スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

昭和の朝ぼらけ、昭和3年2月号「子供の科学」誌から

いまから振り返ること85年の昔の子供向けの科学画報雑誌、誠文堂、「子供の科学社」発行の昭和3年2月号、exJA2TYM故・水谷さんから、亡くなる直前に、わしが満州へ通信兵として出征する前にしっかり新聞紙にまとめて包んでしまっておいた雑誌10冊あまりが出て来たので、、と頂いた中の一冊です。肝腎の「無線と実験誌」は、以前に紹介した1冊を覗いて逸散してしまいました。今回は3年前にお貸しした方から4冊そっくり・ヒョッコリ送り返して頂きましたので、一番古い1冊から、気になる記事をかいつまんで、ご紹介しておきましょう。先ず、表紙です。
表紙001
どうやら前方のスクリン代用の白壁に、ライアン機のような前方窓無し単葉機の絵が映っているようですね。表紙左側に赤字で「特輯 太平洋横断飛行号」とあります。1928年ですから、既に前年10月のリンドバーグの「翼ョあれがパリの灯だ」はじめ、以降の大西洋横断飛行は複数成功していましたし、Byrd飛行士による北極横断飛行も成功したあとで、世界の注目は、太平洋無着陸横断飛行に集まったところでしたし、日本では、この太平洋横断飛行に志願した中から、この前年秋に大日本飛行協会の選定で、民間から2名、陸海軍各1名の4名の候補飛行士が発表されたところでしたから。この4名は霞ヶ浦で、練習と、事故回避・回復訓練を行ったあと、川西製、単葉横断機の完成試験飛行・整備を待って、機上整備訓練・習熟飛行練習、その成績・技量で選りすぐられて横断飛行に飛び立つことが予定されていました。
この表紙の絵は、映写機ではなく幻灯機での投影の絵ですね。幻灯は、関東大震災後の復興がなった大正末頃から、電球が市販されたのと相まって、大流行したようです。大口径の天眼鏡と、裸電球を差し込む穴明けて光の漏れを防ぐ木箱や紙箱があれば幻灯機の自作も容易で、学校や、町内会でも、幻灯会と称して、よくいろんな字や絵や写真の他に実物の投影も出来、モノの使い方や、編み物の仕方などの勉強会にも使われたのだそうです。
続いては裏表紙ですが、子供の科学社と同じ地番にあった新光社「科学画報社]の雑誌の広告です。ちょっと脱線ですが、こっちの主筆が、凝り性で、この頃法医学の証拠性について凝っていたのだそうで、、、こんな特集号になり、、、社会的にもこの号が引き金になって、探偵というモノの価値が裏付けされて高まり、多くの信用調査業者も発生、探偵社も興り、又、本格的探偵小説も、売れ始めたわけです。
裏表紙科学画報広告004

表紙の幻灯機に映し出された、ライアン機他の、大西洋や、北極横断飛行機の説明図が出ています。

大西洋横断機解説図002バード氏北極横断機解説図003
更に、日本から東向きに体験コースに近くなるべく島沿いに飛ぶ予定の、上記、川西製の横断機の図も出ています。
太平洋横断飛行4勇士005

以下の記述は、この雑誌の記事以外のことです。川西製の太平洋横断機はK-12型、この昭和3年に次々2機が完成します。しかし、3750㍑(重量約3トン半)のガソリンを積むと、BMW製V12気筒の公称600Hpのエンジンでは全く離陸できませんでした。馬力の実力は450HPぐらいしかないと専門家は看ました。1年半掛かってこの計画は放棄され、新規まき直し、3年後の昭和7年に再度の挑戦を予定しました。しかし、昭和6年10月、アメリカのハングボーンとハーンドンの2人の飛行士による、青森県三沢村淋代海岸を飛び立って重量と空気抵抗軽減のため、足と車輪を棄てて、決死の飛行に挑んだミス・ビードル号が41時間余の飛行で、ワシントン州の、飛行士バングボーンの母親が待つウエナッチ飛行場に臨時に作った泥沼に見事に胴体着陸して無着陸太平洋横断のfirst ever成功。
川西機は、昭和7年50時間も掛かるなら3人の飛行士でと何度かの離陸失敗のあとナンとか離陸に成功しますが、、、あとは全く消息不明。現在では記録掘り起こそうとしても、、、出て来ませんね。
雑誌記事に戻りましょう。
話題は、テレヴィジョンです。あと10年後でしたら日本の浜松高等工業の高柳博士の、TEREviが出て来ますが、、、この頃は、未だアメリカでの初期の話です。
テレヴィジョンの発明006
丹羽博士の誌上説明では、次の写真のように、未だこの頃は、高柳式とは違うようで、、、アーク燈の光源を、大小のレンズで絞って穴明き回転スキャン円盤で切ってから、レンズで散光して被写体を照明し、その照度を3箇所の枠に付けた光電池で受けて電流化し、,,遠方に送る。受像するには、ネオン管を細かく配列した、受像盤に繋いだ、送りが輪の回転円盤と回転数が同じ、回転板に付けた、走査穴と同じ位置に付けた複数のスイッチ極と無数のネオン管の配線の極とが、回転に従って接触し、受像盤のネオン(赤)が点滅することによって、赤黒TVとして受像する仕掛けという。テレヴィジョンの説明2光電管008
テレヴィジョンの説明1007
テレヴィジョンの説明4映像機011
テレヴィジョンの説明3ネオンディスプレイ009テレヴィジョンの説明3ネオンランプ部分010
ホント、丹羽博士じゃないけれども、このままのスタイルでテレビが普及してしまったら、、大変なことだったろうなあ、、、お茶の間で1/4馬力ほどのモーターがブンブン唸りを立てて廻り回転板が摩擦接点の音を立てて廻って、赤黒テレビがやっと映る!、、、ちょっと想像の域を脱しますね。やっぱり、回転板方式でも軽い高柳式の「イ」の字の方が、ブラウン管への切り替えがしやすかったことだと思いますね。採像を映写機式のアーク燈光源に固執すれば、こういう、形式にならざるを得ず、発展がかなり阻害されたように推察されます。第一世代のテレヴィジョンとしては貴重な資料かも知れませんが。ひとまずここまで。


スポンサーサイト

テーマ : 雑学・情報 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。