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戦前のYL局参加の陸軍秋の大演習での愛国無線通信隊記事と写真

アマチュア無線50年の歩みにも、また、インターネットの戦前の素人無線の記事にも、特にこの陸軍大演習への参加、特に、YL局の参加写真はないように見受けましたので、歴史的写真が「無線と実験」誌の昭和10年1月号にあったはず、、、という証拠を残しておきたいと思います。
s9_10月愛国無線隊全員写真003mc
s9_10月愛国無線隊の名簿002mc
どちらのコピーも、私の20年前の手書きパピーニュースの記事を経由してのまごまごコピーですので、解像度の不良は、お許しください。「無線と実験」通巻第130号は読み取れることかと思います。
当時、帝国陸軍は、毎年秋10月下旬にその内地の各連隊を総動員して富士の裾野に集め、東西を紅白2軍に分けて、2日間にわたり一日は天皇陛下または秩父宮ご臨席の元での大演習がありました。
この大演習の陸軍通信隊の指揮官は、昭和8年からこの人で、既に昭和8年夏8月の関東地区防空大演習から、JARL(記事では素人無線連盟)に協力を要請してきていて、そのときは、30数名の盟員が演習に参加したようですが、この年の秋の陸軍大演習には16名の参加だったようです。
YL 無電通信士J2KU 尾台妙子さんは、この写真の中,前列真ん中やや左の戦闘帽軍刀斜めに構えた隊長と、左のネクタイ姿に挟まれた、船底帽姿、首に白のネッカチーフ、胸に水筒と雑嚢のひもがXに交又した方(当時の表現「モ・ガ」)がそれですね。連盟盟員でこの大演習に参加されたJ2IA藤尾八十治氏以下16名の愛国無線通信隊の編成と住所局名録も掲げておきます。


戦前は、日本でも電報局に電報送受用の電信儀の音響受信儀は茶碗と箸でトンツウを叩くようなテカテッカテカテカ式のでしかも和文だけの送受なら任せの女性で、逓信電信技手という職業資格を持つ女性は、全国に数万名もいたわけですが*)、、、無電と当時は言った短波や長波での国際無線電信では、ピーピピーピと言う連続音信号で、しかも欧文の文字信号としても覚えなければならず、さらに私設電信電話実験局の免許を取るにはその法規と、さらには簡単な送受信機についての回路と調整法についての試験をクリヤーできる勉強が必要で、、、和文送受の実技だけなら任せでも当時の女性にこの敷居は、ハードルほどにも高かったようでした。
尾台妙子さんは私設無電実験局の免許を取る以前は、電報局の局員で逓信電信技手で、当時の逓信省主催の全国電報電信送受競技会で優勝されたのでした。これに目をつけた、JARLの矢木さんが懸命に勧誘し、欧文トンツウは世界に通用するし、短波無電には連続音受信が必須であることからこれを覚えれば、さらに希少な高級職業、日本無線電信(株)にも就職出来ると薦めて、、、ついに戦前免許YL第2号として免許取得されたようです。
既にこの愛国無線通信隊名簿でもその日本無線電信(株)に居られるようですね。数年後に、JARL入会時に最年少だった好青年、東京帝大航空研の最年少研究員となったJ2LC井上氏と結婚、鴛鴦ハムの形になっておられたようです。
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*)註:たとえば、JA1DCY神山さんのお母さん(既に故人)は、ベテラン逓信電信技手で、茶碗と箸でお母さんとは内緒話が出来たそうです。
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この尾台さんと井上氏の事は、戦前の日比谷のビルの地下喫茶「レインボー」の会での話として、J2IB/JA1AA庄野さんが、アイコムの機関誌だった「BEACON」(クリック)の電子版に書いておられます。クリックしてご参照ください。

又戦前の有名な第1号の、J2IX杉田千代乃さんの誕生悲話、婚姓「鈴木]となってはいましたが、戦後の復活コールJH1WKSやJJ1SICでQRVされたこと、などはJARL「50年のあゆみ」の他、上記[beacon]でも複数の方が語られ写真もたくさんありますが、1991.5.20日に逝去されたorbituaryは、JA1FUYさんが、[QTC-JAPAN.com(クリック)]の「あるOTが残したアルバム」の項にお書きになっています。直接クリックしてお読みください、この10月から法規制によりうっかり他の記事を引用できなくなりましたので残念ながら、リンクでつなぐしかありませんモノで。

とにかくしかし、第2号の尾台(旧姓)さんのX(婚姓・井上)が付く前のいわゆるYL時代の写真はきわめて少ないようで、、、ここにマゴマゴコピーながら、掲げておく次第です。

なお、上に掲げた愛国無線通信隊の名簿に、J2KS 郵便局員栗山晴二氏の名前が見えます。この方が、5年半後の「無線と実験」確か昭和15年の10月号?に、十数枚の気象図(何故か戦後は「天気図」という)入りで、気象、特に停滞前線の位置と当時の5m(当時は56-60Mc/sが許可バンド)の国内強力伝搬の関係を詳細に解説され、、、後に、そのコールサインのサフィックスをもじって5mでの「キングソロモンの法則」として有名になった方です。戦後もそのKSを残して、JA1KSとしてご活躍でしたが、既に物故されました。特に付け加えておきます。
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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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