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引続き「爺怪説」 中国古来種「除夜」について

日本で漢字「除夜」について本来の意味を知ろうとしても、チョイと無理なようですね。「四苦八苦」=4x9+8x9=108などという、算数が出て来て除夜の鐘のお話が主流になってしまいます。中国ではこんな安直な計算はないですね。「白髪3千丈」祖先から伝わる敬い崇める祖先の霊名3千体,,,108ッの鉦では一桁安直に過ぎる。

天平勝宝以前の大和朝廷はすべての式台を、中国の政体に準じて倣い、悖るところがありませんでした。それが、いつの間にか、真言密教や、その後の仏教の教えに置き換えられたり、日本の固有の文化に置き換えられていったわけですが、本家中国の孔孟老荘子以前の時代からの、祖先を敬う道教のしきたりは3千年後の今もその根本は揺るぎなく、大陸中国のみならず、沖縄の西の岩か島を接して争うほどのたったの隣国台湾中国にさえ厳然として連綿と伝えられている文化です。「除夜」と「初日の出」の意義くらいは、本来の来源を知っておいてもソンはないかと、、。
中国は、百年余の昔、世界中の国の、日にちの統一のために行われた、グレゴリオ暦による日にちの統一の為の国際暦・閏年条約は、日本の明治政府に先んじて、国際的にも早い方で、批准して出来たてホヤホヤの日本の明治新政府を慌てふためかせましたが、、、国際暦日、閏年は、完全に守っては居ますが、日本が捨て去ってしまった太陰暦は現在も、農事に関連深いモノとして国民生活の基本として認めています。
ですから除夜は今日ではありません。旧暦の大晦日ですね。その前に、民族の大移動「過年回家」(年越し帰省)が起こります。それはこの民族は大家族の家族を繋ぐ祖先を敬う道教に基づく宗教心に根ざします。お正月と言うより、大晦日の夜を大家族が相集うて、家長の下で「除夜」を過ごさなければならないからです。
日本では戦後、年齢の数え方が満年齢に指定されてしまいましたが、中国では歴史文化の重みで、この旧暦に絡んで、旧正月「春節」に年を重ねる、数え年です。ここから「除夜」関連重要事項が発生します。中国も、戦前の日本も、絹糸「生絲」や絹織物の名産地でした。中国では絹は5千年の養殖の歴史を持つ天然繊維デス。それは養蚕という仕事によって、(養蚕の豆知識参照)培われ、農事と共に国民の重要な産業の根幹で、絹は、糸でも織物でも古来から租税の根幹を占めていたのです。そういう時代からお蚕は、庶民の身近な大切な「仔」それをウチで大事に飼い育てるからこそオ「カイコ」だったわけです。kaiko2蚕の画像

この蚕は、蛾の幼虫です。育ち上がって、繭を作り絹糸のモトをはき出すまでに、4回眠り、眠ったあと、皮を脱ぎ捨てて大きくなることを繰り返します。人間も人柄が大きくなるためには、脱皮が必要ですね、大切なことです。何千年オカイコの脱皮を見ていた中国の古人は、年を取るこの大晦日の夜はキット人間もこの夜皮をそっと脱いで、大人になっていくと、考えたのは自然の成り行きでしょう。ところが世の中にはナーンデカ、悪い人間も出来上がります。大家族の中に一人でも悪い人間が出ると云うことは一族全体の名折れです。たった一羽の鳥インフルエンザのために
養鶏場全体の鶏が殺されるようなモンです。この年を取る歳の変わり目人間の脱皮の時を狙って、悪霊に弱みにつけ込まれると、悪い人間になってしまうと考えたのですね。大家族の家長が責任者になって、この皮を脱ぐ夜弱い家族の脱皮を守らなくてはなりません。そのためには大家族が家長の下に家長の家の最上階にある祖先の廟所に一堂に会して、この夜を眠らずに、祖先の霊名を尊み崇めて唱名し続けて脱皮した新しい甘皮が、日に照らされて固くなり悪霊が退散するまで、夜がないノダ詰まり夜を除くという、この習慣が文化として成立しているわけです。元旦の朝、日の出が、地球の自転と共に東から西へ、足早に移動します。そこは中国、、、広い曠野に、あちこちと村々が点在します。お互い、悪霊にむしばまれなかった!全員一つづつ無事年取ったゾオ!を日の出を迎えて家長と共に各村の家々から発信します。初日の出を知らせる爆竹です!快い乾いた爆竹の音が、東から西に田畑を渡っていくのは、とても壮大で、雄渾な気分になります。祖霊が送ってくれたその年の初日の出を拝して爆竹を鳴らして、互いの無事を知らせ逢うまでが「除夜」と言うわけです。

●補筆します:
大陸中国の、若者の農村離脱に伴って、思想的シフトも之有り、都会の住人の中には経済上の理由なども絡み、住居に祖先の廟堂を持たない種族が増えて除夜の過ごし方もシフトが起こっているようです。元々、陰暦お盆のコトを「秋夕」というのに対して除夜も「除夕」とも言う風潮が出て来ていました。ここへ、紅衛兵以来の思想変革で、古来種が毀損されたようで、大晦日の30日の夕方に家族揃っての「大団圓飯」は相変わらず一年中で最高の大御馳走で祝いますが、その後祖霊の廟堂に籠もることはなくなり、家族の団らん、やゲームに打ち興じて、年の変わるのを待ち、12時前から餃子を蒸して、12時を挟んで、ここでみんなで爆竹を鳴らし、餃子をみんなで食べる、、、と言うことはするようです。爆竹の位置が変わったようですね。そのあとは麻雀卓を囲んで、夜が明けるまで、徹夜麻雀が圧倒的に多いようです。子供は胴着などに包まれて傍で、眠ってしまうようです。まあ、特に大陸の都会地ではこんな除夜のシフトが起こっているようなので、加筆させていただきました。

尚、この「一年中で、一番豪勢な晩ご飯を大晦日の夕に家族で揃って日付が変わるまでかけて食べる」と言う風習は、戦前は、富山市の鉄輪地区などに厳然と残っていたようですが、現在は如何でしょうか。
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テーマ : 中国 - ジャンル : 海外情報

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