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暦のフルサトは好き、嫌いでもやはり中国。巳年やお正月は,,,

尖閣だけではなく、1992年以来中国は積極的に「嘘でも100編繰り返せば現実,、、」と云わんばかりの攻勢を掛けて、フィリピンのコレヒドール沖のスカボローリーフという海水浴場島の領有まで宣言し、、、さらには南沙諸島、無線のエンテイテイーではスプラトリー群島全体まで領有の主張を始めて、諸隣国の不評を買っていますが、、、100ペンまで云わなくても、暦の起源は少なくても紀元前3120年頃から約5千年の歴史を持つコトはどうにも動かしがたいコトと思われます、、、動物干支と5行説とその兄弟(えと)呼ばわりがいつ頃から、
どうやって結びついて、歳廻り60年の循環が考えられたのか、、、とにかくこの五行説(木・火・土・金・水)の5兄(え)弟(と)X12種の動物(ネ・ウシ・トラ・ウ・・・・)との60年還暦法(但し陰暦主体)によって、中国の歴史と暦は裏打ちされて、共に不動の地位にあることは、、、、異を挟む余地はありません。何よりも、早くから象形文字、という漢字の基と木簡から紙の発明がなされたのが想像を絶する古くからで甲骨文字から筆と墨の発明により早い時期に木簡、又まもなく布や紙への書き込みがなされ、そこに書き込まれた、皇帝年紀と兄弟干支によって編歴整合がなしやすい状態に保たれてきているのですね、大河と共に4大文明が起こったとされる中では文字と暦年記述で出来事と文化が伝わったコトでは他の文明起源より群を抜いて、精細緻密で他の追随を許しません。筆墨と紙の存在こそが、この還暦紀年法を支えてきたともいえるのですね。素朴な、人類の他動物からの独立の火、「ほ」「ふぉ」[fire](世界中の言葉で火はFまたはHで始まる1シラブルの語です!)から自然発生する煤と墨、これに骨の髄からとれる膠を溶かして水で摺れる墨に固めたこの知恵は、火起こし道具の発明と共に、ホモサピエンスの初期の文明に強力な道具となり、さらにはパピルスがヒントかもしれませんが、紙という文字を書き写す、そして残すこのメデイアの便利さ、、、あとは、出来事の新古さ加減を後世に伝える為必要な暦の発明だったわけですね。
現在の旧暦、日本の場ワイは、太陽太陰暦で、江戸幕府時代の天保年間に幕府の暦法方が算出法と、月の決め方、閏月をどこに置くかの置閏法などを規定して作った、天保旧暦が百数十年間何の問題もなく使われ続けていますが、天文雑誌やインターネットの暦特に旧暦のサイトでは、あと丁度20年で、天保旧暦法のパニック!と騒がしいのです。2033年陰暦難問題中国の農暦ではこういう手の難問題には行き当たらないのかどうかも知りたいところですね。天保陰暦だけの問題でもなさそうなのですが。
しかし、今、10干(5行x(兄え+弟と));12支を、簡単に何かに置き換えるlことは出来ないだろうと思われます。そりゃあ、確かにネズミから始まる、12種の動物の12の種の間をつなぐ何の脈絡もありはしませんし、順に当たる何かもありはしませんが、、、方角と時刻(時間と勘違いしないでくださいね)には古代から、漢字や熟語を通じて密接な関係を作り出してしまっています。たとえば正子線と正午線をつなぐ子午線、今更、北南線と呼び代えますか?南北線は既に東京の地下鉄路線の固有名詞になって先に存在していますよ。(何故か「正午」だけは非常によく使いますが、ラジオの時報でも真夜中、「正子をお知らせします」とはラジオも言わないですよね!)今年の干支は、癸巳ミズノト・ミ水の弟x蛇(十干:木・火・土・金・水の各行の兄弟を甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の10かんに置き換えたサイクルと、12支の動物と組み合わせている)でその運の良い方角とされる恵方は南南東、165度のあたりの徳神と言うことになるが、関西では恵方巻きという、海苔巻きをそっちの方角向けてかぶると「徳神さんのミコが良うなるう」と云うが、私の生まれ育った中部の濃尾平野には、そんな風習はさらさらなく、その後住んだ岡山南部、九州大牟田、そして関東に来てからも、長年そんな風習はみられなかったのに、このところの不況続きで、関西流、何でも売ってまッたれえェや、、、と言う荒っぽい関西商法の出現かここ4-5年前から「正月や節分には恵方巻きをかぶりましょう」と言う張り紙がすし売り場にみられるようになりましたがどうにもこの「恵方巻きを「かぶる」」という表現がなじみようがありませんね。なんだか出口のない毛布半裁の襟巻きか何かを頭隠して尻隠さずにひっかぶるような、どちらかと言えば、北関東言葉的には「うざったい」(うっとうしい)言葉に響きますね。関東には似合いませんね。恵方なら恵方らしくそっちの方からのド越しの良い蕎麦でも一丁たぐり込んで、恵方徳神にあやかり威勢良く初詣に駆けだしていこうってのなら判らんでもないのですが。

