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FM5 マルチニークのモンペレーの爆裂

地球の大地の歴史には海が割れて陸が繋がるとか、大造山運動で、海の底が持ち上がって、戸隠山が出来たとか言うのがあるようですが、、、これらはまだ地球が熱くて、生き物が住んでいない有史以前のことのようです。ところがベスビオの噴火など、ナンとか歴史に残るように火山の噴火・爆裂などは、文化を持つに至った以降の人間が目にしたこともある出来事です。ただ余り近くで目撃すると、目にした当人は、生きていられない運命に至るというわけです。
20世紀初頭に起こった、一人の例外を除いて全島爆発して死に絶えたが、奇跡的に生き残った人が偶然救われて語ったというフランス領マルチニーク島のモンペレーの爆発噴火の模様を当時の新聞画家が聞き取って繪にした、と言うTV番組を思い出し書いてみます。FM5DN


このマルチニーク島は、16世紀大航海時代の先駆け、コロンブスの第2航海で発見されたのですが、金銀など何も鉱物資源がないので、美しい緑と花の島として報告されただけで悲劇の島としての歴史が始まりました。1575年頃スペインの隙にイギリスが再発見、アフリカ奴隷数千人を送り込んで、タバコと綿花の栽培を策して十数年で失敗、疫病で死滅。17世紀にいたり、フランスが再発見、ところが先住民の娘どもが、性病を持っていたことから、フランス海軍水兵どもが怒って、全島を焼き尽くしたようです。その後ほとぼり醒めた頃、探検隊を送って調査、フランス領有を宣言、西アフリカの黒人奴隷6千人を移住させ、サトウキビの栽培をザワワザワワとさせて成功、フランス人の入植者と半数同志になるようにしていたようです。ナポレオン皇帝の彼女、ジョセフィーヌもこのマルチニーク出身の美女と言われています。FM5DN マルチニーク004
1902年、この島の火山の一つ、モンペレーの麓を中心に、地鳴りと微動が始まり、、、当時の首都サンピエールの西南に隆起が起こり、やがて、2-3日間に100m以上に達する溶岩塔が聳立したようです。そのさまを目撃した人たちは一人を除いてその2日後に吹き飛んでしまったのです。

この島には鉱物資源のないことは先述しました。しかし不勉強な商人はいるモノで、注文予約金でパリの商品を販売しようと意気込んで、売り込みに来た若者がいたのですが、、、この島はの法律は物々交換か、商品と金は同時取引しか認めない(絶海の孤島ですから予約金渡してもいつ商品が来るかの保証はあり得ないから当然!)為知らないではすまされず、詐欺行為として囚われ即決1年間の禁固刑で、切出石で作られた、窓が小さくて高い獄舎に収容されてしまいました。

その後直ぐ、地鳴り微動が始まり、10数日を経ずして溶岩塔が、聳立したとの話を獄吏から聞いた、青年が、壁をよじて、窓からのぞき見した細い入り江の直ぐ対岸に、ガラスかオニキスか、半透明のような、不気味だが美しい光景、昼も夜もその中では赤黒い悪魔が踊っていたようだったと語ったそうです。FM5+マルチニークの溶岩塔の図_convert_20090826184956
2日後の明け方耳を聾する爆発音と、もの凄いねっぷーが、獄舎の鐵窓と、格子を吹き飛ばし、火山弾が飛び込んできたようですが、シャツが丸焦げになったのと、一部火傷で済んだのだそうです。その夕から豪雨が降り獄舎の屋根も吹き飛んでいたので、大いに生き返ったのだそうです。

一方、こちらはそうとは知らぬ、一隻の気帆船が、フランス軍艦に守られて、爆発の4日後に、島警護の水兵警官政府職員教員、入植者等の交替要員を満載して、サンピエールの港に入港しようと、、、西側に廻ってみると、、、「島を間違えた!おいマルチニークじゃないぞ!港もなけりゃ第一モンペレーがない!!しかも無人島のようだぜ!」

南に行くと、噴火湾はあり、マルチニークであることは見当がついたようでした。新聞記者3人と一人の新聞画家が乗船しており、マルチニークに何が起こったかを、探検するチームに加わり、直ちに上陸、首都サンピエール目指して、歩行探検することになり、殆ど走るようにして北上して夕刻に、サンピエールが遠望できるようなところまで達したとき、鉄棒で鉄板を叩くような物音を耳にし、音を頼りに、探して、片方の鼓膜は破れているこの囚人を獄舎の中に発見、直ちに応急手当、、、流動食補給、、、と言うことで、この生き残りは偶然の重複によって、生き延びたのだそうです。

聴取は、翌朝からイラストレイター付で行われ、中でもこの溶岩塔の繪は極めて忠実に描かれたモノであるとされているものだそうです。TV番組で示された繪を僅か数秒瞥見して、直ぐ再現しようとしましたが、細部は、「感じ」だけになりましたが掲出いたします。

因みにその時の島の総人口は、2萬8千人ほど、因みに100年後の現在は、駐屯フランス軍人も入れて24万人ほど、逆にフランス本土で暮らす、マルチニーク出身者が25万人ほどだそうです。

又この強烈な爆発火砕流にも耐えて、一人っきりだが、囚人の命を守った、切出石の特性が評判となり、20世紀の奇跡の石「抗火石」として、この頃から急速に起こった、化学工業の耐火材料耐硫酸性材料として時代の寵児としてもてはやされ、、、ヨウロッパ始め各国の化学工業、窯業の近代化材料として、山容為に改まるほどの莫大な量が切り出されて輸出されたようです。書き添えておきます。
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