となっては珍しいMで始まる、十数個に及ぶ、プリフィックスが採録されています。sc.jpg
そのウチのサンマリノの項の辺りを拡大してみましょう。繧ェ繝シ繝�遉セ蛻雁ア�蜷埼鹸繧ォ繝ウ繝医Μ繝シ繝ェ繧ケ繝・03_convert_20100313000530
間違いもなくM1 San Marinoとあるのが見えるでしょう。

ここに1953年当時、恐らく既に、「M1A」と言うクラブ局があったようで、コレが、1st EVER の世界で初めての1x1構成のコールサインの嚆矢と思われます。

上に掲げたT70Aはその記念局というわけでした。

本題の円筒形の斜め切り傾斜地の国のカード!先ずはシルエットで、T77FTのカードを、次いで、航空写真での極め付き、T77Tのカードをご紹介してこの稿を終わりましょう。
あっそうか、もう一つ、日本のためにもう1ッだけ付け加えておきますとこのサンマリノのような円筒の筒の斜め切り地形は、これほど大きくはなく十数分の1の大きさですが、四国の石鎚山の山頂にあり山頂を石の鎚で凹まされたかのような地形が、この山の名前になっていることを付け加えておきましょう、、繧オ繝ウ繝槭Μ繝撒77FT+QSL008_convert_20100313002204mc
繧オ繝ウ繝槭Μ繝撒77T+QSL006_convert_20100313002324mc
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