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お盆のことなど、、、

難しいことは言わずに雑学的に行きましょう。お盆のことが、日本の残された、古い文学に出てきたのは、平安中期、974年頃の、藤原道綱の母の作と言われる、、、当時正妻2人の一人として、小倉百人一首にも「嘆きつつ一人ぬる夜の明くる間は、いかに久しきものとかは知る」と詠じた相手に焼き焼きの心をつづったとされる「蜻蛉日記」(カゲロウ日記と読みます)に初出して居るそうです。ボンでなく、「ぼに」として。
奇しくも私の学卒後の初就職は岡山の製錬所でした。岡山弁では60年前の当時もお盆の休みは「ぼに休み」と言いました。古語を残していたんですねえ。てれう゛ぃの普及した今は、もう残るのが無理な言葉かもしれませんが、、、。

お盆のことをお寺さんでは「盂蘭盆会」というそうですが、ことば辞典などからでは、これはサンスクリットの、Ulabana(逆さ吊り)から来ているのだと言います、、、あの世入った魂は最初の頃は、逆さ吊りにかけられて、前世(実はこの世での)の咎を悔い改めさせられている(お寺さんでは「倒懸」というんだそうで、、、)最中で、あの世の釜のふたが開いた新盆には特に、盆だな(精霊棚)を囲う新縄に、キキョウの花などを逆さに刺し吊す地方もあるのだそうです。家の前の、盆棚の前ではまず苧殻を焚いて、迎え火として新盆の仏を始めご先祖さん一同の霊をお迎えします。お供えと、キュウリやなすびの盆馬などの乗り物でお迎えします。ぼた餅や饅頭、飯馬で迎える珍しい地方もあるようです。お墓を掃除してきれいにし、墓石も磨いて、お灯明線香お供えし、、、広島方面の浄土真宗、お西さん本願寺の地方では、お墓に白提灯の高提灯を飾りお盆の間中掲げて明かりとするようです。
私の郷里の木曽川が梅雨の終わりの頃の豪雨のせいでよく洪水した、戦前の尾張野では、盆棚は、家の前の地べたでは飾らず、ご先祖様代々が一番大事に手塩にかけた田んぼのたんぼ道に枝葉を残した細竹4本を突き刺して、割り竹を縄で編んで、棚とし、ここにお供えや、盆馬を飾って、田んぼの4隅で苧殻を焚いたように記憶しています。何か蘇民将来の霊も合わせ祀るのだということを、子供心に記憶しています。このことは、台湾中部南投県、通い1年住込4年の勤務時代に、道教のお祭り中元節、、、日本でも夏のボーナスが出た頃お中元を贈る習わしが、広く行われますが、この中元は道教の、先祖を尊ぶ、やはり農暦の7月15日、つまり日本の仏教ではお盆!、、、蘇民将来が出てくるのはかなり道教的なニュアンスも濃いのだと知れます。旧暦ですと、8月の下旬のことが多く(たとえば、2013年は8月22日)ちょうど送り火は、虫送りをかねて、隣の部落まで虫を送っていったようでした。
送り火の盛大なのは、奈良や京都の大文字の送り火でしょうか。

さだまさしの歌、精霊流しに続いて、今度はTV映画、カステラですか、長崎の、派手なお盆が紹介されますが、、、
青森岩手、特に宮古地区のお盆にお墓で花火、、、に更に輪をかけた、長崎のお盆は、ロケット花火に音のぽんぽん出る花火だけじゃ足りなくて爆竹、ぱんぱんぱちぱち鳴らした挙げ句精霊流しの最後では残ったありったけの爆竹箱に火を付けて大爆発させて終わります。コンなド派手な、、、お盆、長崎ならでは、、、です。

風情のある越中おわらの風の盆、、、お盆の3日間は夜通し踊り抜ける、郡上八幡の郡上踊り、、、幸い母方の叔母がここに嫁いでいましたので学生時代は、お盆はここで過ごしましたが。郡上一揆という非道い圧政のお殿様も家老も居たという町にしては、とても人なつっこく、領民を大事にしたお殿さんも七家老も居たという歌と踊りにのめり込みました。

インターネットで検索して驚くのは、青森県三戸郡新郷村の一部落には、キリストだかその弟だかの墓塚が昭和10年に発見されて、、、以来、クリスマスには、葡萄酒とパンが供えられる一方、お盆には、この塚を囲んで、盛大な盆踊りの輪が繰り広げられるという,,,但しその歌の文句が、「なにゃどうやらよー なにゃどーやらされナーサレヨー」、、、ヘブライ語かなんかによく似ていて、とても日本語ではない、、、信じられない、世界には通用しようもないローカル丸出しの地方限定のお盆もあるのに驚かされました。「狭い日本、、しかし広いんですねえ!」
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