スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

戦前、航研機の世界記録はイタリー機によって、、、

アニメの巨匠、宮崎 駿監督の、飛行機好きは有名ですが、特に水上飛行機時代の地中海事情として有名な、速度レース、シュナイダーカップのトップレーサー機カーチスR3C、とじゃじゃ馬機サボイアS21をこなさせる紅の豚の元戦友を乗せて見せるレーサー機マッキーM75等々、、、戦前のスピードレーサーには、日本のエンジン製造技術が未熟で、太刀打ちできませんでした。日本には国産自動車工業が未発達で、自動車エンジンさえ量産されては居なかったのでしたから。軍部も、政府も、国威発揚という大命題に飛行機を持ち出して「航空日本」モアルデヨ!と言いたかったのでしたが世界が認める国際大会に自国製のエンジンと機体での挑戦は逡巡せざるを得なかったのでした。しかし、
世界が認めてフランスが誇ったベルヌーイの流体力学の原理、又それを芸術的域に高めて流麗な機体設計に優れるイタリヤ、エンジンを誇るイギリス、機体強度を強めながら機関銃など装備重量を稼ぎ出すペイロードを誇るアメリカなど実用機に於いては日本は到底太刀打ちできる状態ではない、、、しからば、設計技術実験機で、長距離飛行時間と、その長距離間の飛行速度で何か世界記録を作れないかと国家的に議論が続く中、軍部と政府が、国家予算を消化している東京帝大の航空研究所はいったい全体何している?居眠り中か?と問題を投げかけて作られたのが、「型式名」も「愛称・呼び名」もつかなかって只「航研機」とだけ呼ばれる、エンジンは、ドイツのバイエルン地方のエンジン組合の総称「BMW]製を燃料20%程希薄でも出力がそれほど落ちないように日本で川崎航空で、改造して220px-BMW_IVa_r2_TCEmc.jpg
燃料節約を実現して長時間飛べるようにし、軽くて翼の長い胴のなめらかで飛行中は風防も人間も胴体の中に引っ込めて、勿論、足も人力で引っ込めて、可及的に空気抵抗を減らしやってみましょうといういわば実験機で、、、当時の1万キロを超えた長距離無給油、無着陸飛行に挑戦したのでした。
300px-Tokyo_Imperial_University,Gasuden_Koken
1万キロの大台を超え世界レコードを一寸越えたところで、発電機の故障が航空士では直せなくなって、夜間飛行が出来なくなり、燃料は未だあったのでしたが、日暮れて、、、文字通り「足元の明るいウチに」周回飛行を打ち切らざるを得なかったようです。
「居眠りか?」とまで言われた「航研」機、日本では、航研機がやったやった世界記録2つも成し遂げた!と大騒ぎ、、、
新聞記事mc001

しかし、世界は、「何?実験機デ?、、ンならトウゼンデザンショウ、、」と冷たかった。まあぬくもりがあったのはこの頃、軍閥、ナチス、ファッショ、とスタイルはコトにしながら世界からつまはじきの日独伊3国同盟、のイタリヤだけ、直ぐ翌年、但し内緒話で「では、ウチの実用機で、ローマ、東京間を飛ばして見せましょう!但しお宅もウチもアンベエワリイから、、、当分ナイショでっせ!」と、、、。その間にドイツがポーランドをロシヤと二分して、そのいざこざからソ連に攻め込んで大戦勃発、、。しかしイタリヤはコレを利用、このドイツが電撃的に攻め込んだウクライナの東端のドイツ基地を中継地にして、、、なんと交戦中のシベリヤの湖の反照光を頼りに5000m以上の高度夜間飛行で突き切って、ウラル海北端、バイカル湖南端とシベリヤ上空経由して約7000kmを翔破、日本の占領下にあった内蒙古包頭の日本軍基地に着陸、日本で怪しまれぬように、いたりやマーク消して、日の丸に塗り替えて東京立川飛行場まで、飛んできたのでした。いたりやの当時の新鋭3発機、サヴォイヤ・マルケッテイSM75GA/RT号がそれでした。
当時、日本はソ連とは、不戦協定しており、但し同盟国が対戦していて、案配は良くないので、、、例のいつもの日本外務省は凍えてしまっており、、、、軍部と政府に頼み込んでマスコミを押さえて貰って知らんぷりを決め込んだために日本では爪の先ほども報道はされなかって、いたりやは、全く面白くなかった!
SM75 GA RT002
sm75.jpg
日本ではなんの歓迎行事もないまま機体整備と給油が済んで10日ほどで、又包頭へ、占領地の包頭では、関係者によって、かたちばかりの歓迎会と、機体の日の丸をいたりやマークに塗り戻した後での記念撮影があったようでありはした様ですが。
このことがあって後、いたりやと日本の外交関係は冷え切ってしまい、飛行機が日本を去って一年後に、いたりやは、日本の度重なる懇願にもかかわらず、この長距離飛行記録のあらましを、飛行機雑誌の隅に敢えて発表してしまった。
日本には写真すら残っては居なかったようで、全く綺麗サッパリ、痕跡がないのです。
本当の話なのに、もしこの包頭にてのこの日本の関係者多数の記念写真がなければ「ウソでしょう」と言われても、反論も出来かねるほどの不毛の事件というか、淋しい出来事だったようです。
日本語Wikipediaサヴォイア・マルケッテイをクリックご覧下さい。

