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因幡の白兎・考

尋常小学校何年かで、国語読本と、小学唱歌で、因幡の白兎を習いました。歌の始めは
♪大きな袋を肩に掛け、大黒様が来かかると、そこに因幡の白兎、皮をむかれて赤裸、、、
♪大黒様は憐れ神、きれいな水で身を洗い、蒲の穂綿にくるまれと、よくよく教えてやりました。大黒様と兎_convert_20090616115133
そうです、国語読本では大国主命、が、唄では大黒様と唄いました。お正月に宝船に乗ってやってくる7福神の一人、大きな袋を担いでいるはずなのに、この鳥取の白兎海岸の像は、少し情けない!憐れ神ならぬ哀れな神様?ン?(確かに大きそうな袋「だけ」肩に掛け?)
フランスでは、マイナー出資側なのに、合弁社長がフランス貴族の8男坊!従業員の給料日は、シェック(銀行小切手)150枚のシ-ニュするのをめんどくさがって、パリに帰って仕舞うので、コレが私の仕事に廻ってくる、、、同様に、工場管理から、組合団交まで、,,一切お任せナノで、夜寝る暇もないくらい忙しいことがある。そんな日々のあとは組合長も、職長連も、気の毒がって、今度の週末は24時間だけ工場留守にして佳いよ、、、と言ってくれるので土曜日の夕方からパリに上京する。

そんなパリで、UNESCOパリ本部の日本代表部のE・Nさんから頼まれて、急いでアジヤの民話説話(童話)集の、抄訳をさせられたことがありました。

インドのが貧しい貧農の村から出かけて、独り立ちする出世物語、、、から始まって、、、
フィリピンの、母思いの3人兄弟が、それぞれに競争して、兄二人は都のある島に行くために海を渡り商売人になるが、、、兄2人は焦って、結局失敗し、無一文に。末っ子は、母の言いつけをよく守り、直ぐには都に出ず、貧しい人たちに路銀を恵んでやってしまい、直ぐ無一文に。ここからが違う、母は何でもよく考えることを大事に!と言っていた。何かの弾みに転んだトタンに一本のヒモを拾う。日本のわらしべ長者と同じ、偶然近づいてきた野鶏と仲良くしヒモに野鶏を捕まえてくくり、忙しい商売人の家の庭の脇で眠ったが、朝早く野鶏が時を作って、、、叱られると思いきや、この鳥は役立つ、毎日うちの庭で眠れ、商売はワシが手ほどきしてやると、、、売り買いのコツを教わり、仕入れ先も教えてくれて、短期間で、いっぱしの商人になり、嫁も貰って、家に帰ってきて、兄にも商売のコツを教え兄弟3人年老いた母の面倒見て幸せに暮らした、まあ、日本のわらしべ長者まがい。

さて、次のインドネシヤ。ざっと読むほどに、私はビックリしました。小学校時代に習った、兎が鰐鮫を騙し損なって、皮を剥かれる、あの因幡の白兎の話、、、日本には昔から鰐なんて居ない!と当時子供心に強烈に反発を覚えた!あの鰐鮫を騙して皮を剥かれるそっくりの話がインドネシヤの話として語られるではありませんか!?

因幡の岬の兎が、大風で、海に落ちて流され、隠岐の島へ流され、、、陸へ帰りたくて、鰐鮫を騙す話は、口述筆記文書の始めの唯一無二の古文書「古事記」に、稗田阿礼の口述、公務員「太 安萬呂」の筆記と明記される、いわば公文書にあって、しかもこのなかに「鰐鮫」と漢字で書かれているという。日本古来の話では無さそう!と思った小学生時代の疑問が、一ペンに目の鱗が落ちた感じでした。
但し、日本の因幡の白兎の話と違うところは、、、大雨が降って川が氾濫し、その鼠鹿(インドネシヤ語で[kancil])には川が渡れなくなっていた。それで岸に寝そべって眠っていた沢山の鰐に声tを掛けて騙して向こう岸まで並ばせ、数を数えて自分の仲間と比べると言って渡り、最後の一匹に飛ぶところで、、、こいつら騙されやがって!と囃し立てたので、とっつかまって、皮を剥かれて、、、。更に、
日本話では地方の神様は海の水で洗わすが、インドネシヤの地方の神は、白い粉掛ければ治ると、、、自分たちが弁当使ったあと、白い粉の小袋を置き忘れて去る。コレがなんと白胡椒。カチカチ山並み。水の神様(龍神ナーガ)が通りかかって白胡椒を流してくれ、蒲の花粉が外傷には良く効くと教える。こうまでそっくりでは、、もう、疑う余地がない。

当時の東アジヤでは、もう数千年来中国が文化の中心で、こうした説話、寓話のたぐいは漢字文化と共に、中国で集約されていたに違いない。日本の当時は、技術・工芸等の工の方は韓半島の工人の腕伝承が主体であったにせよ、漢字文化暦法陰陽、行政組織文化などはそっくり中国のモノを受け入れていた時代。漢字文化の移入に連れてついでにこのような説話が伝承されても不思議ではない。

因みに、現在のインドネシヤ中の各島を探し回っても、、、野生鰐は一匹もいない。だからといって、日本の話が先で、インドネシヤがあとというのは早計に過ぎる。明治から大正の頃までは、インドネシヤにはまだ、野生鰐がごまんと居たのです。明治27-8年、オランダの東インド会社が、インドネシヤの統治を委託されて、オランダ領となってオランダ人が各地に住み込むようになったが、うっかり事故で、オランダ人子女が鰐に喰い殺される事故が各地で相次ぎ、対策として鰐狩りで、鰐の皮の輸出を国策として一石2鳥、鰐の殲滅作戦を実行、昭和10(1935)年頃までに、コモド島のコモドオオトカゲを除く、動物園の鰐以外の鰐を「完全に駆除」してしまったのです。現在では、鰐皮用にワシントン条約承知で鰐養殖が行われているそうです。

又、現在では、兎は西洋種が白いので、因幡の「白」兎とされていますが、原書「古事記」では「素兎」(兎の本字は草冠に免許の免)であり、白色を意味せず、ごく普通の兎の意味か、皮を剥がれた裸兎の意味か、もしくはその両方を意味させているのかも知れない。
江戸時代の古事記の研究の第一人者の国学者「本居宣長」は、その古事記伝の中では裸兎としているほどであります。
大国主命の時代に日本に今様の白兎が居たとすれば、それは間違いなく野ウサギのアルビノですね!




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