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真空管回顧録16 ビーム管から進化したビーム5極管とその改良

戦後丸7年、GHQが去って日本の国政が日本政府の手に戻って半年、日本にアマチュア無線という新しい無線局が誕生しました。アマチュア電波青年、ラジオ少年が、思い思いの工夫を凝らしてラジオを改造したり、新しく短波用の受信機を組み立てたりして受信し、送信機も、ジャンク屋などから、真空管の新品や、中古品を拾い出して、皆さん、自作に懸命でした。きわめてわずかな、駐留軍に勤務の方やお金持ちをのぞいては、アメリカの中古の受信機、ましてや送信機などを入手するなどは夢の又夢、、、超高値の花でしたから、、。小型送信出力ビーム4極管の標準的な807は、ちょいと高く、7メガで、ヘテロダイン周波数計(この値段は、送信機と受信機が一台づつ作れるくらいの値段でした!)を持たない局に許される最大出力は、CW・A3電話とも10wでしたから、807の代わりにいろいろな球が、登場しました。アメリカ軍用管1625,海軍球FZ-064A、は、いずれも807と同等管ですがヒーターが12.6v。戦前からあった東芝のアンプ用の球UY-510B、戦時中に川西真空管(戦後にテンとなる)が、軍にこれをまねて作らされたF-510D、等はまだいい方で、6L6G,6L6(メタル管)そのまた2.5V直熱管バージョン1619と言うオーデイオアンプ用出力管まで、動員されました。私は、1625をねらったのですが、、、その一番違いで大違いのビーム4極管ではない、1624と言う2.5Vの直熱5極管で、作る羽目になりましたが。
もう随分以前に807とその同等管については詳述しましたので、省略し、ハム機器に使われた最後にあわてて進化した、TV球の親分、水平偏向管、その中でも、従来のビーム4極管から進化して、、、90度偏向という超大型ブラウン管テレビのために開発され、真空管の泣き所でもあった陽極損失、「損失」というモノの、英語では単なるlossではなく、Descipationで表現される、、、必要悪に消費されるモノ、、、というような、plate descipationを更に減らしてなんとか出力に廻す、と言う改良工夫がされた球まで出現しましたが、時代の趨勢に敵うはずもなく、、、消えていきました。コンパクトロン等で現れた、ビームペントード(ビーム形成五極管)のウチでも、数少ない、球たちでした。
TV自体も、初めは、白黒TV、戦後すぐのアメリカの白黒TVではまだブラウン管に静電偏向管が使われ、3000Vから,大型ブラウン管になると5000V近い高圧直流を発生させて、電子ビームを上下左右に振っていたモノです。1954年当時製作のハリウッド映画、フランクシナトラ主演の大統領狙撃失敗サスペンス映画、Suddenly(邦題「三人の狙撃者」)の画面に5000V危険!が大写しになりましたね、。
suddenly 1954001
閑話休題。電磁偏向ブラウン管になってからも、6BG6GT 更に大型化しても6DQ6などのビーム4極大型GT管が多用されましたが、、、TV受像機の中で大型スピーカーの近くで振動を受けやすく、GTベースの真ん中のガイドキーが、球を差すときは便利ですが「差しやすいは抜けやすい」でもあり、,、常時微振動の継続で抜け上がる傾向があり、対策が苦慮されたようです。最初、9ピンミニチュアの時代に9本脚を大型化した、、、マグノーバル管でビーム管が使われましたが、やっぱり浮き上がる、と言うことで、遊び脚も固定用には役立つ、、ノダ! と更に3本増やした12本脚のコンパクトロンなるモノが、出現することになりました。この頃になると、真空管の電極の製造・組み立てもライン化自動化されていて、特に大型管の陽極は、自動化するのにフィンをつけた方が、作りやすかったのだそうで、放熱にも役立つとて組み立ての便と共に改良され他結果、ビーム4極より、まばらながら、ビームの跳ね返り押さえの、サプレッサーグリッドも必要とされ、但しこれは、必ずしも管内でカソードに繋がない方が回路設計上便、とされていたようです。こうして、コンパクトロンに、放熱も良く、回路設計にも便なる、ビーム5極管が出現!水平出力を増強して、ブラウン管のビーム偏向の度をなるべく開かせていったのでした。、、、、、ハム機器にも小型送信管として使ってみようか!と言う設計者が現れても不思議ではない状態になり、時あたかも、送信機・通信型受信機の並べセット、所謂ラインモノ、大流行の時代でした。DrakeのT-4/T-4X/T-4XCの送信機に、マグノーバル管6JB6が使われ始めたのがガラス封止ボトムでベースなしの真空管の使用のどうやら嚆矢のようです。