因みに、この機体について、、、、SM75-GA のGAは、いたりや語グランデ・オートノメア「長距離」の意・R・Tはご推察どおり「ローマ・東京」の頭文字、日本には見られなかった、双発機の両翼エンジンアルファロメオ850hpの他に、機首にももう一つエンジン同じモノを搭載した3発機。軍用機としても、輸送機のほかに爆撃機にも使われた。上の迷彩機はハンガリー空軍に支給のモノ。上部に機銃用の持ち込み式銃座がある。

そう、このまま終わっては、冒頭に宮崎駿監督を引き合いに出し、航研機に言及した意味がないのデスわ。
航研機を見ていただくと、細い胴体に異常に長い、大きな翼です。この航研機の操縦士には、陸軍航空隊からベテラン爆撃機の操縦士、藤田少佐が特命派遣されて木更津飛行場で試験飛行を繰り返していました。
実は、この藤田少佐は、この航研機で丸80時間余眠りも出来ずに、1万キロを跳び続けて精も根も使い果たした挙げ句、僅か2ヶ月半後に、いたりやから緊急輸入した、フィアット製の重爆撃機(帝国陸軍正式呼称:陸軍イ式重爆)の第一号機を、大村から、徐州の南の日本軍占領飛行基地に送り届ける、3000kmの渡洋飛行に従事、不幸、夕暮れの薄闇に確認を誤って、中国航空隊が待ち構える飛行場に接近、撃墜され戦死されたようでした。が、その後、木更津で、藤田少佐の残されたメモが発見され、設計者らには楽な操縦性と思われていたこの航研機の操縦性の意外な弱点が、離陸滑走時に起こることが、このメモからハッキリしたようでした。それは、陸軍省、軍務局長(当時)小磯国昭の発案で、盟邦ドイツのユンカース教授の発明の無尾翼機に近い、大型旅客機のユンカースG-38を輸入して、三菱に重爆撃機に改造させて陸軍に買い上げよう、、、と作ったキー20、陸軍92式重爆撃機が期待に反して鈍重で、離陸滑走して速度を増すと、地面にへばりついて持ち上がらず、、、これを笑って、民間人が付けたあだ名が「直線快速地上滑走練習機!」、、航研機の藤田少佐のメモにも、「地上滑走の速度が増せばますほど、地面に翼が吸い着く感じ」とアリつまり大きすぎる翼では、スピードが増すと、大きな翼と、地面とほぼ並行の滑走では、空気の層流によるアスピレーションで負圧となり翼が、地面に吸い着いて行こうとしてしまうことになるわけで、ユンカースG-38;キー20にも猿真似して翼端に大きな翼端タブが着いていたのだが、設計者も、この意味を知らず地上滑走から引き起こせなかった。翼端から翼下面に乱流を流し込んで、アスピレイションを破ってやれば引き起こせたはずなのです。このため、92式重爆は、ついに採用にはならず、いたりや・フィアット製の「イ式重爆]が必要になり、翼端タブの無かった航研機で木更津で離陸に苦労した藤田少佐を見殺しにするような不思議な巡り合わせ。
陸軍「イ」式重爆_sc
G-3892式重爆mc

宮崎駿監督はさすがに大の飛行機ファン、この滑走速度が出ると飛行機は水面や地面に吸い着くのをご存じ、アニメ「紅の豚」のポルコロッソの飛行艇の改造後には設計士可愛子チャン フィオにピッコロ社の裏の運河から、船を避けながら、ファシスト警察の手から逃れて、サボイア21改を飛び上がらせようと言うときに叫ばせている!「タブを使って!新しく付けたヤツ!」ポルコロッソ「ウン、これか!」と離水に成功する、、、
スポンサーサイト

テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。