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亀の子?亀の甲,,,は苦手?親しみましょう

「柿喰えば 鐘が鳴るなり法隆寺」、、、あわてて未熟な柿にかぶりつくと、グぁ-ンと渋にやられて、舌の付け根が引き攣って声も出せぬほどの「法隆寺の鐘」にやられることがあります。正岡子規も経験者かどうかは関知しません。
4半世紀ほど前の前後6-7年はフランスの北岸ノルマンデイーに住んでいましたが、川向こうと言うほどのイギリスへはどういうワケか晩秋に行くことが多くロンドン場末のマーケットで良く柿を見かけましたが、パリの13区並みに、「persimon」の名は見かけられず何でか、両国とも、、「KAKI」でしたね。又ミカンが両国とも「SATSUMA」と表示してありました。「所変われば呼び名も変わる」でしょうか。
法隆寺以前の所謂「大和時代」すでに「柿」が付く姓が、現れていますから、上古の時代からすでに日本に柿はあったモノと思われます。コの柿の青柿の渋いことも、古今東西を通じて変わらないのだとも思えます。又この渋は、古くから日本の農民文化として、いろいろ利用されてきました。渋紙を初めとする、繊維製品の耐水姓や耐摩耗性の強化、漆と共に一閑張りなど、又、金属との結合性を利用して、鉄漿黒染、肥後象眼、などは伝統文化でしたが、、、
肥後象眼
最近の都市鉱山の携帯基板からの金の回収にも柿の皮の水溶性ゲルへの金の吸着を利用しての近道製錬法の研究など、、、柿渋ならではの応用は目を見張るモノがありますね。
我々の学生時代には、いくら、亀の甲、、、つまり「有機化学が好きと言っても、柿渋にだけはさわるなよ、あれくらい恐ろしくも怪異的なモノはない、第一高分子過ぎる、水溶性に見えて、あれだけ大きな分子が水に溶けるとは思えぬし、、、ヤメトケ!」と言われたモノでしたが、60年経った今、研究結果を見せていただくと、、、確かに分子量は13800余ながら、その分子構成は意外にも4つの相似た構成要素なのだそうで、、驚きを禁じ得ません。
柿タンニンの推定構造
このガロール構造は、会社生活時代に紙フェノール基板用の接着剤付銅箔に、酸素をなるべく積極的に食い潰させる為の配合物として、焦性没食子酸(ピロガロール)をどうやって持ち込むか、、、結局簡単なアルコールとのエステル化で実現したのですが、紙基板での耐トラッキング性を刮目的に改善できたのでしたが。「「ガロール」にはお世話になりました!」という気持ちがあります。
思えば幼稚園時代に、人生一番の危機をもたらしたと言える「亀の子」事件で中途退園させられた私がこともあろうに「亀の甲」(有機化学)に強くしていただいたのは、忘れもしません戦前の「実業団野球」の一方の雄「藤沢樟脳」の主軸打者で「怪物」の異名を取った北川敏雄氏が野球引退退社後、私の母校の物象の先生をしてくださって我々生徒は「怪サ」(尾張弁では「キャーサ」)とあだ名したのですが、野球や樟脳の「脱線」もあるモノの非常に分かり易く化学を噛み砕いて教えていただき、特に化学反応式はその「物象計算法」と共に生徒連の共感を呼び、我々の学年の同級生が一番化学に進んだ率が高いという統計にまで表れました。
更に、もうひとりの化学の林先生が、終戦直後で一時期「教科書が消えた」空白時間を最高効率的に利用岩波の「理化学事典」(当然・戦前版)の付録の2についていた「有機物 萬国命名法(Geneva System)」を、助手にガリ版切らせて謄写印刷配布、化学の時間の半分はこれでしたから、有機物の構造式と共に、ラジカルの名前、機能、発揮されそうな性質、などを含めての説明と命名法を、簡単なモノから次第に難しいものまで噛んで含めて教えていただき全く「亀の甲」つまり有機物の構造式に対するアレルギーが無くなっていたわけです。、、、後年会社生活で、「オイ、塗料会社の技術課長が、失職した!おまえ明日からすぐ、技術課長で行け!」式の人使いの荒いこと一流の会社で、すぐ翌日から、塗料の配合表をくり、納入原料有機溶剤のガスクロ分析結果も見て判る、、、、こんなコトも平気でこなしたわけでした。全く旧制中学高校時代の化学の2人の先生のおかげ様様でした。