6jb6a rca6jb6a gedrake t-4x
写真の大小だけで、他意はありません、ドレークの送信機には、6JB6が2本パラで最大約100wが可能だったようです。
このあと、日本でも、トランシーバー化の気運が高まり、SSBでは世界に先駆けた八重洲が、ラインモノから、トランシーバー化に重点を移しますが、その殆どが更に脚の数を増やした12本脚の、このコンパクトロンを終段管に使ったのでした。
最初に使われたのは、黒白TV用の6JM62本パラが、FT100やそのMk2及びFTdx100に。
6jm6gek_2014051112361229d.jpg
ft100.jpg
ft100mkii.jpg
FTdx100.jpg
更に機能を追加してFTdx400からFT401Dと進化する頃、コンパクトロンに、真空管時代の最後の必要悪への挑戦が実を結び、陽極損失の、有効利用というか、見た目減らしの改良に成功、インナーサブ陽極を入れた、6JS6の出現更にその改良決定版6JS6Cまでの進化を見せました。FT400番台の終段管は、この6JS6シリーズのペアチューブが、使われました。いずれもが大きな重ーい電源トランスを背負いましたが、6JS6Cでうまくすれば120WPEPは出るという状態だったそうです。
この頃は、ちょうどカラーTVの普及の最盛期で、アメリカを中心としていろいろなコンパクトロン管が、生産されたようですが、6JF6,6JV6などが、知られていますが、それらがJS6のようなインナーサブアノードタイプだったかどうかは定かではありません。日本ではヒータ電圧の違う30Vや40vバージョンの30JS6や40JS6が多用されたようです。
もう一つのコンパクトロンの陽極の進化は、6KD6や、6KN6という縦長陽極に、正面中央に縦に細い奥深の溝をプレスし込む方法で、放熱フィンも兼ねるが、余剰二次放出電子を有効に陽極電流に変えるというキャビテイートラップと言う工夫が案出されて、大型のブラウン管でも、90度に画面を開く「90度偏向画面」が実現し更には少し後になんと110度の偏向という重労働をやったのでした。この6KD6は、八重洲ではFTdx400(2本パラで約200W)の他、リニヤーアンプFL2100やFL2500に3-4本使われFL2500では500WPEPを実現しています。6KN6の方は、日本では殆ど知られずじまいの、ハリクラフター社の苦心の結晶トランシーバーSR400及び400Aの終段管として2本で、160Wpepを実現したようです。
FL2500.jpg
SR400ATrCVr.jpgtur-6kn6-syl.jpg
巷では、6KN6はKD6のような、キャビ・トラップは作られなかったとの俗説もありましたが、このシルバニヤの球の写真見ると、立派にキャビトラが仕込まれているように見えます。
6SJ6Cと6KD6の写真、八重洲の一世風靡のフォックスタンゴワンノウワンシリーズFT101,と北米及び南米向けのフォーンパッチインターフェイス組み込みの八重洲FT560(終段管6KD6使用らしい)、の写真掲げておきましょう。日本のTVでは、JS6と同様に40KD6などのヒータ電圧だけが違う球が多用されたようです。
6js6C 6KD6
ft101series.jpg
Yaesu_FT_560 DX
ちなみに、コンパクトロンがソケットから浮き上がり事故を起こしにくいと言うことで、TVの水平偏向管から電極そのままに、陽極の引き出し線を空いている脚に廻して、オーデイオ用出力管専用管に作られたと思われる一群の球も見られました。6kv6_jt6_jg6 etc
写真は6KV6のようですが、このほか6JT6,6JG6など、頭にプレートの引き出しがない大型のコンパクトロンが生産されたようでした。


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テーマ : 歴史雑学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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