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トルーマン宣言が「海の縄張宣言」の始まり

国土地理院の富士山頂の表示が、、、有名「剣が峰」が、静岡県富士宮市に読めることから、山梨県知事から富士山頂は、「県域不明地」の筈との抗議がなされたとか。和気藹々のうちに両県によって、汚れた富士山が一応清掃され、世界文化遺産登録がなったいきさつもあり、江戸時代から、三国いちの富士の山の山頂は、争いが絶え無かったので、所属は決められてはいないのです。
 海の上の線引きでは、地図の上ではれっきとした日付変更線など、飛行機の窓から一生懸命眺める爺さんがいて、廻ってきた機長に、「日付変更線が、見えなかったが、波の荒いせいかね?」の質問に、、、機長さんも退屈しのぎに笑顔で応じて「イや、あれは明治時代に世界の会議で決まった古いセンでしてね、もういたんで細ってしまって、成層圏飛ぶジェット機からでは肉眼では見えるかどうかですね?」という笑い話がありましたね。和気藹々、、いいモノです。
日本と韓国が、マッカーサーのGHQに占領されていた最後頃、占領が終わると、海の上の「マッカーサーライン」も消え去るとばかりにときの韓国大統領李承晩が昭和二七年一月に「李承晩・ライン」宣言して、日本の漁船を数百隻も拿捕し、四千人近い漁船員を捕虜にし六畳に三〇人近い陋屋に閉じこめるという、暴挙を繰り返しました。
当時ちょうど、大学卒業し、会社の就職試験面接で、「李承晩ラインを知っているか?」の質問に、このことと、その由来は一九四五年一一月のトルーマン宣言によりアメリカ東西両岸の大陸棚の領有宣言があって後、すでに一九四七年頃までに中南米沿岸国の約一〇カ国のそれぞれの沿岸水域占有宣言が相次いだことがあって、宣言域に侵入した漁船が拿捕される事件があったりしていましたが、、、日韓の占領軍が撤退したためにマッカーサーラインが無くなったので、李承晩が、沿岸水域占有宣言したまでのこと、但し、漁船員の、立錐の余地無く交代睡眠しかできないような、六畳間に三〇人も押し込めるような、非人道的扱いは決して国際法上も許されるはずがない、、厳重抗議すべき問題だと思う、と回答したら、面接の五人のお偉いさんが、びっくりしたように押し黙って、しばらく無言で顔見合わせていました。
東京中心正距円筒図法北中南米002
当時13年余にわたって、一方的主張がなされた李承晩ラインとはこんなモノでした。
sunmann lee linemc
敢えて、引用いたしましたが、図中には「国際法に反して」の文字が見えますが、李承晩ラインが宣言された1952年1月現在には、国際法的な海洋法はなく、当時は適当ではありませんでしたが、、、従って、トルーマン宣言を初めとする、北中南米、各国の領海宣言や李承晩ライン等の「一方的宣言」を、国際的にどう扱うべきか、厳しい批判が相次いで出ていたわけです。
遅ればせながら1954年から、国際海洋法準備会議的な第一次から、順次、会議がもたれ、第3次ころまでは国連は関知せずでしたがその後、水域をなんのために占有刷るのかから始まって、議論が複雑化するにつれ国連も参加指導するようになり、単なる「専管水域」>>漁業資源経営の立場でする「経済水域」と議論が栄養富化するのに約40年の歳月を要して、ようやく1993年に「国連・海洋法」が成約したのでありました。韓国は、この会議に参加するようになってまもなく(朴正ひ大統領時代)、李承晩ラインを解消、この国際法準備会議の成り行きに従う旨を、提言しています。
話が若干前後しますがお許しあれ、、私が、就職試験の面接の質問に山を掛けたかのように、立て板に水の勢いで、李承晩ラインの出てきた起源トルーマンの大陸棚領有宣言からの2年間に中南米のおよそ10カ国が、沿岸領海の領有宣言した下地が有っての、マカーサーラインに代わる、李承晩ラインの宣言!とほぼ正解が出来たのには偶然というか、直前に夏休みを取って、海の近くの叔父の家でボケーと4-5日,海水浴をしたり、木陰で昼寝をしたり、夕方からはチンチロリンの松虫取りに興じたり、、しながら叔父が取っていた、岩波の月刊科学雑誌「自然」という雑誌のバックナンバーを拾い読みしていたのでした。その中に、どこかの大学の社会史の先生の寄稿で「戦後の日本は農業国?海洋国?と言うような、題名で、日本人の性格からは、島国根性で、狭い土地にへばりついて、これこそが俺の天職とばかりに土に執着していく人も多いことだろうが、昔から日本は四海波静かな海に囲まれて、、、海こそまだ限りない資源の宝庫、いつでも海洋国として生きていける、、、筈だったのが、、、「青天の霹靂」!海の上にも戦後すぐから、アメリカの大統領になって半年のトルーマンの宣言が引き金になって、中南米の国々がいきり立ち10カ国ほどが次々沿岸海域領有権宣言を始めて、対岸の火事のうちは良かったが、このほど隣国の李承晩もその影響を受けて、勝手に李承晩ライン、国際的には、イースンマン・ライン宣言という海の上に線引きを敢えてしてきたので、、、日本古来の表現「四海波静か」ではあり得なくなってきたが、日本も早く国家的将来像を打ち出して、占領解除後の国の大方針を確立して、海洋国家として生きる気があるのであれば、いち早く、こうした国際的な動きに積極参画していく気構えがなければ国際時流に乗り遅れ、国家大計を誤りかねない、、、と言うような論旨で、国際的なトルーマン宣言、中南米各国の宣言にどんな国際的批判が行われたかが紹介してあり、、、それまで戦後の日本の新聞では一切報じられなかった、李承晩ラインに至る前置き的な国際的な海洋宣言とそれに対する批判を食い入るように読んだことでした。日本の新聞読んでるだけでは戦後7年間に行われた、これらの国際的な動きの一つが李承晩の宣言、、、とは捉えられず、いかにも唐突な、としか受け止められないが、トルーマンに始まる、海岸線を持つ国10カ国余が、すでに5年も前から、宣言していることを知れば、3方を海の囲まれた、韓国の大統領が宣言に立ち至ることも予測できないことではなかったともいえるでしょう。確か、この寄稿した先生はその後、都立大学の助教授から東京大学教養学部の先生になり、角川文庫でしたか、西洋社会史的に見た、「西欧の顔・日本の心」と言う著書の中で、わざわざ第3章を建てて、III「海洋国家への道」ー新しい海洋時代をどう考えるか の一章に、このトルーマン宣言からのすべての国際的な動きを含めて詳述されました。こうした、独善的宣言に対する国際的批判続出から、1954年国際海洋法画策会議が始まり、第十何次会議から、国連とも連携取りだし、第30何次会議でアメリカも同意方向に向かい、ほぼ40年の長い歳月を閲してようようやっと1993年に国連・海洋法が出来上がり、現在も批准国が半数を超えようかと言うところのようです。海の上の線引きは、冒頭の飛行機の機長の言うように、波風が荒く、難しいモノのようです。
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