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児童園いたずら退園記

そんなつもりはなくっても、ホンのチョイとしたいたずらが、マーフィーの法則でパンにバター塗っていて、運悪く取り落とすと必ず、バター面が床にベターと落ちると云う様に、悪い方に転がる、バタートーストはゴミだらけ、床はバターで塗るぬrうで、本格的掃除が必要になる、、、という思いもかけぬ被害の拡大が始まります。
江戸時代までは、津嶋牛頭天王社の別当寺だった確か瑞宝院か宝寿院かと云ったと思いますが、、、町での通称は「西寺」で通っていて、そのお寺の戦前の幼稚園、その名を宝児童園と云いました。天王さまの楼門の右手の、心字池1番奥のはずれの森の入り口に山門があり、「葷酒山門に入るを禁ず」かどうかは読めはしませんでしたが、何かの古い大きな木札は掛かっていて、池に日光が反射するときは、下から山門に明るさが届きますが、そうでないと、チョイと鬱そうという感じ、、、。5分描きの鉛筆画でそんな印象を描くと、、、s12年頃の山門の印象001
右下に書きかけたのは失敗で、未だ山門の右袖には、潜り戸があり、その右に、葉っぱの廻りに黄色い縁取りのある正木のような灌木の生け垣があり、その内側の庭には青木が1-2本植えてあったと思います。更にその内庭には、砂地にこんなツンボリ高い感じの築山がしつらえてありました。上記の絵の山門と生け垣の前の小道は、心字池の縁に沿っていました。
築山の印象004
この人造砂岩製の築山は、大正末期から、昭和初めにかけて、ドイツで開発された、日本の戦前のJES や戦後のJISでもなかった、Na2O対SiO2のモル比が、6-8という大幅にアルカリ度の少ない水ガラスを良く洗った川砂に混ぜて型に嵌めて固めて作られたモノで、我が家にも、コガメや金魚や、モロコを飼う手水鉢の中にも、小型の人造砂岩の小岩がありました。我が家にもあった人造砂岩の小岩003
日本のJISでの水ガラスはアルカリ度の一番少ないモノでの規定は1:4までですが、この4号でさえ、現実には市場にはほとんど流通していませン。そのくらい、戦前のドイツの科学技術は世界の群を抜いていたのでした。日本の水ガラスで固めた人造砂岩では、耐水性が弱い上に、溶け出すアルカリで、亀も金魚もモロコもイチコロだったことでしょう。
そうそう、戦前の日本語では、ベークライトなどを、合成樹脂とは呼ばず、人造樹脂と呼びました。レコード盤は人造樹脂では作らず、シェラックというカイガラムシが樹木の樹液を吸って排泄する樹脂分の天然樹脂を処理精製して熱成型したシェラック盤でした。戦前人造樹脂として、成型まで出来た樹脂は、ベークライト、尿素樹脂、板と棒に出来たのでは黒い、エボナイトまででした。色はあとからエナメルでも塗ることは出来ても樹脂自体を着色成形することは至難の業でした。
色を付けて成型できる組成物としては、コの人造樹脂とは別にセルロイドがありましたが、ニトロセルローズという火薬の成分に可塑剤常温安定剤として多量の樟脳を混合して成形する、引火性のセルロイドがありました。学用品の筆箱、三角定規分度器、下敷き、赤ん坊のガラガラやキューピーなどの透明や色つきの成型品のほとんどは、燃えやすい、セルロイドでしたので、コレは人造樹脂には分類されませんでした。単にセルロイドと呼びました。♪、、アメリカ生まれのセールロイド、、、」って。

