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「欧洲」大戦から百年、、、

書こう書こうと思いながら、、、もう1ヶ月近くが過ぎ、、出だしが書きづらくなりました。例によって、百年前のですが、1914年時点でのヨーロッパの地図を掲げます。300px-Europe1914-jp.png
発端となった、少数民族国のボスニア・ヘルッェゴビナもセルビア・モンテネグロも、地図の時点より更に20年近く前の露土戦争の終結解決会議たるベルリン会議の結論により、オーストリア=ハンガリー帝国に併呑されていたわけです。いつの時代も、少数民族国を、大国が力で押さえ込み呑み込むと、不満分子が噴出するのはどうも世の習いのようです。このときも、不満分子による秘密の暗殺団が組織されていて、ボスニアの祝日たる、6月28日にオーストリアの皇太子夫妻(おなかには皇太孫かも知れない妊娠中)がお祝いにボスニアの都サラエボを訪問するのを待ちかまえていたわけです。セルビア人主体の秘密暗殺団の各員はそれぞれ役割がきっちり決められていたそうです。お昼直前のパレードの際は先頭を切るべき、刺客第一員は、指定の窓がガタガタでうまく開かず、第一車両の皇太子夫妻に何も出来ず見逃しますが、刺客第2員が、手投げ弾を第二車両の下に投げて破裂、随員数名とヘルツェゴビナの高官が負傷、、、パレードは中止。昼食会が終わって、皇太子夫妻は、入院した随員や高官のお見舞いに病院に向かうことになったが、運転手が病院を錯覚して、道を間違え、先ほどの街角に近い街角で、車の向きを変えようともたついたときに偶然、先ほど責任を果たさなかった刺客第一員がちょうどその街角の食堂で、サンドイッチを食べ終わって外を見て、皇太子夫妻がもたついている車に乗っているのを発見このときとばかり、店を出てピストルで車の至近距離から、第一弾を夫人の腹部に、第二弾を皇太子の胸部に打ち込み、車は病院に走り去ったが、、、お二人はすでに絶命。調べにより手投げ弾、ピストルはいずれもヘルツェゴビナ官憲用の支給品と判明!,,,至近距離の絵
この翌日、オーストリア=ハンガリー帝国は、ボスニアヘルツェゴビナに厳しい条件の最後通告、と共にこの条件すべてを飲まねば宣戦布告と迫ったのが戦争開始の発端。ドイツ・オーストリア=ハンガリーを敵対視し、戦争準備おさおさ怠りなかった連合列強諸国が翌29日、ドイツ及びオーストリア=ハンガリー帝国並びにオスマン帝国に宣戦布告、スペイン・オランダと北欧3カ国が中立宣言したのをのぞいて、欧州は、枢軸三国と連合諸国が全面戦争にはまりこんでしまったのですが、、、。その6月29日から今年2014年が100年目!
ドイツの科学技術が、群を抜いて、この20年間で銃砲火器の他に、空ではプロペラ間タイミング機銃附きの複葉戦闘機、それに軍用飛行船、海上では初めは、ガソリンエンジンシュノーケル吸排気管付きながらもU-ボート、地上戦では、水冷重機関銃、列車に積んだ10萬メートル級長距離砲、タンク、、いざというときの塩素/毒ガス兼煙幕。味方用にはちゃっかりとガスマスクを開発済みで、、、列強連合の攻撃を迎え撃ったわけです。ドイツのこの内情を十分承知していた北欧3国と隣国オランダの他スペインは、とてもじゃないと、素早く中立宣言したわけです。スイスはもっと以前から、軍隊は持つ(海軍も)が永世中立宣言していました。
連合国側が、一番悩まされたのが、Uーボートによる海上封鎖でした。航続距離は大したことはないのですが、数の多さでカバー、英国の植民地からの食料は後に無警告攻撃を逃れますが、火薬原料の輸送は商船豪華客船まで見逃さず、沈められました。これを見て、アメリカは参戦をビビル事になりますが、、、結局参戦し地上兵力を輸送船で欧州へ送りますが果たせるかなU-ボートの餌食に、、このほかの国も地中海で、多くの船をうーボートで失います。護衛する駆逐艦の航続距離が短いのですね。連合国側は、周囲に大洋を持つ、豪州と、日本の巡洋艦駆逐艦の航続距離の長さを知って、参戦して、地中海大西洋の警護に当たってくれと、勧誘に大わらわになります。私は好きになれない明治の大勲の一人、勤王の志士井上聞多コト井上馨老が、少なくとも国益の種をまくことにはなるだろうと、、、参戦を煽ります。