藤沢樟脳
樟脳は、文明開化の明治時代、ひょとかすればもっと前からかも,着物、反物の防虫効果が知られ、虫除けだけでなしに、その強烈刺激臭にネズミも、ゴキブリも寄せ付けない便利さがありました。明治の後半から大正に入る頃、日本でも、石炭の乾留によるコールタール成分からの分溜で有機化学工業が開け始め、家庭に入ったモノの一つに、トイレの尿石防止も兼ねたトイレ球などと共に毛製品の防虫用にナフタリンが出現しました。
ナフタリンボール
戦時中に大発生して人間にたかった、ノミ、シラミ、南京虫、などの一斉駆除には占領軍GIが、住民を全員呼び出して道路に一列に並ばせ、粉末噴射器ポンプで、胸と背中に1吹きずつ、DDTなる殺虫剤を吹き込んでいました。モノの1-2ヶ月で、家の廻りのノミ、ダニ,シラミ、南京虫まで居なくなって、終戦の頃のあのシラミぞろぞろはいったい何だったのだろう?、、、でした。敗戦後の物資払底が漸く落ち着いて、家庭の日用品の供給が回復する頃には、もう樟脳、ナフタリンに代わって「パラゾール」などという新しい防虫剤が登場しました。化学名はパラ・ジクロール・ベンゼンといいました。
パラゾール
これらは皆、固体の結晶から、その成分の蒸気の気体になって揮発する、これを昇華性といいますが、昇華性の結晶です。樟脳は、クスノキの精油成分で、クスノキの枝・葉・幹・根などを切り取る、くりぬくなどしたモノを水蒸気蒸留して、水を分溜除去して精製します。台湾が日本の領土となった明治時代の半ばからすぐに、台湾ではクスノキを植林して、この樟脳を大増産して専売し、世界の防虫剤需要の80%以上のシェアを台湾樟脳が占めていました。当時台湾の樟脳専売局は、南投県の濁水渓のほとり、集集にあったそうです。私が、1986年頃から4年余南投県南崗工業区にある工場に勤務した頃は、付近の寺社公園などの楠の大木の太い幹や根は中の木質は綺麗にくり抜かれて樹皮と一部の導管だけが残っているだけで結構高く聳えていてびっくりでした。皆戦時中までに樟脳が抽出された名残でした。
樟脳の昇華揮発による撥水性を利用した簡単なおもちゃに樟脳船があり、戦前の夜店や祭りので店の子供相手に売られたセルロイド製の樟脳船は、ベストセラーでした。私もセルロイドの下敷から切って作って走らせましたが、樟脳では走るのに、ナフタリンではなぜか走ってくれませんでした。どうやら此の違いが、樟脳は、ネズミやゴキブリも寄せ付けない、、効果のモトのようでした。
樟脳船
いずれも防虫剤としてはかなり確実な効能がありますが、、、だからといって、此の3つの防虫剤を一緒に使ってやろうなんてこと言う虫の良いことは考えないでください。虫の祟りではありませんが、化学の「ばけがく」たる所以で、衣装箱の中で、大事な衣装が薄茶色の細かいシミだらけになります。化学ではこれを3成分系の共沸点混合物・凝縮azeotrope-condensationと称する珍しい現象の典型的な一つの組み合わせで、それぞれから昇華した3つの成分蒸気が混合されると、或る温度で、3つの液体が同時に凝縮液になって降ってくる、、(それぞれの蒸気が別の空間で個別なら決してその温度では凝縮しないのに)、、そして又このシミが一旦衣装に付くと、、、厄介なことに、普通のクリーニング屋さんの染み抜きでも一挙には染み抜きできないという、、、有機化学独特の不便さがありますので、呉々もこれらの防虫剤の混用にはご注意ください。
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