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2月の初午 続編 王子の狐など

前稿でお稲荷さんのお使いが狐であることは説明しましたが、何故そのお稲荷さんのお祭りというか縁日が、2月の初午かと言うことについては、平城京(奈良時代)の頃、京都の鞍馬で秦氏が、このお稲荷さんに地上に降りていただいた日がたまたまその年の2月の初午の日であった、と言う伝承だけで、,,落語界の剣道の達人でもあった(北辰一刀流の範士(7段))5代目柳家小さん師匠がこの事について漏らしたところでは、「昔の落語界では、馬は生まじめ動物で繊細、狐はずるがしこくて時々ツンとすます動物;まじめに歩く馬の尻馬に乗ってツンとすまして腕組みして目をつむった狐を想像してみろ、それが初午の姿ってコトじゃねえのか!、,って気風だったね」と詰まり秦氏云々というのもまあ、眉唾モノと言いたげでした。小さん師匠は殆どこの王子の狐は、好んで演ずることはありませんでしたが、晩年に近い初午の日にたまたま一席やったようでした。狐は人を化かす前に人の眉毛の数を読む、ですから狐に化かされないためには眉に唾を付けて何本か解らなくすると化かされないで済む、と言うのが「眉唾」の起源です。
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チョット一言;老爺心までにデスが、今年の2月の伝統行事、陰暦起因のモノを、安易に新暦に置き換えたが為に、おかしな、順序になっています。順を申しますと、2月1日の初午、ですから、2の午も13日です、そして節分が2月の4日、立春が、2月の5日、で、旧正月が一番最後の2月14日、商業主義の行事日バレンタインデーと重なるという順序です。折角の伝統行事の奥フカーイ意味が後世に残せて行きますかねえ?!チョイと心配な順序でした。
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小さん師匠は、蕎麦をすする芸の達人で有名でしたが、落語には王子の狐があり、何度か弟子達と、大晦日や、初午の前の晩の王子稲荷までの縁日屋台の町を歩いたようです。

前稿で書いたように関東には農家の邸内稲荷祠が数知れぬほどもあって、大正の終わりごろまでは農家の近くまで、狐が縄張りを持っていたわけですね。申し遅れましたが、稲荷社の祠には、必ず、床下があって、祠の後ろ側低いところに狐の出入りできる穴が開いています。コレが特徴です。インターネットの稲荷社の写真をいくつかご覧下さい。必ずあるはずです。たとえば、高梁稲荷神社から這入って、一番下狐穴まで見て,topに帰り左のCONTENTSの「各地の狐」をクリックして開いて他のお稲荷さんもご覧下さい。狐穴の紹介が多いです。

それから、上述の小さん師匠のつぶやきの、馬と狐ですが、私の記憶に間違いなければたしか、王子稲荷のどこかにも馬の像はあったように思います。地方の稲荷社も訪れて見られれば、馬の像がある稲荷社があるはずです。当然ながら総本家伏見稲荷大社にもありました、但し、狐が尻馬には乗っていませんでしたが。

「火事と喧嘩は江戸の華」(喧嘩の嘩の字は華が口出す!)と言われたように、江戸時代の後半、大岡忠相が奉行抜擢されて、以降、江戸市中はもちろんのこと、その気風が及んで関東の野火についても「折角の農家の苦労が一瞬で灰燼に帰す!」と言うことで、取り締まりが厳しくなり、火防の心得をするようになっています。コレが前稿でも一寸触れたように狐火と結びついて、王子稲荷のもう一つのご霊験にもなり、今も火防凧という形で、お札代わりに売られています。hatsuTako-1王子稲荷の火防凧

94oujishouzokuenoki広重王子狐火図王子装束えのき大晦日の狐火  広重
後先になりましたが、江戸開府の前は、この荒川流域は、その名に恥じぬ荒れ川の荒れるに任せた広い荒れ野でこの岸に小さな祠があり、誰言うとなしに岸稲荷と呼んでいたようです。家康は、江戸開府を慎重に進めようと神仏に祈る方でしたから下々の役人も、その後の度重なる荒川治水工事に当たっても、この稲荷を大きくすることこそあれ、粗末にはしなかったはずです。そのころから既にいつとはなしに大晦日の夜と、初午の前晩には、この岸辺辺りに狐火が集まってくるようになり、そのどうやら目標らしい榎の大木の下作られたのが今の装束稲荷だそうで、2-1装束稲荷

250px-Ojiinari王子稲荷社殿mcこちらが家康の時代に立てられた王子稲荷
だそうです。何となく権現様東照宮を思い出させる社殿ではありませんか。そしてここが関東一円の狐塚や稲荷社の総元締めと言うことになっているわけです。
もうこのブログをお読みの方でしたら、何故この大晦日の夜、関東中の狐がこの大榎のモトに集まるのか、どうしてその榎が「装束榎木」でこのお稲荷さんが「装束稲荷」なのか、関東こそが、日本の最大のオカイコの飼育の養蚕の盛んな地であったことを思えばお判りですね。狐も大晦日の晩には大家族が集まって、ここで古い皮を脱ぎ捨てて、新しく装束替えをすると信じていたわけです。現在では、狐に代わって、化かされた人たちが、250px-Oji_Kitsune_no_Gyoretsu4大晦日の狐行列mc狐行列
などをして、大晦日の夜を狐の面をかぶって、盛り上げています。現在も「王子の狐」に出てくる料理屋「扇屋」は残っているようですし、稲荷社の狛狐の大事に抱く、宝珠と巻物は変わりなく、ですから巻物を節分に「かぶる]ような人たちには、夜店のぼた餅も、相変わらず「馬の糞かも知れない!」,,,

お時間もよろしいようで。
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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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