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しじゅう9年前の東京オリンピックの衛星中継は?シンコム衛星!

1ヶ月以上書き込みがないと、、、そこいら中広告がちらちらはめ込まれて、、、御免なさい。この間に、「おもてなし」で何か裏芸があってか、7年後の東京オリンピックが、約束されました。今から49年前の、東京オリンピックが、懐かしく思い出されます。
ウチの息子が、今年の2月50歳になったようですから、当時1歳8ヶ月、歩かせたり時には抱き上げたりで、連れ歩いて、東海道新幹線開通
10月1日に開通したばかりの、東海道新幹線で上京してオリンピックを観戦に来た爺さんを迎えに東京駅新幹線のホームに連れて行き、ちょっと目を離した隙にいなくなって、、、あわてて探したら、、、グリ-ン車の脇で、大きな外人とおしゃべりしていました。パキスタンのIOCの委員、アリ・カーンさんで、、、パキスタンの緑と黄色の月星模様のバッジを頂いて、、、「ムーンとスターだね!とってもサンキュー!」なんてやってましたね。全く物怖じしないで。抱かれて35ミリの黒白写真に収まったはずだったのでずいぶん探してみましたが残念ながら発見できませんでした。
東京オリンピックの外国での入場券の売れ行きは、チョイとひどいモノだったようです。券を買って東京に行っても、ホテルが取れない、何千人オーダーで、ホテルがない!キャンセル、売れ行きもさっぱり、、日本国内ではものすごいダフ屋の繁盛。ほんとに何とかならなかったモノでしょうかねえ?未だ敗戦、戦災の大ショックから10数年、道路工事のために、戦後折角建てた家の立ち退き、未だ、重機も少ない、土方や学生アルバイト集めての人力土木工事、トラックが数少なく都内も馬力車での運搬が多く、、オリンピック前の都内は土煙もうもうでした。
羽田空港にもようやく国産量産化ののYS-11の他、DC-6Bなどのプロペラ機が、多かったのですが、YS-11準量産試作2号機が全日空に引き渡され、キャビン内の後半部近くに聖火奉戴台を飾り付け、聖火空輸機「聖火号」と名付けられ、国内の聖火運搬に文字通り飛び廻りました。
YS-11聖火号RCYS11-1002-Seika-10_20131029195520c2a.jpg

オリンピック前からは、国際線で海外からジェット旅客機が飛んでくるようになり、JALも4発ジェットを導入したようでした。
JALは奮発ジェット機を輸入5
飛行機といえばオリンピックの開会式で、航空自衛隊のご自慢のジェット機(F-86)のブルーインパルスが、5機で、白煙の五輪を3000mの上空に描きました。五輪の輪っかの直径が1800m、輪と輪の間隔が300mだったそうです。幸いこの日の秋空は、風も穏やかで、、、白煙だったのが惜しかったくらい、秋の青空に映えました。
blue impulse 5輪
此の開会式のことで思い出すのが、この日の聖火の最終点火ランナーが、ぎりぎりになって陸上出場の後藤選手から、早大競争部の坂井義則君に急遽変更になったことでした。この坂井君は、昭和20年八月6日、広島にピカドンが落ちた時間に広島県の三次市に生まれた、いわば原爆ッ子とも言うべき青年だったことに依るそうです。
聖火台ランナー福_2
このオリンピックで敗戦国といわれながら、16個もの金メダルが取れたことは、日本のみんなをとても勇気づけました。この競技等の成果については、インターネットや、古新聞をその項目を追って、お楽しみください。ここでは別件に行きます。
この東京オリンピック開会式の丁度一ヶ月前の9月10日、当時第3次池田内閣の、池田首相が急に声が出なくなってとの報が流れ、診断の結果「前ガン症状」で国立がんセンターに入院したとの発表がありました。
この頃からやっと、本人にもガン告知する流れが始まったようでした。それまではなぜか本人にはひた隠しに隠す風潮でした。15日間のオリンピックが無事に閉会式を終えた翌日、池田首相は退陣しました。そしてほぼ10ヶ月後の翌年8月下旬になくなりました。診察入院の時にすでに前ガン症状ではなくはっきり喉頭ガンだったようです。このオリンピックのTV放送は未だ日本では、黒白テレビでしたが、一部カラー化していたアメリカも含め、この年8月にアメリカが打ち上げ予定の通信衛星シンコム3号ではTV中継用ではなかったのを、4月頃からNECに依る改造などの無理矢理TV中継化のおかげで、ほぼぶっつけ本番で、開会式から、毎日、6-7時間宛、衛星でのアメリカ経由全世界に中継されたのでした。アメリカに出張中だった、私のいとこが「日本にいなくて、オリンピックがTVでも見られそうもない!」と泣く泣く出張した筈なのに「毎晩おいしいところを見ることが出来た!時差様々だ!」、、と喜んで帰ってきたのにはたまげました。

まあそんな戦後が終わりつつあって、新しい技術が花開く幕開けの記念すべきオリンピックでもあったようで、そのことを象徴するかのように、この閉会式の入場行進の途中からお祭り騒ぎのようになって、、、しんがりの日本選手団が入場する頃には、どこかの国の若い選手が日本選手団の旗手を肩車に載せて、入場行進するという当時としては型破りの羽目がはずれ、、、、以後のオリンピックでは閉会式は、お祭り騒ぎということになった、とてもいい意味での前例が作られた東京オリンピックと思います。
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コメント

カラーテレビ

友達の家で初めてカラーテレビを見たのが
東京オリンピックの選手行進の模様でした、
色が付いていてすごくきれいだった記憶があります、
私の家にカラーテレビが来たのはその一年後でした。。。

カラーテレビ

カラーTVは、そう、あれはいつ頃でしょう、日立が、「色は日立のお家芸!」というCMで黒白TVに広告を盛んにやり始めましたが、サラリーマンがボーナス2回分ためても手の届く値段ではなく、、、結局、アメリカのTVのカラー化がカラーブラウン管の多種類量産成功で伸びたように、日本もブラウン管の多種量産化によってやっと、手の届く家電機器となり、次のメキシコオリンピックには、日本の家庭の約半分がカラーで楽しめるようになった時代でした。お友達のご家庭は、日立系におつとめだったか、余程裕福なご家庭だったのでしょうね。
カラー放送のはじめの頃は、NHK-東京とNTVが、技術競争で、NTVが左右裏返し画面の「誤放送」したと、NHKが報じたあとまもなくなぜかNHKも裏返し放送が始まって、あわてて電波を緊急遮断するという「放送事故」が有名ですね。

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