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本8日未明西太平洋において、、、を聞いたラジオの頃

「オイ、起きろ、アメリカイギリスとも戦争だぞ!」と親父が兄と私を起こした。親父は毎朝、6時のニュースを寝床の中で聞きながら起き上がる。そのラジオは、自分でお手製の3球式鉱石検波レフレックス式朝顔ラッパを鳴らすエリミネーター受信機だった。当時世間並みのラジオといえば、まだ朝顔ラッパのモノから、立て型が多い並四、新式のモノでは局型というダイヤルがセルロイド張りの横型のちょっとハイカラな感じの横型まであった。
初期のらぢおたちmc
インターネットも発達して、いろいろ、発表される方は多いけれど、ラジオの外ドン殻は500種類集めたの、部品は壊れてなかったよ、とかは書いてありますが、真空管の他に回路図ぐらいはあっても、なかなか部品、特に、自作時代の部品の作り方までは書いたモノが残っていない恨みがあります。7メガの7.181キロヘルツで、自作派のJA1ハッピーアンクル コト伊藤傳次郎さんが、自作の送信機や受信機作ったと叫んで居られますが、、、この方親子、つまり傳次郎さんの親父さんは昭和一桁時代から、、真空管や、バリコン、カーボン抵抗、マイカ蓄電器、などを手作りや小型旋盤、プレス機、ガラス溶融マッフル炉や真空ポンプ油拡散真空装置まで工房に準備して、少量生産し、本郷追分(現文京区)のラジオ商K商会で、私設無線電信実験局や、短波受信局(当時は聞くだけでも申請して許可が必要)を作ろうとするヒトに便宜を図っておられたのです。当時の初期は瞬滅火花式送信機の実験も申請すれば許可になル時代で、傳次郎さんは親父さんの瞬滅式火花送信機も大切に保管しておられます。
戦時中のラジオに関する標語には、、、「ピーピー泣かすな赤子とラジオ!」というのがあったが、上の写真の左の朝顔ラッパの2つは再生回路がないモノがあり再生発振してピーと泣くことはなかった。外国から輸入した高級ラジオは都会の偉いさんや「おだい」(お大尽の略)と称した通り一遍でない大金持ちのステイタスシンボルであった。既に諸外国には、たとえばRCAvictorのスーパーへテロダイン式のオールウエーブやさらにそれに電気式蓄音機(略して「電蓄」)の着いた、ラジオエレクトロラなんて言うモノまであった。(当時のスーパーの中間周波数は、RCAビクター系は463と163Kc/s、ドイツ・テレフンケンやイギリスHMVは183や263kc/sと各社まちまちであった。)
戦前のこれら舶来ラジオや、ラジオ付き電蓄、特に上品なイメージのヨーロッパから輸入の舶来全波受信機付き電蓄では、笑えない笑い話がありました。当時商社マンで、ヨーロッパに駐在するのは、高等商業学校の貿易科卒業した外国語に優れた文化系の高給取り。
テレフンケン全波電蓄1937001mc
理工科的の素養はあまりないか全く無い。アメリカはなくても良い、長波から中波、短波それこそオールウエーブ全波放送バンドがある。そのまま輸入して、日本のJOAK、JOBK,JOCK,日本語の放送が聴ける。Victor Radioelectrola
日本の放送は当時中波だけ。ところが、、、その日本でラジオで放送を聞いていた文化系の高給取り商社マンがヨーロッパへ行ってもヨーロッパのラジオでその国の放送がしっかり聞こえている。なにも気にせずに日本に舶載輸入する。日本から見れば舶来である。日本で電気をつないで、おや220vは無いぞ!、ならラジオ屋さんでトランスを一つつけて、、、も日本語の放送は一つもならない。「ラジオやさんが壊した!」と騒ぎになる。理科系の外国通がきて、これは鳴らんのが当たり前、ヨーロッパでは日本の放送バンドに相当する中波帯の放送が無からラジオにその波長用の受信用の部品が付いていないモノを輸入してしまったことに初めて気づくわけ。ヨーロッパでこのラジオがガンガン鳴っていた日常放送波長は長波だったわけ。日本に長波放送はない。
大枚はたいて、舶来のHMVや、テレフンケンのラジオ付き電蓄を戦前買った人の半数はこうしてラジオは聞かず。もっぱらレコード屋さん通いを初めて、クラシックのレコードコレクションなどに凝っていたはず。「銭形平次捕物控」の著者、野村胡堂氏もこうして、むしろレコード評論家「野村あらえびす」としての評判の方が高かった。
上記の当時のラジオの写真の左端は、自作派が朝顔ラッパと、まな板の上に部品を据え付けて配線するような方式で作ったモノですが、手巻きのコイルの他にはこんな部品が市販されていたりしたのですね、真空管の他にも。
まな板ラジオ時代の部品類mc

