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手書きパピーニュウス5号から: こんな話は残しておきたい(1)

昔の本の奥付を見ると必ず「不許複製」とか「禁無断転載」とか書いてあったモンです。このニュウスレターはそんな堅ぐるしい肩肘張ったモンじゃないのです。ずっと後になると掘り起こすのに手間暇が時間経過の冪関数になって大変だろうと思うようなことを書き残しておきましょう。大事件ほど言い伝えが残る可能性は大きいですが、こんなコトが,,,と思うことが意外に残らないのが又現代社会、、、
[その1] N;W;Aは戦前からアメリカの無線局のコールサインのプレフィックス。この米国割り当てだった、Aのプレフィックスはどうなっていた?

ミシシッピー川の西岸以西と、東岸以東のWとKの使い分けは夙に有名ですが、、、占領下の日本での米軍放送AFRSラジオのコールサインはどちらだったのでしょう?ご存じでしょうか?東京AFRSのコールサインは、ヴィデオ録音機が出来てからなら覚えやすいWVTRでした。ミシシッピー西岸領域でした。夜12時過ぎると、米国国歌がなり、そして、WVTRのサイニングオフ、のコールがありました。ハムの交信のあと、オッフアンドクリヤーなどと略しましたが、本当は、「サイニングオッフ」&「クリヤー」と言うべきでしょう、それが、訛りになまった日本の7メガ弁になるとなんだか判ったような判らない言葉「オープンクリヤー」ナル言葉を発生させていますね!慎むべきでしょう。閑話休題、本論の[A]プリフィックスへ戻ります。
戦前はもちろんのこと、日本お空の米占領軍ハムがJコール(昭和21年から昭和24年初めまで)から始まって、JAコール(昭和24年から昭和27年6月まで)を経て更にKA2からKA0になり、米国のプレフィックスが大改革されるに際しKA局が消滅しましたが、、、。
Aで始まる米国の無線局がなかったわけではありませんでした。というのは戦後直ぐのプレフィックス表にAC3(シッキム);AC4(チベット);AC5(ブータン)、更にはAP2(パキスタン)の割り当てがあったので遠慮していた?と言うヒトもありましたが、いえいえ決してそうではありませぬ。ハムバンドの廻りを注意深くSWLすると、3.5メガから3.9メガまでにはいわゆる、戦争映画、後の黒白テレビの戦争物「ギャラントマン」「ヨーク軍曹」などでおなじみの、ウオーキートーキーと呼ばれたBC-611を使った「レッドロックつう、こちらはマイルストンフォア、ギャベッジカンキープエンプテイー!」式の交信(A3)が飛び交っていましたが、、、7メガの上第3地域には許されない筈のアメリカンフォンバンド(当時7150-7300Kc/s)には、多くのAで始まる、AH2AAからAI3AA,AJ7AA,AI7AAなどのコール同志が、それこそ、レッドロック式の、決まり文句、「ギャベッジキャンキープエンプテイー!」「ギャベッジカンキープクリヤー!」式の決まり文句QSOをしており、たまには米本土からコレを呼ぶハムコールサインもありましたが、MARS(米軍補助無線局)だと断っておりました。チャンと私は、自作の短波受信機でしたが、こんな交信を昭和30年代の半ばまで聞いた記憶があります。

因みに戦前のゾーン23(上記チベットなど)が高価で、戦後しばらくしての公職追放令解除によって母校電通大の教授になられたJA1ATF(田母上不二雄氏)が、戦時中は、上海の特務機関の通信長という地位を利用してチベットの公式許可を受けて、AC4TF(田母上不二雄のイニシャル)のコールでチベットからオンエア、全世界の耳目を集められたのです。コレが、戦後復活開局にあたり、その片鱗の残るJA1ATFなるコールサインを取得されたわけでした。その後名前の方は清、起代士、などペンネームかもですが何度も改名しておられました。

