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小人閑居して:真空管回顧録(2)

この回顧録を書いている年のフランスは大革命200年記念の年。丁度ど真ん中の100年前にパリでは記念の世界万博が開かれ、その目玉企画として、長波放送でヨーロッパ中はおろか世界にラジオ放送を行うために、パリにほぼ1/4波長のエッフェル塔を建てて放送と云うことを世界で初めて行ってから百年です。日本でも、第一次大戦の連合国側に這入ってドイツに勝って意気揚がり、上野で博覧会が開かれれた時、ささやかに「ラジオ放送」というモノの実験が行われたそうです。ところがこの放送を受信したゾ、とか博覧会以外の場所で聞いたぞと言う記述には未だお目に掛かったことがありません。詰まり学校の拡声器と代わらない放送だったのでないか?本当に電波が出たのかは甚だ疑問です。昭和に這入る頃、JOAK(東京)、に続いて、JOBK(大阪),JOCK(名古屋)が個々に次々に中波放送を開始し、漸く、受信料を払って受信許可をお下げ渡しいただけば、勝手にラジオを買うなり、作るなりして聴いてよろしい時代が来たのです。昭和4年頃、古河鉱業が、エボナイト樹脂の筒に固定した割と安直に鉱石の検波点を探り当てられる,Foxtonと云う鉱石検波器を発売し、鉱石ラジオが大きな竹竿アンテナとアースが要りますが、庶民の
間で自作熱が上がります。放送は料金を払って、受信許可をお下げ渡しいただいてから、勝手にラジオを買うなり作るなりした時代です。うちの親父もFoxtonを入手し、バリコン、マイカドン(雲母蓄電器)とレシーバ(今様はヘッドホン)などを買い込み竹竿でアンテナを張り、銅板を埋めてアースとし、23Km離れたJOCKを聞いていたようです。戦後になって、親爺が我々兄弟に放出してくれた鉱石ラジオは、こんな仕掛けでした。

親爺の鉱石ラジオ
この頃の親爺のラジオ熱は相当のモノだったらしく、当時(昭和4~6年頃)の誠文堂新光社の「無線と実験」誌も十数冊放出してくれ、貴重な参考書になったはずですが、四散して残っていません、残念です。
親爺は、電灯線が配電されるや、給電時間の夜間だけでも蓄電池の充電と、ラジオも直接エリミネーター電源にしてB電池を節約しようと、ケミレクの記事を読んで研究し、純アルミ板何枚かと琉酸、アルミ明礬なども通販購入し、ラジオ屋を廻って、呆けた蓄電池のガラスケースを貰ってきて、ケミレクをいくつも作っていたようでした。ケミカル・レクチファイヤー詰まり化学整流器です。現在でも、ペーパーコンデンサーやケミコンのアルミ箔の化成処理で容量性酸化膜を作るときには、まったく同じ化学反応で、コンデンサーが作られますが交流を掛けても一方にしか電流は流れず、プラスマイナスが生じ、電流は脈流ながら半波整流されて陽極側に酸化膜が生ずる電解化学反応なのです。電解コンデンサーには極性があるのはこのためです。JOCKが正式開局してからは、爺さんは次弟が西宮と名古屋に支店を出して、エジブト綿やインド綿の仲買の商売やっていたために、相場や株式市況を聴くために、親爺が通販で部品を買い集めて木箱に作り込んだ、電源整流管とも3球ラジオが長いこと爺さんのラジオで、、、、鉱石検波2球レフレックス式、、、実質RFamp224-foxton鉱石検波ーAFamp224-AFoutput201Aー朝顔マグネチックスピーカ、、、整流KX112Bという回路構成であった。子供の頃良く爺さんのひざを占領して、この朝顔か筺の中にはよくまあ喋るこびとのオッさんが、朝から夕方まで、腹の減らないことだと感心して聴いていたモノでした。爺さんの相場と相撲のラジオ
昭和8年に2回に分けて、ラジオ聴取許可料が半分宛に下がり(2円が1円に更に50銭に)、
急速にラジオ屋が増えたようです。もう自作する時代ではなくなったようでした。515事件やノモンハン事件、さらには226事件と軍靴の響きが高まり国粋主義徳富蘇峰があおり、大陸の戦線拡大、ラジオは生活の一部となっていく。局型123号ラジオという3ペン型(5極管を含む3球ラジオの意)と、どこにでもあるビン球真空管4本で作ったラジオの意味の並み四型ラジオが庶民の普及の中心。勿論、ハイカラプチブル階級は電蓄附きラジオからラジオ附き電蓄に、、。ヴィクターのラヂオラから始まって、エレクトロラ(電蓄)、更にラジオエレクトロラ(ラジオ附き電蓄)が百貨店やラジオ屋の店頭を飾るようになった。スーパーへテロダインの登場でした。2A7(周混)-56(局発)-58(IF)-2B7(検・低増)-2A5(出力)又は、-56(低増)-2A3(出力)-KX80(両波整流)という案配。勿論中学教師の分際の親爺にこんなハイカララジオが買えるはずもなかった。昭和15年の夏に爺さんが秋に婆さんが相次いでなくなったら、ラジオ屋が来て、親爺に並み四ラジオを押しつけていった。新品に見えたが、こうね如区中を見たら中古部品緒組み合わせ、真空管も旧型のビン球Sシリーズの並み四ラジオであった。子供が7人になっていたのでした。再生検波227(検波傍熱3極)-226(AF)-112マグネチック紙コーンスピーカーKX112Bと云う旧シリーズ。旧型並み四
再生検波方式というのは、検波仕切れなかって陽極回路に重畳する高周波成分を、もう一度同調コイルに戻すことによってオートダイン発振に近づけて、見かけ上の選択度と感度を上げるアームストロング教授の発明回路。検波方式は、陽極検波でもグリッド検波でも有効に働く。この並み四は、戦後鐘の鳴る丘、おラア三太だ!なども聴いたが、ある冬、ネズミの巣になって、小便ショートして、トランス類も焼けておシャカになった。代わりに私が、4球スーパーを作って、紙コーンスピーカーとシャーシーだけが生きた。同調回路に軽く再生を掛けることで、540kc/s付近でDZBBフィリピンの放送も聞こえるほどであった。6WC5(周変)-6D6(IF/AF増)-6c6(グリッド再生検波)-KX12F(半波整流)のD6レフレックスで働かせた。

(続く)
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☆☆為になるリンク:
真空管のポンチ繪は飽いた!真空管の写真が見たい!ッテあなた!!!に。
古典真空管グラフ
横文字でならVirtual Valve Museum
当然ながら、、、手書きパピーニュウスの時代には考えも及ばぬ写真集です。
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