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農暦正月からの脱線、、、

もう、日本では旧正月といっても死語に近く、「ああ中国の農暦のことですか!」と云われるぐらいが関の山、、、
NHKの朝ドラの「ごちそうさん」でも、昔のカーボン・マイクの原理を知らぬ使い方をしていて、昔の話らしくない!
ちょっとした田舎の野球です。ーーー田舎の野球は「ミットも無い」〓みっともない。

まあそういうわけで、農暦でもいい、旧正月を中国暦で調べてみたら今年2014年は、1月の30日が除夕(日本では除夜)、31日~が新節になっていました。甲午でキノエ・ウマ年。
いかめしいかの国の2014年分のお祝いの日の休暇の按排のお布令ですね。
節暇日按排001
中国も漢字の音によって、字画を省略したいわゆる簡体字にしてしまったので、旧制中学時代の漢文では中国語が読みづらくなってしまいましたが、意味は読み取れますね。
力の両側にカタカナのハのような点々は「弁」事務を弁ずるの意です。上記のように節という字も、竹冠が草冠になって、作りだけが残されています。安排は、日本語でも按排ですね。「的」は殆ど日本語の「の」相当です。
国務院弁公庁(ま公務庁とでも云う役所)が2014年分の祝日休暇日を決め(按排し)て送達、という意味ですね。本文に入っては、、、第一行の最後尾、各直属「機構」です、発音が同じ機と机、構と木偏に匂が作りに入った字が用いられています。

年の初め、元旦節1月1日だけ休日ですね。公暦の一年が改まるおしるしだけですから。あとは農暦の行事が、重視されます。
春節はしっかりお祝いしますが、、、よく見てください、その前の1月26日(星期日つまり日曜日)および、後の2月8日(星期六=土曜日のこと)は「上班」つまり勤務(普通出勤)にするということです。正月に公休二日分を寄せてある、ということですね。以下、4月の清明節も、日曜日を利用して、土・月を休日にして3連休にしていますが、、、5月の労働節は、一日分、日曜が振替出勤日になってます。

こんなことに力点を置くつもりはありませんでした。日本の農暦じゃない旧暦はどうなっていてどうなったか、ということです。明治の始めに、国際的な暦の切り替えがあって、世界統一年始日とグレゴリオ暦によるカレンダー曜日が国際条約化され、明治5年に清国(後の中国)が先にこの条約を批准、後れを取ってはナラジと、日本も批准した騒動を、このブログの前哨的な、JAIGのHPに居候させていただいていた、パピーニュウス時代の、はみ出し者伝記(1):一戸直蔵(2)(背景その1:明治と改暦の段)に書いていますが、
それまでの、日本の陰陽師の律する陰陽道に支配された陰暦の話については殆ど書いていません。

日本の暦を陰陽道の利器として扱うようになった始祖は、始めて時の帝から天文博士の称名を賜った、安倍保名と人間世界に現れていた、狐「葛の葉」の子、幼名童子丸、長じて、安倍清明、母狐「葛の葉」から授かったという水晶玉と金の箱の威力で、時の帝の不治の病を治し、父保名の仇を討って生き返らせて朝廷に仕えさせたという、伝説持ちの天文博士に端を発しています。
180px-ShunsenKuzunoha.jpg古い時代の絵本百物語から江戸時代中期の浮世絵師春泉が書き写したという「葛の葉」です。
220px-Seimei-jinja_torii.jpg安倍晴明を祀ったとされる清明神社です。
この後、2-3代して、いくら何でも、、狐との子種とは!と、安倍家、阿部家と呼ばれて居たモノを、「狐は土に穴を掘る、どうせ門口は土デショウよ!とばかりに、、、「土御門家」と家名乗りを変えて、天文暦法から、陰陽道を編み出して、易卜・卜占や祈祷・破邪の「なりわい」修験の道が造られていったようです。易ボクで使われる、2進法の算木の裏表から陰陽そして陰陽道(オンミョウドウ)それをなりわいと成すモノが陰陽師(オンミョウジ)、と呼ばれて、庶民の日常生活の中に陰暦と共に、忌み嫌うモノとコトが染みついていったのでした。天文は忘れられて、、、。

只、この土御門家の天文暦法で、水晶玉と黄金箱の中身「母狐にもらった」というコトの一つとされる、中国の暦法との時刻差、、、が、明治になって推定されて「ちゃんと京都(土御門家の所在地)の経度東経135度40分相当に設定・計算されていた!」、、この不思議!狐めの仕業だけに、、、「アナ」どりがたい?幕府の天文方は、蘭学で学んだ究理に英学カラの、グリニッジ基点時刻修正を呼び込んで、中国陰暦法との時間差を、読み出しているのに対して、土御門家の方は、「コン」!と一発の修正値というわけです。まさに10世紀の奇跡といわざるを得ないのです。
コのこと有ってか、土御門家改暦は、平安時代の末期迄に2度のあと、江戸時代半ばの享保の改暦まで、なんと700年近くも改暦の必要なく経過し、月と閏月の設定もほぼ間違わずに現実と暦が合致していたのでした。

「あまのはら降りさけ見ればかすがなる三笠の山にイ出シ月かも」と、中国に渡って勉強したが、3度海難にあって帰国に失敗し、ついに中国で仕官して高官まで上り詰めた不運と幸運の伝説歌人、阿倍仲麻呂も、姓の文字こそ違え、この土御門家と縁続きの阿部家です。現代のカタカナ政治好きの宰相も、姓の文字そっくりさんですから、うっかり出来心で、靖国参拝して「国益を損なって」は、、、ヒョットカして内心「穴があったら入りたい」(土御門の家系?)のではなかったか?
   お時間もよろしいようで。

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