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日本の市制の始まり

日本の幕藩時代には、郡はありましたが、市はありませんでした。郡代という郡奉行が居て郡部の政治から取り立て裁判まで仕切っていたようです。外国の見聞記から市制度が地方の産業振興に必要という考えを持っていたのが、惜しくも刺客に暗殺された他ならぬ坂本竜馬だったがために、ご一新がなっても、明治新政府の上ツ方どもは、なかなかそこまで手が回らず鹿鳴館時代というたるんだ10年という大事なときを、空費して、市制を布告することになったという告示が出たのが、明治22年2月、予定されるとした36都市の名前が参考に挙げられました。そして同(1889)年4月に下図のような31市が誕生ています。
明治22年4月31市mc001
2月の時点では名の挙がっていなかった佐賀市が、葉隠れは遅れはとらじと、滑り込みセーフしていますが肝腎の東京市と、名古屋市が滑っています。先ずは人口が集中したままの雄藩の城下町と開港の港町から、、というところでしょうか。
明治22年の2月の内務省告示に予告されて滑ったのは、東京と名古屋のほかには瀬戸内を挟む、岡山、高松、松山、徳島が入っていたのでした。瀬戸内に続いて太平洋岸関東が少ないのが気になりますね。
東京はたった1ヵ月後同年5月市制施行に漕ぎ着け、名古屋は半年後10月に市制施行しています。少なかった関東には、その後1892年に前橋市、1896年に宇都宮市、1900年に高崎市、と生糸・絹織物の集散地が続いて、東京府おける絹織物の集散地八王子市が、続いたのと軌を同じくしています。やっと通り魔のような刺客の刃に倒れた坂本竜馬の維新後の文明開化の大きな夢*)の中に、日本の革命の暁には殖産つまり、産業を起こすためには労働力の集約が必要で人口の流動とそのための莫大な投資が必須と考えていたことが、やっと明治新政府によって実現した、、ということであったのでしょう。明治新政府の努力は、幕府のほかに諸藩が、勝手に諸外国と交わしていた、銃砲武器弾薬などの輸入契約の不平等条約や契約を近代的平等通商条約的な、契約に置き換え自らの契約に肩代わりさせ、しかも、その支払いの主体を、金銀でなく主として生糸・絹織物での輸出に置き換えるという七面倒な交渉ごとに四半世紀という年月を要していたのでした。因みに、この契約などの置き換えの最後のものの調印が終わったのが明治23年10月の5日、、、そしてその月の月末に、日本の新生宣言とも言える、、、明治天皇の教育勅語の煥発が行われています。
教育勅語は、もうひとつの意味では道徳宣言でもあるのですが、このようにして見ると新しい地理と歴史が1つに結びついた記念でもあるのですね。
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*註:坂本竜馬の大きな夢:維新革命後の新生日本の文明開化の夢:
政の大本は、治山治水と食料の確保による領民の安堵安定はもとよりのこと。行政と司法の分離と信教の自由は基本。そのための立法府議会は、二院制とするも4民平等。教育制度を起こし殖産に励み、国を富ます。
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諸藩の殖産奨励に興味を持ち大いに薦めた幕末の人には、平賀源内がありますが彼には藩単位かせいぜいその地方までぐらいの大局観しかなかったのが惜しまれます。坂本竜馬の方はずっと広い視野で資金投資と労働力集約の必要性までを見抜いており、具体性が非常に強いのです。そのために視野の狭い尊皇攘夷派の志士たちの目からは逆に『西欧かぶれ』と白い眼で見られかねない、、程にも視野が広かったのですね。当時の常識から四半世紀も先を見すぎていたのでここが刺客を送られることになる、、、キーポイントだったのでした、とても残念なことですが。
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