食べ物の話題が出たついでに、このお正月のいろいろな暦法陰陽説などはそっくり中国渡来と考えられますが、、、お餅が中国のお正月用のお餅「ニェンガオ」と比べると、まるで違い、中国流は、まず餅米を乾燥して、粉に挽きやすくして、挽き石臼などで粉に挽き砕きます。餅米は、うるち米と違って100度の水では中まで煮える前に廻りの米粒同士くっついて火が通らなくなるので、粉を水で練って、、、扁平団子や下駄の歯のように押し角板に成型して、せいろの簀の子に並べ、重なってくっつき合わぬように、簀の子の上で隔離して重ねて、蒸かします。よく蒸かされればできあがりです。焼いても膨れたりしません。日本は、お月様のウサギ並みに、餅米を洗って、せいろで蒸して、臼に入れて、杵で捏ねてからペッタンペッタン搗き捏ねまくって、一つのすべすべのモチの固まりにしてから、伸して伸し餅を角切りにします。細粉化の工程が蒸してアルファーデンプン化の工程のあとになりますが、中国流と工程がまったく逆で、明らかに、中国渡来ではなさそうです。
フィリピンのタガロガ族の、米の精米法に日本の木の臼と、杵にそっくりの農道具があり、モチも搗くことがあるようで、、現在は日本人観光客用に、男女交合のシンボル!夫婦和合のお守りと称しておみやげ屋で盛んにミニチュアを売っており、怪しげな写真も要るならつけるから奥へ、、、などと言って、売り込んでいたりしますね。どうやら、渡来元はムー大陸方面の農耕民のようです。

中国にもモチ餅(ビン)の字はありますが、こちらは麦やあわやコウリャン(高梁)の黄色いのを粉にして、丸く薄い小さな板状で蒸した、こうりゃん蒸しせんべいのようなモノを指します。上海やチンタオなどではよく食べられているようです。

お正月春節の関係で、食べるお餅は年ガオと区別しますが、一般家庭では、カオも餅も、年中行事の毎月のパイパイなどにはつきもので、餃子と共によく食べられていますね。餃子も中国のコウニェン過年(年越し)には欠かせないモノで、、、大家族制の名残の民族の大移動の大晦日の夕飯は、その年一番の大ご馳走を準備して、大家族そろってから、平らげに掛かるわけです。くたびれて、少し休む頃、年が変わります。日本なら年越し蕎麦ですが、中国では、年越し餃子です。足かけ2年越しの長蕎麦ならぬ、餃子が、集まった幾組もの家族から提供されて品評會しながら家族同士の交流会になり、又平らげられていくわけです。昔は元朝の日の出と共にならした爆竹が、現在の中国では年越しの年の変わり目で、花火などと共に盛んにならされるようですね。「日本の歴史的暦」参照
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