スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

七夕伝説に現れる、、、もろもろ

七夕と書いて、ナナユウと読まず「たなばた」と読むとは「何でだろ?」の疑問は、幼稚園中退させられた年の「たなばた」からでした。中学校の教師だった親父に尋ねたのですが、「代弁漢字」とでも言うか、沢山の意味をいっぺんに簡単熟語で表す、そんなモンだろう、小学校に上がって漢字習うときにおなご先生に聞いてみな!」、、と逃げを打たれてしまいました。
漢字を習う頃には、ソンなことは忘れてしまっていて、、、1年生の担任は、その町の高等女学校第1回の右総代卒業の定年近いおなご先生で、とてもソンな質問は出来ないような矢絣着物に袴姿で威厳がありましたから、質問出来ませんでした。
2年生の担任は、若い師範学校出たてのホヤホヤの丸っポチャのおなご先生で、漢字の書き順が、私の知っている漢字でさえ、どれもメチャクチャ、絵を描く時なぞるようなモノで、、、こんな先生に聞いたって仕方がないと、、、あきらめ、この漢字の書き順メチャクチャだという話を面白可笑しく、祖父爺さんにしたところ、モノも言わずに、キセルを吐月峰にたたきつけ、袴を着け、絽の羽織を羽織って、カンカン帽姿で学校に出かけ、校長と強談判したようで、、、2学期から、この丸ぽちゃ新米おなご先生は、音楽専門教師、になり、海軍駆逐艦「浦波」乗組一等水兵で一年余暇中の男先生が、担任となりました。3年生の担任も又年配のおなご先生でしたが、、、当時は日本人の半分近くはかかった、肺結核のひどい咳をする先生で、、、親しめず。2学期から休み勝ちとなり、入院したとかで、「お盆滑らせてミコがいい」TSと言う男子が先達して、病院に見舞いに行こうという話になりましたが、、、私はそんな開放性結核患者のいる病院には行きたくない、、と主張して、固辞しました。このTSという男は後に中学1年の頃、肺尖カタルで青瓢箪になっていました。病院から「お見舞」の「お釣り」を貰ってきたのでしょうねえ。閑話休題。、、、
七夕には、笹竹を飾ります。神道では、笹竹は、祖先や、高天原(タカマガハラ:八百万の神が集うところ)を装う依代(ヨリシロ)です。ご先祖さんも神道ではここに集っているはずなのです。(以下の話にも若干関係します)
ginzasc.jpghoininagaiwo sc
七夕の伝説も、斑鳩・飛鳥の時代までに中国から多くの文物と共に海を渡って、日本に移入されたと考えられます。奈良時代から、平安朝に掛けて、いち早く日本流の「素材を、元の一部に見て」独立・再編の、多くの日本昔話に改変されているからです。かぐや姫はその最足るモノですが、、、三保の松原「天女の羽衣」伝説なども、その傳を免れません。
一般に日本で、七夕伝説だと言われている話は、お空の☆としては、天の川の他には仙台のサッカーチームの「ベガルタ」(仙台も嘗ては織り姫の町で派手な七夕飾りで有名)(こと座の「ベガ」とわし座の「アルタイル」をくっつけてしっぽ「イル」をを切った!)にのみ執着していますが、天帝の娘が、天の川のほとりで、糸を紡いで、機を織り人民の着物にする沢山の布を作っていました。娘もお年頃になり溜息もつくようになり、天帝もやっと気づき、娘を、天の川の向こう岸で、広い畑を牛と鋤一本で耕して、まじめに農業に励む働き者の若者の嫁にやりました。ところが、、、嫁は、天の川のこちら側には桑畑もなくきれいに耕されて繭を集めてくることも出来ないことをいいことにして機織りを止め、琴ばかり抱えて弾いて楽しんでいました。人民の着る物がなくなりみんながみすぼらしい身なりになって天帝が気付き、嫁を無理矢理元の対岸に引き離して、、、一年中機を織ることを命じ、只、一年に一日だけ、七夕の節句に、牛飼いの働き者と会ってもいい日を作ってやった、、、と言うだけのようです。「羽衣」伝説、と、かぐや姫の「羽根車で月に帰って行く」話が、完全にもぎ取られて、、、いるようです。
杜甫の漢詩にも出てくるのだそうですが、、、本元の中国の牽牛と織女の話は、、、インターネットで中国語で、検索するといっぱい出てきますが、もう少し、詳しい話になり、しかも実際の夜空の星の並びまでよく見た話になっているのがさすがに農業国人が作った話、日本のおはなしは、家の中に籠もった文人が空も見ることなしに改変したのではないかと、、、。