自作派の、舶来オールウエーブやまだ電蓄・レコードに興味や縁も銭も無いモノは、頼まれればコイルを巻いて、中波の発振コイルと、アンテナとグリッド側同調コイルを巻いて、日本では全く用がない長波コイルを外して、置き換えればいいと思うでしょう?そう簡単にいかないのです。なぜなら長波はぐっと波長が長く、中間周波数が、163Kc/sぐらいのヒクーイ周波数で、この回路も同時に切り替えられてしまうからです。この回路も切り離してしまう必要があります。
当時のコイルの巻き方ですが、細いエナメル線が日本ではありませんでした。絹巻線、綿巻線でした。並四コイルなんて便利なモノもありません。全部手巻き自作です。上の当時のラジオの写真の一番左の写真に緑色のコイルが見えますね。当時バスケットコイルと称しました、竹丸箸が5ー6本と絹糸少々と厚板があれば、再現できます。
厚板に丸く円周にそって、13本の丸箸(長さ約1/3に切って)をあまり高くなく立てます。後はスパイダーの一本ごとでなく2本とばし要領で、後で絹糸で纏めやすいように絹糸を要領よくピンセットでひょいひょいつまんでよけながら、巻いていくのです。発振コイルは約40回。グリッドコイルは約65回、,,もちろんファイバー紙など、スパイダーコイル腕木に使えるモノがあればスパイダーコイルの方がぐっと巻きやすいのですが。当時はファイバー紙なんぞは、そう簡単に手に入りませんでした。このバスケットコイルはを一人で両手の指67本を入れ替わり立ち替わり駆使して捲くのは、かなり器用なヒトの仕事でした。毛糸で子供のセーターをホイホイと編めるヒトならちょいとなれれば出来ると思います。難しいのは、むしろ絹糸の扱いです。
手巻きコイルの巻き方002sc手巻きコイル003sc
この1941年12月8日には、戦前のアマチュアたちの私設無線電信電話実験局、および、SWLである、短波放送受信許可聴取者、に対して、逓信省技官と地元警察官帯同で、臨検があり、戦時特例法と戦時機密保護法の故を以て、短波送信機は寄付献納の意志の有無打診、それに由る措置、献納封印で無ければ短波コイル取り外し没収封印。(北陸はその日の臨検踏み込みでなく、局モチ者の申出による来宅措置であったよし。byアイコムビーコン紙などによると)であったよし。この種舶来全波受信機も例外ではなく、中波以外のコイルはニッパーと糸鋸で、むしり取られた。

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

スパイダーコイル

私が始めて自作したラジオはスパイダーコイルを巻いたものでした、
緑色のエナメル線を丹念に巻いたことを思い出しました。
小学6年生頃の話です、学研の雑誌科学の付録のゲルマニューウムラジオ
でした。

Re: スパイダーコイル

> 私が始めて自作したラジオはスパイダーコイルを巻いたものでした、
> 緑色のエナメル線を丹念に巻いたことを思い出しました。
> 小学6年生頃の話です、学研の雑誌科学の付録のゲルマニューウムラジオ
> でした。
コメントありがとうございます、ヘエ、戦前の絹巻き線も殆ど何故か、絹糸や絹繊維が、緑色か草色のモノでした。わざとそれに似せて、エナメル線まで、緑色にするとは、にくいですね、綿巻線では無着色の白がふつうでしたが。

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