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甥っ子達とル・モン・サンミシェルへ行ったとき

パピーニュウスを初めて間もなく、甥っ子から手紙が来て、大学のクラスメートと弥次喜多で、イギリスロンドンからポーツマスを回って、フェリーで、ドーバー海峡渡って、ノルマンデイー上陸して、小父さんちを根城にして、三文旅行し、パリの安宿探して貰って、パリ見物もしたいと云ってきた。もう返事を出す余裕もなく、フェリーを乗り違えなければいいが、、、しょうがない、運を天に任せた。予定の朝、ノルマンデイ上陸作戦海岸のウイストラム港のフェリー附き場に車で乗り付けて待っていました。船員達が降りるまで待っても来ない、スチュワデスのマドモアゼルに、ギャルソンジャポネが2人乗ってなかった?と聞いたら
見かけなかったと素っ気なかった。
案の定悪い予感はいつも的中する。日本ではウイストラムなどという港は地図にも載っていない。ポーツマスでノルマンデイー行きのフェリーと云えば有名だが、、、じゃ、サンマロへ行ったに違いない。じゃ家に帰って待つしかない。折角の日曜日が半日消える。昼頃やっと電話があり、やっとサンマロの町見て汽車でCAENについた、駅で待っているッテ云うから直ぐ迎えに行く35分まっとけ、と云って、車を飛ばす。疲れた顔の2人を乗せて、どうする?と聞いたら、案の定、焼魚と味噌汁で米の飯食べて風呂に入ってねたいという。「日曜日だぜ!」というが反応はない。文字通り「お休み」中。家について、メシの支度し、自家製のあじの干物、わかめとネギ(広葉の)の味噌汁、ぬかみそ代わりにパンで漬けたお新香で旨い旨いと電気釜を空にする勢い。風呂に入って、4日ぶりとかいいながら、毛布ひっかぶって、昼寝から翌朝まで、途中でキツネうどんをつくってやった。
朝から、絵描きの玉子の町オンフルールを皮切りに、セーヌ峡谷(海の手前僅か13kmのところに10kmのうねった峡谷がある)を廻って、日本で習わない地理の勉強をさせる。そしてエトルタまでの入り口、海に切り立った500mの絶壁が落ち込む大断層海岸のフェカンまで廻って、大西洋東岸随一の港、ルアーブルに出て給油、安い庶民食堂タバに這入って、質より量の海ナマズ2匹の煮付けがデンと出てくるサラと、大きなツボも持ってくるムール貝の2人分を注文、コレで日本でのラーメン2杯いぶんの値段よ!と云うと、目を丸くしてしかし懸命に平らげる。ビールは高いがテーブル・ワイン(ヴァンタブル)は安い。幸い甥っ子が運転代わるというので私と山男が呑む。甥っ子には注文聴いてろよと、ギャルソン呼んで、「萬太郎」を注文する。久保田万太郎の万太郎と同じだが、若干抑揚が違うだけ。昔縁日の夜店で買った懐かしの緑色の、ハッカ水です。コレがどのタバでも一番安い飲み物デス。帰りは、甥っ子がヂーゼルのターボでオーバードライブで転がしてみたいというので、デイエップの奇巌城エトルタを見て、戻り、タンカーヴィルブリッジを渡って、A-13まで廻り、200km/hの直線高速ドライブを2分ほど経験させました。(制限は130km/hです)トロウベルへ出て、海に面した貝とエビの旨いレストランでドーバーの水平線の手前に沈む様に見える真っ赤な太陽を観察して貰い、その日を総括しました。何でか二人とも寝付かれなかったと言って翌日は昼過ぎ起きてきて、食事。ゆっくり新聞読んでる。どうすると聞いたら、サンマロには行ったことになったが、モンサンミシェルに行きたいと言い出す。山男は歴史に名高い、征服王妃の歴史タピスリーッテノも見ておきたいという。「追いもうかれこれ2時だぜ!」と支度をせかす。ノルマンデイーの上陸激戦地ペガサス橋の橋頭堡やカーンのギヨーム征服王の城、1万数千人宛の英米連合軍とドイツ軍の無名戦士の墓が累々と続く海岸は、すべて車窓からの説明に留めて一路バイユの教会へ急ぐ。入場テケツが確か4時きっかりに閉まるのだ。日本から来る連中はなんとかしてくれる、そこをナントカ流だが、パスカルの国フランスでは通用しない。午後の受付は14-16時なのでした。なんとか滑り込みセーフで、1630分までの30分で、タピスリー54mの長丁場の絵物語は、要点説明だけ。征服王妃が、侍女と一緒にハレー彗星を見上げるくだりで、もう立ち止まる観光客の一団があり、時間が足りませんよと追い抜く。未だ40mもあるのに。なんとかギリギリ観光団と一緒に追い出され。、、、
モンサンミシェル

さあと、これから、モンサンミシェルに向かう。130km/hの制限のところは160ぐらいがフランス人の相場。コレを守って、大体先頭を走れば、チョイマチは懸からない。異国人で、2番目を走ると、交通警官に止められる可能性大。「前の車が制限越えて走っていたカラ、、」はロジークの国フランスでは通用しない。「前の人が死んだら君も死ぬのね?」と揶揄されるだけ!自分の主体性をいつのバワイでも堅持せよ、、、がフランスの絶対個人主義の芯棒なのです!まあ、180kmぐらいまで行きました。そして漸く、モンサンミシェル、にたどり着いたら、駐車場のオッさんが1時間遅い、もう先ほど博物館や僧院は閉まった!東向きの展望台しか開いていない、急げ!ヴィット!ヴィット!と追われるように展望台へ。一番上ではないのが残念ですが、まあ、砂嘴で島と陸が繋がル前は、修行僧が、急な潮流2kmを泳ぎ切って、その信心の深さを主に示した、、、邪心あれば行きは良くても帰りに潮に流される、、、修行僧も多かった意味理由を地形海の深さと潮流を上から見ることで説明できました。
そのあと駐車場のオッさんがおまえの車はあと20分で潮が来るぞといいに来てくれ、なんとか、砂浜で、息抜きして車に戻り、ギリギリ波が来る前に、帰途につきました。
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