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北関東育ちでないとわからぬ両毛や戦場ヶ原

関東と申しましてもいささか広いし、まして中部地方の田舎育ちでは、所ジョージのせりふじゃないが、『学校では教えてくれないソコンところ』、、、のひとつ2つかもが北関東にはあるってことですね。北の方まで大きく見える関東の地図です。
JR両毛線
両毛線


地図のほぼ真ん中ちょい右上の東北本線小山から、西へ栃木、佐野、足利、桐生、伊勢崎、前橋と走るJRの上掲の渡良瀬川鉄橋の写真の路線は、JR『両毛』線というのですね。これがどうして『両毛』なのか、他国ものにはトンと判りません。とうぜん学校でもおしえては貰いませんでしたね。ここらあたりの幕藩時代の国の名前で言うと、、、群馬県の辺りは「上野」と書いて「こうづけ」、栃木県にかかっては「下野」と書いて「しもつけ」、、「両野」線なら了解できますが「両毛」線では『?』付けて責任者出て来い!、、、ですね。ところが幕藩時代でなく数百年も以前の大和朝廷時代の政権力版図の図の東端に、、、こんな文字が見えます。
の国けぬ
群馬・栃木県の南の部分と埼玉県のごく一部あたりに『毛野』(けぬ)と言う大和朝廷皇族ゆかりの豪族の支配する国があったようなのですね。それが二つの国に分けられたがために、「上ッ毛野」と「下ッ毛野」とされ、さらに霊亀元年(715年)の『好字2字令』によって「上ッ毛」が「こうづけ」=上野、「下ッ毛」が「しもつけ」=下野と簡略化して呼ばれることになっていたようです。ただしその両国をまとめると毛が生きて来て『両毛』!、、、これではよそ者にはわかるはずはないんですねJRさん!。
これに関連してもう1つ『鬼怒川』、平安時代は『毛野川』、養蚕が盛んになった徳川時代後半には「絹川」と呼ばれたこともあるようですが、毛野川が由来。『鬼怒川』と文字を改めたのは明治新政府の役人らしい。、この川は、安政・天保の頃までは、宇都宮、筑西あたりまでが川で、現下妻あたりからは葭原湿原の中を広がって勝手に静かに霞ヶ浦まで流れ込んでいて、天保から始まった利根川の瀬替え付替え大治水工事にあわせて下妻以南守谷付近まで流路を確保し堤を作って川の形とし、新しい利根川に合流を図り、下妻以南にかなりの稲田を作り出したわけですが、どうにも川の勾配が不足で大雨に弱く川床が上がって荒れ川となっていたのですが、明治になっての天井川対策のひとつとして工事するに当たりこの下妻以南の新しい川部分を意識する名前が必要となり、荒れ川状態であることから上流の静かな「絹川」に対して鬼が怒ると当て字して「鬼怒川」にしたらしい。ところがその後建設省や河川法が出来て川の名の統一が叫ばれ下流の名が勝つ下克上で上流まで『鬼怒川』になってしまったもののようです。

 2つ目の『判らん!』は、この川のずっと上流になるのか、日光の中禅寺湖に注ぐ湯川の上流は、ずっとおくのほうの日光湯元あたりには立ち木も林もあるは有名ですが、その手前男体山の西麓あたり立ち木が1本も見当たらない葦原湿原でここは、なぜか風景てきにもおだやかなただずまいであり古戦場でもなさそうなのに『戦場ヶ原』とよばれるのですね。これがよそから来た者にはさっぱり判らない。行ってみれば、その名の由来の看板までありますが。なんと大和朝廷時代よりももっとずっと昔、完全に神話の中のお話なのでびっくり。
戦場ヶ原付近001mc
 神代の大昔、男体山とずっと西の山が中禅寺湖を取り合って取っ組み合いの大喧嘩となった。まあ1つの大戦争、男体山はおろち(大蛇)に化身したし、赤城山は大きな百足(ムカデ)に化身して互いに一歩も譲らない態勢、双方とも地面低く這い回ってこの白根山と男体山間の低地の樹木を這い回って根こそぎ潰して倒し相手に絡んで死闘したが、勝負がつかない。男体山の孫が石背(いわしろ}福島)に居て猿麿と言ったのが呼ばれて、男体山の加勢に来た。手がない者同士の戦争に手のあるものの加勢で弓矢が扱える。とたんに形勢逆転猿麿は飛び道具・弓矢でムカデの目を次々射てしまったので勝負がついた。目から血を流した大ムカデの山が『赤き山』=「あかぎやま」=>『赤城山』説が有力です。また、戦場ヶ原の低地の樹木がなぎ倒されすり潰されてなくなってしまったので今にいたるも木が生えられないのだそうで立ち木は1本もありませんね。、、と言うわけで『だから』こそ『戦場ヶ原』なのだそうです。

1つおろちのついでに蛇足的に付け加えておきますと、男体山(2484m)は日本でも恐山と並ぶ有数の古い山岳信仰の山で、8世紀にはすでにげんざいの山頂とは違う位置に信仰遺跡が残っていたと言うことで、勝道上人という導師ガ755年ころここに信仰堂を建立『補陀落』(梵語で「ぽたらく」=観音菩薩の修行場の意)山と名づけたのが『二荒山』と訛り、さらに弘法大師が、ここでこれを『日光』と音読みしてしまったという結構な話がもっぱらですね。二荒山神社奥宮の神像と社殿の画像です。
120px-あt_Nantaisan_大shinzou200px-Nikkō-futarasan-jinja_okumiya社殿-2




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コメント

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Re: もしかして

> もしかしてブログでもしてらっしゃるのではと、娘に検索してもらいました。
> 津島出身の氷室さんでらっしゃいますか?
>
> 私は不器用ですので、妻のumenoatsuko@gmail.comに連絡いただければ幸いです。

梅野きよっさん、まいったな、そのとおり、、、

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