河東の国の畑は、肥沃でしたから、老いた牛一頭と鋤一本で、朝から晩まで農耕にいそしむ牛彦は、作物が育つことで満足していました。がある日、川岸で、牛と鋤と汚れた体を洗っているときに、川の真ん中まで流れて伸びている布を見つけ、入っていって、引っ張ってみると、その薄い布きれはどんどん伸びて、こっち岸に達し、なんだか薄い、トンボの羽のような衣まで、向こう岸で動いているではありませんか!おやっと思うまでもなく、向こうの方の機屋から女が飛び出してきて「嫌だ、私の舞衣をどうしようって云うのォ!」、、、牛彦は驚いて手がお留守になり布は、、、向こう岸へ目を見張りました。見たことも無い美しい娘が向こう岸にいたのです。向こうの河西の国は、桑畑が自然に蔓延り、時期になると、繭取りして、糸を紡ぎ、河西の国中どころか、近辺の諸国の人々の着物の分まで、布を織っていたのでした。絹の美しい着物を着た娘はその機織り娘の一人だったようで、祭りに舞う、舞衣とヒレを、虫干ししていたのでした。牛彦は丁寧に失礼をわびて、ヒレギヌを洗って干して返し、率爾ながら、、と、自分の広い畑を耕す家事を仕切る嫁になっては呉れまいかと、懇願します。
年中ウチの中で機を織っていた娘は、広い畑の持ち主ならば、、、と、承知して、牛彦の嫁になり、数年して二人の男の子を産み育てます。一家は貧しい中にも親子4人水入らずで幸せでした。
そんなときに、天帝の命令で、天帝の孫娘を探しに来た、と二人の天上将軍がやってきて、娘のほくろと青あざを見つけて間違いないと捕らえて、追おうとする牛彦を一人の将軍が羽交い締めにして、もう一人が天上から羽根車を呼んで、娘をこれに乗せると眩いばかりの金色の光を放ったロケットならぬ羽根車は月の天帝の都に帰ってしまいました。
哀れにも残された牛彦は、二人の子供を、毎朝毎晩ご飯洗濯、二人の子供を天秤棒で担いで畑の畔に置いて、農作業です。子供は兄弟切磋琢磨して、賢い子になり「天帝がお母さんを奪っていくはずがない、キット将軍にとらわれているに違いない」と言い出します。牛彦もそんな気になり天に昇って天帝に訴えたいと思うようになりましたが、残念、「天に昇る手段がない」とあきらめ掛けたときに、老いた牛が、「私も彦さんにかわいがられて、一生懸命働いて牛頭大王からこのほどご褒美を授かりました。私を殺して、生皮を剥いで身に纏えば、天に昇ることが出来ます。是非そうなさってください、この老いぼれ牛が、お世話になった彦さん一家にお返し出来る一生一度のご恩返しです。」、、、
牛彦も、二人の子供も、老いたりとはいえ、よく働いて慣れ親しんだ、大好きな牛を殺すなど、、、とても出来ません。ある日、牛がおかしい。腰が立たない、牛が云うには、「悪い毒アブに刺された、、、もーお、お別れです、ひと思いに殺して、生皮を剥いでください。キット天帝に思いが届きますよ、二人のお子さんとお出かけください」と、、、。
牛彦も、断腸の思いでした。老牛の最後の贈り物を、身に纏うと、天秤棒に二人の坊やを乗せて、天に登り、天帝に訴えようとしますが、、、どこの役所にも悪いやつがいるモノで、訴えがもみ消されるのか、、、何も起こりません。疲れ果てた頃、二人の子供が、声を限りに叫びます。子供の声は純です。邪を刺し通します。天帝も驚いて、調べてみると、孫娘の気ままから、飛んだことになっています。国中の、人民の服がボロボロです。孫娘が仕切っていた機屋が、働かなくなって、人民の着物が足りないのです。仕方がないので天の峰にも機を作って、機を織らせ、一年に一度、舞衣着て、彦さんと子供の、天の川にカササギの橋を渡して会っても良いという折衷案で、将軍から、孫娘を解放したわけです。彦さんと子供も、天の天の川の岸に留まりました。空を見上げてください。
milky way 織り姫 彦星牛男新婦
こと座の織女星(ベガ・α星)と天の川の対岸にわし座の「彦」星(アルタイル・1等星・α星)があります。その彦星のすぐきわの両横に、天秤棒で担がれた小さい星が、ほぼ同じ対称形の位置に寄り添っています! この二人のわが子、、、ホントに星空を眺めたことがない日本の昔話の作者の文人には、、、「お話にならない」のですね。それにしても、天女の羽衣、や、月に帰って行くかぐや姫のシーンは、この話からのチョイと失敬した話だと、お思いになりませんか?
牽牛は、テンピン棒で2人の子供をかついでいるアルタイル飛ぶ鷲α β γの3星
因みに、ギリシャ、ローマ帝国時代から、、、アラブでは、このアルタイルのそばの天秤棒の子供も含めて「飛ぶ鷲」という表現がなされていたとのことです。わし座のα、β、γ三星なのですね。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。