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東京初空襲ショック敵性語・敵性規格の廃止など

アマチュア無線関連からすると、この時代はラジオ、敵性語廃止で放送受信機でした。真空管時代。規格は、殆どが外来規格。呼称も、オールウエーブなどでしたがもうコレは、昭和16年12月、短波のコイルは外されて封印されていたはずですが、それを言うにも全波受信機。
これからの話は、当時の背景が解らないと事実が呑み込めないでしょう。中国大陸への攻撃的的進出(当時の用語で「支那事変」)が昭和11年7月7日に始まって、どんどん拡大し、引っ込みが着かなくなった頃、ジャーナリズムの急先鋒アジリ魔・徳富蘇峰が、日露戦争煽動以来の沈黙を破って煽動を開始し、昭和天皇に対し、全国民総動員令と、青年学徒の動員令の案を上奏し、軍部がコレの後押しをして、昭和13年に国家総動員法を、昭和14年5月に「青年学徒の動員に関する詔勅」を渙発させている。コレにより、政府は、女学校にまで配属将校を置き、中等学校の軍事教練の時間を正課と位置づけた他、農村の農作業や土地改良作業、水道工事、河川改修、飛行場建設作業等、人海戦術的に人力を要するところは勿論、出征による工場の人員補充が足りなければ、学徒動員もするようにしたのである。この詔勅煥発の後、徳富蘇峰は全国の中学校を行脚して廻って蘇峰翁の名を恣にし「諸君は若い!その若さを有用に用ウベシ、」で始まり、又同じことばで終わるアジ演説をして廻っている。
日本はそうでなくとも資源に乏しい国、然るが故に大陸に出店が欲しいワケなのですが、その戦争を仕掛けるのに資源がない。
幕末も状況は同じで、安政元年陰暦12月23日、太政官符でもって、五畿内・七道の、詰まり全国のお寺の梵鐘の大砲への鋳換えのために金属供出を布令ています。奈良の東大寺も例外ではなく、ここにその写しが残っています。
学徒動員法より以前の1938(昭和13)年にすでに政府は、鉄鋼配給規則を制定する一方、政府声明を発して不要不急の金属類の回収を呼びかけており、1939(昭和14)年1月以降は、不要不急の国・私鉄鉄道路線のレール、マンホールの 蓋(ふた)、ベンチ、鉄柵、灰皿、火鉢等鉄製品の回収が官公署(役所)・職場や愛国、国防両婦人会や女子青年団の手で実施されていた。
こういう資源節約の戦時体制下にあること、特に、鉄・銅の払底は目を覆うばかりの状況で、昭和16年7月米国との通商条約破棄、やむなく政府は勅令でもって、昭和16年8月30日国家総動員令、とそれに沿った金属類回収令(勅令第835号)でもって、さらなる鉄、梵鐘や銅像類の回収(民側からは供出)を強化している。脱線ですが、三越本店の有名な、ライオン像一対も、馬力の準備整った翌年1月に台座から下ろされて、一体ずつ東郷神社の境内まで供出されている。当時原宿貨物駅には、この鋳物約900キロ/体を荷馬車から貨車に移す、設備手段がなく、やむなく大樹のある最寄りの東郷神社の巨木の枝脇を使って、滑車で下ろしたモノの、結局その後鋸、大なた等の傷は付けたが、打ち割って運ぶことも出来ず、結局2匹のライオンはここで戦後を待っていた。終戦の秋たまたまここの草むらを通りかかった、日本橋「にんべん」の番頭さんが見つけ三越に報告、傷は補修されて、昭和21年3月始め、又モトの本店玄関に戻った。資源欠乏と言っても、その運搬手段すらなかったのでもあるわけです。閑話休題。
ラジオもとい、放送受信機で、まとまった金属が一番重いのが電源変圧器。当然この金属回収令では目の仇にされる。
このため、昭和15年頃から、12v、や24ボルトの真空管を使って電源トランスを省いた受信機の研究、そのための真空管の開発が急がれ、目黒区だったと思いますが、家内工業的電気屋さんが、電源変圧器無しの放送受信機を作ったと報じられたと思います。勿論真空管も自製で、名無しです。
こういう状況下で、外国規格も捨てろ!と命令が下ったので、この開発に携わった人たちが、たしか昭和16年末頃、カトー電気商会、とベスト(真空管の当時のブランド)で、勝手に名付けた、12Y-V1、12Y-R1,12Z-P1、それに24ボルトヒーターで、交流100ボルトの倍電圧整流用のタマ24Z-K1を開発したことによりストレート受信機が曲がりなり完成しているようです。

