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真空管回顧録:8:しげしげと眺めた戦前のドイツ・テレフンケン製電蓄

私が濃尾平野のまっただ中からポット出で、東京へ出たのが、終戦から4年半後の戦後のどさくさ後半期。米の飯の配給がないのにどこへ行くにも、米穀配給通帳かそれに代わる外食券というモノを持って移動しなければなりませんでした。特に東京でお宿を頼むには米の現物が必要でお味噌ももってこいの時代、重い双璧を担がねばなりませんでした。
この年5-6月に急に民間放送が始まり、6月の下旬にとなりの朝鮮半島で、38度線を越えて、北鮮軍が南進、夏の終わりには中国軍が鴨緑江を越えて北鮮軍の応援に駆けつけてきて、、、国連軍が南韓国軍を支えようとするが、どんどん後退、12月には、洛東江に一つしかない橋に激戦区域が集中、韓国・国連軍は凍りそうな洛東江に追い落とされるか全滅かの土壇場に陥っのでした。

この朝鮮戦争が始まる数日前、私は、上京して初めてのまとまった仕事(今語ならバイト)を請け負うことになりました。
戦前の最新だった、ドイツのテレフンケン製の輸入電蓄が、電蓄外観図
音は本格的ダイナミック・スピーカーで良かったのだが、フラットモーターでワウ(回転癖)やフラッター(回転むら)の心配はないモノの、FLAT motor
レコードを乗せてからそのレコードごと手指で始動回転の弾みを付けなければならないこと、真空管がドイツ製で規格がまったく判らず、補充が利かないこと、ラジオ部分が長波と短波だけで日本の中波放送は聴けないこと、、、以上の不具合を、完全一掃、日本の放送が聴ける、日本式自動の電蓄に作り替える見積もりをせよとのコトでした。但し、パネル面とスピーカーは弄らない変えないこと、、が絶対条件。

ハイと、その場で、概算見積もりを約30分で提出.。ついでに中波に短波(当時のCバンド6Mc/s-18Mc/s)付けても手間賃は変わらず、と説明し更に取り替える部分のシャーシーの概略図電蓄シャーシ図
をそれぞれ5分画で書いて見せたのが好感を持たれ、3晩の手間賃が3千円で良いかとまで言われ、私の下宿の玄関現物引き渡し、取り替え分部品代(内金)先渡しで契約成立、着荷後5日目渡しで請け負いました。

翌日、リュックを背負って登校、帰りに神田、秋葉を廻って大物部品とシャーシと工具を調達、下宿に帰るともうテレフンケン到着。夜なべ仕事でスピーカー以外全解体工事で「セミ・徹」。
成る程オロロイタのが、見たのが初めての珍妙な真空管、シャーシー図にチョロッと見えるのですが、、、兎に角曾て見たこともないモノ。前段のスーパーと思われる部分は、銀色の導電塗料を直接ガラス管に塗って、ベース横のアースネジに引き出してある、完全シールド管。タマを抜いてヒータ電圧をチェック、整流管は5v、出力管が2.5vシールド管などのラジオ部はナンと4.5Vでこのシリーズは捨てるしかない。4.5V管図
予想通り6WC5-[6D6]-6ZDH3までは決まった。56-terefunken5極管として出力管をスピーカードライブのために活かすか、一晩寝苦しかったが、シャーシスペースの関係もあり、AF1段節約していきなりUZ-42でスピーカードライブすることに決めた。惜しまれながら去る、管名表示がない製造番号らしい刻印1364gのあったニッケル網プレートのテレフンケン5極出力管のスケッチを掲げておきます。telefunken Pentode
更に、この電蓄からは、フラットモーターという交流同期歯車型ローター定速回転するというモノを勉強させて貰ったほかに、戦前のこの時期に、既に、印刷回路でこそなかったが、薄絶縁板に、薄い(厚さ約0.2mm)真鍮のストリップを打ち抜いて回路を造り、部品穴と、絶縁板への真鍮回路を止める鳩目穴を部品搭載スルーホール兼用としていたことは特筆するに値します。この意味からは、真空管の中心にもバナナ脚のある5本脚というのは一つの別の意味が生じていたようにも思われます。テレフンケン電蓄
薄い絶縁板の上に銅箔を貼って、エッチングで、印刷回路を形成した戦後の平面回路サブトラクト法とすれば、このテレフンケンの戦前の平面回路法は、アデイテイブ法の嚆矢であったとも言えるのではないかと思っています。
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コメント

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RMさん♪今日は電話ありがとうございました★
大鹿さんとの電話はどうでした?
また聞かせて下さいね♪

またこちら寄らせてもらいます。

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