現在は米軍基地で確保され、アマチュア無線の電波管制上の厳重コントロール下にある硫黄島ですが、戦後直ぐの米軍ハムがJA局時代には、硫黄島にはイオージマJA0IJとJA0JIの2局のコールサインが聴かれ、JA局が日本人ハムに許可になる1ヶ月ちょっと前、昭和27年の6月中旬、一斉に、KA2-KA0のプリフィックスに変わりました。硫黄島もKA0IJとKA0JIに変わって、相変わらず、7/14メガに出ていました。KA0は、この昭和28年7月号の「ラジオと音響」誌の別冊付録コールブックのカントリー表にもはっきりBonin & Volcano Islandsと書いてありますね。1953julyOHM社CB表紙(全)_convert_20090602131543
ところで何故KA2からだったのでしょう?ご存じでしょうか?古い戦後直ぐのプレフィックス表を探してご覧いただけば氷解します。KA1の分配先は戦前米国領土だったフィリピンの割り当てプレフィクス。現地人には開放されず、米軍ArmyがKA1A,,,から、NavyがKA1N,,,から、軍属がKA1USA,,,からでした。中等野球今言う高校野球の海南中学のユニフォームの文字KAINANは、戦前マニラの米海軍軍人局のコールサインに見えたのだそうです。戦争が終わっても直ぐには、この辺のプリフィックス配分は変更が無く、占領地域のモノだけが大きく変更されたのですが、、、何故か、、、駐留米軍のアマチュア局はJないしはJAコールサインだったのに対し、放送の占領軍放送AFRSはWVTRなど、軒並みアメリカ本土のコールサイン並みでした。
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Rmじいさんの『こんな話は残しておきたい』:その2:第二次世界大戦後の占領地区のカントリープリフィックス:

表紙を囲繞したのですからついでに中味も、、、1953julyOHM社カントリー表(全)_convert_20090602135524
チョイと字が細かいので読みづらいですが、老眼マウスなどのルーペ機能を利用してお読みいただくと、二次大戦後の占領地が如何に膨大で、多数カントリーに亘り、いろいろなプリフィックスが面白いほどに割り当てられていたか判ります。特にイギリスが占領統治していた欧州のイタリヤやその廻りの国のMで始マル臨時プリフィックスについては当時この付録は貴重な資料でした。
又米英スペイン・ソ連の4カ国が共同占領統治したオーストリヤは、映画「第3の男」にも語られますが、統治行政が複雑で、プレフィックスもFKS8と4文字でした。コレは語りぐさにすべきモノと思います。
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Rmじいさんの『こんな話は残しておきたい』;その3:
氷と共に消えたカントリーKF3:
上の『ラジオと音響』誌のJA1AE福士さんのヒット、コールブックのカントリー表には載りませんでしたが、このほかに横車押しの助のようなアメリカの作ったセンリョウに名を借りた橋頭堡の確保のあととして、英国の領地地中海ののど元ジブラルタルに対抗してそののど元の対岸タンジールに、気象観測大隊とそのサポート輸送隊を送り込んで、ほぼ無血制圧、,ン十KWの放送局並みのアマチュア無線局、KT1WXが半分は業務連絡、半分はアマチュア交信アフリカ北岸サービスを行っていました。どんなにサンスポットが下がっていても、ヨーロッパ・アフリカは殆ど死んでいても、14メガでこの信号が聞こえない日はないほどの強力信号でした。
コレと並んで、日本のJAアマチュアが開局した昭和27年夏前後から、聞き慣れないKF3FIとか、KF3と言うプリフィックスのコールが聞かれ始めました。A3で此処とよく日曜日の朝交信していたのはJA1AD、戦前のマサチューセッツ工科大学洋行組3羽ガラスの一人、『少年工作』誌の『健チャンのラジオ』でおなじみ、斉藤健さんによれば、北極海に浮かんで、海流に流されて、一年で北極海のほぼ2/3を廻る、、、長さが約160km幅が約85kmの地理学会的にはF3と名付けけられた、俗名(フレッチャー氷島)と言う大きな氷の島で、学者の観測隊と、そのサポートの海兵隊その他が全島に分散約1万人乗り組んでいると言うモノで、本来国際地理学会の共同観測隊なのに、サポートがアメリカ一辺倒のために、各所に星条旗が翩翻とはためいていておかしなモノらしいが、、、と言うお話でした。当時この島はカナダの北西数百マイルにあり、14メガでは容易にSWL出来たので、SWLレポートを再三送りましたがなしのつぶてで、斉藤さんも、QSLマネジャーが再三替わるので、タイミングよくカード送らないと、、、と言うことだったようです。結局、国際的に議論有耶無耶となり、ソ連の鉄のカーテンごり押しの一因となり、観測は中断して、プリフィックスも消え去りました。

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