そして年が明けた4月標題の、東京初空襲喰らったショックで、軍部と政府はヒステリックに、敵性語の廃止・排斥を号令します。この無電源変圧器用の真空管は外国にもない開発品、丁度具合もいいそれじゃ放送受信機製造とラジオ商の組合で、日本式の真空管の呼び名の付け方をこれらのタマに勝手に付けた、やり方で決めてしまおうと言うことになってしまったようです。ヒーターの電圧は直ぐ解った方が良いからあたまの数字。四捨五入がいいが、12ボルトだけは先行したレス球を12.6vなのに12としてしまったし13というのは縁起も悪そうだ、このままにしようと言うこともあったのでしょう。
二字目が、ソケットの脚の本数のXYZの踏襲、但しUtと小文字は厄介、7本脚は空いているWにしよう。3字目は、真空管の機能というか役目が解るように分類記号を決めよう。レス球に仮に付けたように可変増幅率はV、定増幅率5極はR
5極出力管はP、整流管はKを踏襲、、、問題は周波数混合管と、それに1球で局部発振と混合の二役やるいわば周波数変換用のタマも出てくるぞ、ええい面倒だそれも含めて今あるのは何種類?てなコトで、世界の名管、後の戦後の6WC5(ロクダブリュウシーゴ)の素地はこんな具合にして作られたのではないかと思います。このときの命令から察して、敵性語は廃止12ZP1も「ジュウニゼットピーワン」ではなく「ジュウニゼットピーイチ」で始まったはずです。

このカトー電気開発になる、戦後名称「トランスレス」ラジオとその日本式真空管は当時の放送受信機局型何号規格には全くの想定外のことで、国民総動員法の統制下、放送局も5大放送局も日本放送協会に統一されたことでもあり、この際、放送受信機の規格も作り直そうとなって、此の「金属回収令」に沿った、電源変圧器無しの受信機が国民型1号受信機に決まり、国民型2号には、トランス有りの、6ZV1-6ZR1-6ZP1-12F(但し未だ現物の6ZP1は開発未了で、UZ41やUZ38などが代用された)国民型3号は、当時の局型123号こといわゆる3ペン、3ZR1-3YP1-12Fの踏襲、そして何故かこの戦時中に!国民型四号甲として、フィールド型ダイナミックスピーカー付、同乙として、パーマネントダイナミックスピーカーとして、国民型2号のトランスを大きくして、出力管をUZ42、整流管をKX80に置き替えたモノが登場しているのです。

この「ナーンデカ?」は戦後になって、又、NHKの「ラジオ受信機故障修理技術者」資格制度の復活に伴う、その指導教本、大井脩三著「ラジオ放送受信機故障修理読本」(大改訂版)(多分昭和21年の発行)に、この国民型放送受信機の解説があり、このKX-80,UZ-42でダイナミックスピーカーを鳴らす国民型は、戦時中当時から野戦病院他で、治療中の「傷痍軍人専用」に、特に政府が配慮した規格の増設であったと記されていたのを立ち読みした記憶です。

そうそう、もう一つ付け加えた方が良いかな?こうして戦時物資不足の時点で、そのために開発された、トランスレス真空管でしたが、どうしてもヒーターにはスイッチ入れたときのラッシュカーレント突入電流が流れるので短寿命でしたが戦後に、東芝により鉄線ヒーターに水素ガスを封じ込めた、安定抵抗管(バラストチューブB-42やB-36等)が製造供給されるようになりました。
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