この人造砂岩の麓の、砂地に、梅雨の頃心字池の銭亀が夜のウチに、一杯上陸してきて、砂地に埋めきれないほども卵を産み付けたのでした。鶏や小鳥の卵と違って、両生類爬虫類の卵は、非常に良く弾みます。只丸くてもどこか楕円で、どちらに弾み返すかの予測は難しいです。毬つきのようにつける卵はきわめて少ないです。たまたまどこかで拾って誰かが児童園に持ち込んだ、粉ミルクの大きめの空き缶がありましたから、ちゃんと真上に弾む卵はないモノか、砂地をサラって、ミルク缶8分目ほども子供の小指の先ほどの卵を掘り出して、一粒一粒コンクリートの床に落として弾み具合の検査をしていたんですが、又雨が降り出したので、卵の残り缶半分ほども入った缶を教室に持ち込み、さて何処は隠そうか、そうだ、先生机の下の観音開きの中に入れておこうまでは良かったのですが、、日曜日を過ぎたらすっかり忘れてしまって、他の遊びに夢中でした。ある日、おなご先生が、黒板に色チョークで、絵を描こうと、もっと色チョークがないか観音開きを開けてクビつっこんで、数秒後、ギャアーッと云う叫び声を上げて、ひっくり返って気絶してしまったんです。下片町の田中一男君が対応は一番早い、直ぐ駆けつけて、オイ、コレなんだァ、、、亀の子の赤むけだァこりゃあウジャウジャ居るしクッサイワァ、誰や、、、云うが早いか、甲高い朴ミヨ子の声、「サクダイサンとこの貢ちゃんにきまっとるがね!こないだ一生懸命毬つき出来る卵探してたからねえ!、、ちゃんと砂の中にかえさないかんのに、先生気絶させて!ホントに忘れっぽいんだから、、、」。アタシャ、赤くなって、頭掻くしかないわさ。お仕置きこそないがお寺のこと、仏の顔先ず一度目。

雷が鳴って梅雨が明けて、土用のかんかん照りが始まった頃、お寺の本堂の方の前庭の、目隠し植え込みの檜葉の木と立木の若木混栽林に、庭師さんが入り、1階の軒高ぐらいの高さに梢を伐り詰め高さをそろえる枝打ちが始まり2-3日で終わり、伐り詰められた、梢には空き缶が被せられ、生木が腐るのを防ぐ処置とされましたが、、、いたずらコンビの、、、下片町の田中君が、「オイ、丁度いい、みんな同じ高さの木になった、全部で23本ある。どっちが沢山あの缶はずすか木登り競争しよう!と挑戦してきた。ヨーイドンで、すばしっこい田中君が、13本をはずしてしまい、私は10本、、、缶が地面デカン、コンと音を立てていたから堪りませン直ぐに、兄ちゃん先生に見つかって、駆けつけた朴ミヨ子が、又、「あれ、又サクダイサンとこの貢ちゃんだに!」田中君は、風を食らって逃げてしまって影も形もないから、、、現場を押さえられた方の負け!仏の顔、の2度目。

この前後に前稿に戻りまして、暑くなって出て来たアオダイショウを振り回したまでは良かったが、、、蛇は、ウナギよりは増しだけど、滑りやすく振り回すほどに握力低下、遠心力に負けて蛇は、大きな丸を描いて、渡り廊下の焼けやけのトタン屋根で、じゅうっとご臨終。仏の顔も3度まで、前稿の、「夏休みすんでも、氷室君は出てこなくてよろしい」を宣告され、作太夫爺さんが、羽織袴で、児童園に掛合いに行って帰ってきたが、呼びつけて烈火の如く真っ赤になって怒り、「文字通り仏の顔も3度迄だそうだな!」で、「ひい婆さんの監視下に置かれ、門外に出ること禁止、曾祖母の飯炊き煮炊き湯沸かしの火の番、水くみ、薪割り、薪はこび、5年生までやれ!」、、、と宣告されてしまいました。

爺さんは、3年生の立秋の日になくなり、その秋に祖母が跡を追い、ひい婆さんは、私に、水加減、ご飯の炊き方、麦飯、麦混ぜご飯、豆ご飯、芋ご飯の水加減炊き方バリエイション、に始まって、田舎料理百般、みそ汁の立て方(みそ汁は煮るモノでなく立てるモノです)、魚の捌き方、煮方、味取り、海魚と、川魚の開き方、焼き方の違い(海は身から、川は皮から、、と)まで、しっかりと教えてくれて、4年生の土用に、「観音様が迎えに見えた、」と昼寝したまま96才の大往生でした。ペルリの蒸気船の年の生まれというのが、唯一の自慢でした。
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