陸軍は欧州が遠いこと、食習慣が違いすぎて、兵糧欠乏が怖いし3度の飯が毎日麦飯では兵隊が戦争はできないと、尻込みです。結局参戦して、海軍だけが、欧州の期待の航続距離の長い巡洋艦駆逐艦を地中海に送ります。しかし、潜水艦相手の警護は初めてのこと、2等級駆逐艦「榊」がクレタ島北の水道で、オーストリヤの潜水艦U-27型でデイーゼルタイプの潜水艦攻撃で轟沈、乗組兵員59名が犠牲になります。当時の日本には未だ、小型艦艇は別として、軍艦の建艦が出来るだけの技術や大工場大きなドック、工作機械や鋼版はなく、殆どが高田商会による、イギリス、オランダからの出来上がり軍艦の輸入、又船舶用の厚鋼板も又アメリカから輸入でした。殆どの大砲、それ用の砲弾まで舶載輸入、所謂「舶来」でした。これは昭和一桁時代まで続きました。
昭和に入ってから、この欧州大戦のドイツの賠償金が入って、アメリカから大型軍艦用の厚板鋼版や、工作機械をドンと輸入して、呉と佐世保、横須賀の工廠を拡充漸く大型軍艦の建艦が、自力で出来るようになったのでした。このため、大型借款を使っていた、高田商会は昭和11年の暮れに、一夜で破産します。ただこの高田商会の指定の、海軍艦艇用御用達の、日本ペイントが作る「槌印」「高田船底塗料」1号、2号、3号、だけは、戦後の昭和30年代の前半まで残りましたが。
にっくきドイツの潜水艇め!の怒りはあるモノの、帝国海軍は情けないことに、大正の初めまでに潜水艇第6号まで作りましたが6号艇が事故で沈没、佐久間艇長の遺書という国語教科書に話題になりはしますが、びびって、大正前半はずっと、潜水艇は造られず研究のみ先行します。欧州大戦後の列国海軍会議で、戦艦巡洋艦の保有比率が、英米日で5:5:3の比率に制限されると始めて、航空母艦と潜水艦は制限なしならやってやろうじゃないかと、にわかに建艦中の戦艦2隻を空母に設計変更、又大型長距離潜水艦の建造がもくろまれルコトになるのです。ですから大型の大砲や、魚雷、潜水艦、飛行機などは欧州大戦開始時には、日本は殆ど軍用には保有していない状態だったのです。
220px-28cmBrunoRailwayGunAndCrew1918.jpg120px-French_Railway_Gun_27627u.jpg87px-French370mmRailwayHowitzer1917.jpg
欧州列国、特にドイツの隣国、フランスは、ドイツも作っていた、列車型長距離砲も、大口径臼砲、榴弾砲、カノン砲とそろえて、準備おさおさ怠りなしでしたが、ドイツは、爆撃機に長距離砲弾以上の爆弾を積めるように、飛行機とそのエンジン及び爆弾の改良に努め、短期間に長距離砲の天敵を作り出してしまいます。又開戦の初期には爆撃機の代わりを軍用飛行船が代行しています。、、がフランスも負けてばかりはいません、飛行船の領空侵入を防ぐために、軍事基地の周りには「阻塞気球網」というネットワークを張り巡らして、飛行船爆撃を防いだのです。
阻塞気球網
そうそう戦争を離れて、長距離砲には笑えぬ科学的証明が要った問題がありました。ドイツは、パリの住民を脅かすだけでいいと、120km級長距離列車砲俗に「パリ砲」を森の中から発射しますが、初めのうちは、目標からどうもかなりずれてしか着弾しません、が、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」で数撃ちゃ原因があることが判ります。地球の自転の影響、所謂「コリオリの力」(紫字をクリック!)が振り子だけでなく、飛び行く砲弾にも働いていたのでした。
又、パリ砲は、着弾痕320個程度、ドイツ側の砲弾出庫数からは378個は撃たれた可能性があるのだそうです。かなり50-60発もの砲弾が、弾頭が長距離飛ばすために鋭すぎたために柔らかい畑などは、5~6mも潜り込んで不発弾となってパリ近郊に残っているはずなのだそうです。ベトナムなどの地雷原の次に不発弾の密度の多いのは、パリ近郊なのだそうです。
阻塞気球網が出来てからの後半戦、ドイツはプロペラ間タイミング8ないし7.7ミリ機関銃2丁を胴体上部に固定し操縦士が操縦しながら撃てる複葉の小廻りが利くアルバトロスD3型戦闘機を大量(5百機以上)に投入します。リヒトホーフェン以下6人の(50機以上撃墜)空のエースが誕生します。
300px-Albad3_201407271001272bc.jpg300px-Ki-10_95siki-sen.jpg
日本でもこのアルバトロスDIIIによく似た、複葉戦闘機プロペラシンクロ7.7ミリ機関銃は但し1丁、が川崎航空の土井武夫技師によって国産、95式戦として陸軍に供給されますが、13-4年も後のことです。但しその95戦の一年後からあと、全金属単葉戦闘機の堀越三菱海軍96式戦、それをまねた小山・中島・陸軍97式戦から、、、堀越・三菱・海軍零式戦と小山・中島・陸軍一式戦「隼」と僅か、6-7年の間に世界の航空技術の先端に立つのですが、、、。この大正時代末期においては、日本は紡績・織機以外に大工場はなく、自動車も、オートバイも殆ど輸入で、第一空冷にしろ液冷にしろ国産のエンジンすらなかった時代です。汚職収賄まみれの明治の元勲でしたが、、、井上馨コト井上聞多の言った「欧州大戦参戦は国益の種を播く」は、、癪ながらその通り、ドイツの賠償金によって、昭和ヒトケタ日本に近代工業化の大津波をもたらしたのでした。
欧州大戦参戦のために日本が輸入した軍用に使う飛行機は、陸軍はただ1機のフランスニューポール機、海軍は、水上複葉機(写真)2機を輸入しただけでした。そのくらいの予算しか出せない貧乏国だったのでした。
水上機
ドイツはこのほか、海塩工業から余ってくる塩素ガスを圧縮ボンベに詰めて、可搬式とし、陸上戦はもちろん、海上戦でも味方を隠す煙幕兼敵には毒ガスとして用いガスマスクの用意のない兵員や民間人を殺傷しています。
ガスマスクつけて水冷重機関銃
この欧州大戦の一つの特徴は、陸上戦が、トレンチ・バトル、つまり塹壕戦、、。日本の日露戦争旅順の包囲戦線の長所が両軍によって、よく研究されていたのでした。又その包囲の中に打ち込む、大口径の砲弾を投擲風に撃ち出す臼砲もフランスは口径520ミリまで作ったと言われます。これも、旅順の包囲戦の研究結果だそうです。こんな大きな豚弾は当然列車砲搭載でした。
250px-French_520_mm_howitzer_on_cradle_sliding_recoil_railway_mount_201407271136433cf.jpg
もう一つ、エポックメーキング的に欧州大戦に現れた戦争機械にタンクがあります。日本語では戦車、自衛隊では特車。
タンク初見参
塹壕戦のさなかに突如森の中から、イギリス軍の化け物が出現、さすがの従軍記者も何物か判らず「鉄製の(貯槽)タンクが独りで進んできた!と第一報したために、この新参の化け物は、一発で「tank」と名付けられたのでした。
日本でも研究がされますが、上記したように国産の自動車工業は全く育っておらず、従って、エンジンなどは思いもよらず。ただ関東大震災の復興のために、オートバイのエンジン他部品の輸入で、オート三輪という日本独自の運搬車は作られましたが、(当ブログの別項ですでに記述)自動車は昭和に入ってから、横浜にフォードの95馬力エンジンのトラック主体の、ノックダウン輸入工場が出来ただけ。大正時代は、鋼板、トタンも輸入で、少量小型の鉄材は鍛冶屋が打ち出す、トンテンカンの時代でした。14-5年後のノモンハン事件の頃でさえ、日本軍の戦車は、一応キャタピラーはあるモノの、上記フォードの95馬力エンジンと、シャーシ利用のいわば改造3mm鉄板張キャタピラ付車で、到底武器といえるモノではなかったようです。
欧州大戦は、欧米の技術産業工場生産力の凄さを、未だ家内工業中心だった日本にまざまざと見せつける、20年から30年先を行く国同士の戦争に日本は少しだけ首つっこんで、たんまりご褒美をちょうだいしたという、またの名を、第一次世界大戦という戦争でした。
このブログでも、日本は後半戦で、中国青島戦とインド洋に豪州と組んで軍艦を送って海底電線通信網と通商破壊に暴れ回ったドイツ軽巡「エムデン」を屠ったことをすでに以前に記述しています。
あれから百年、戦争に、または、もしくは、戦争回避に、日本はどう立ち向かうべきか、100年をどう無駄に過ごしたか、百年をどう有効に生かせるかも、問われているのだと思います。
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