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7年前のAeroplane誌9月号から

戦争趣味ではありません、爺の懐古趣味としての雑学です。JR0DLU大堀サンからだったと思いますが、6-7年前に、標記雑誌をお送りいただきましたありがとうございます。4半世紀前にノルマンデイー6年住み込み時代は、ホンの川向こうの退役英空軍(exRAF)爺さんどもと良く7メガのローカルラグチューの相手をさせられたものでした。JR0DLUのQSLにはBf109の3面図のものがあったと記憶していますが、この2005年9月号には、B-29の3面図がありますね。丁度VJ-60年と言って、日本との戦争に勝って60年という8月の発行です。
欧州には、このB-29は行っていなくて、その前哨「空の要塞」機B-17がアメリカ支援空軍によって送り込まれて活躍しています。
XB-29  sept 21 1942mc005
此のページの囲み記事的なところにあるようにB-29のプロトタイプのテスト飛行は丁度今から70年前の9月に有名なエデイー・アレン飛行士が試験飛行しています。一番下の写真がそれです。
この9月号には、この2005年に何十年ぶりかで行われた、ビックリするような機体同士の記念すべき2機「編隊」飛行写真が掲載されています。先ず零(レイ)戦とBf109、
zero  Bf109002mc
続いてB-24とMe262
B-24  Me-262003mc
よくまあ、60年後に又飛び上がれるようにレストアされたものだとほとほと感心します。
冒頭紹介の「超・空の要塞」の生き残り機のリストが出ています。(赤字のが飛ぶ)としてありますが。
B-29survivors004mc.jpg
指定航空貴重品のようです。
イギリスはやせても枯れても戦勝国ですからVJ-60Dayと言えば、そりゃあもう、、、デスね、日本でも、瀬戸内海に面した陸の孤島と言われた昭和鉱業・郷ノ浦製錬所にいた英軍捕虜のための物資補給並びに郵便物投下は、米軍に先駆けて英軍機によって終戦後中一日後の8月17日朝に行われたと私はこの後継製錬所に昭和29年10月に赴任して直ぐ英軍捕虜約70名と一緒に働いていたという従業員から聞かされました。さすがロワイヤル・エア・フォースの面目躍如です。*)

この号にも、B-29特集として、エノラ・ゲイ号のリトルボーイ(原爆)投下記事はあります。写真部分のみ切り抜きでコピーしておきましょう。
B-29 ENOLAGay hirosima001mc
原爆投下後間もない廣島の写真は貴重なものだと思います。
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*)この物資&郵便投下が、第一回で、以後1週間に2回ほど宛、8-9月に飛行機が来ていたが捕虜の言では、呉に空母が入港していて、ここから英空軍の戦闘機が運んでくる、と言っていたそうですが、この従業員によると、飛行機は確かにイギリスのマーク、機種は、羽のWに曲がった飛行機で、イギリスの機種のようではなかったヨシ。偶然ながら、この雑誌この号にアドミラルテイ諸島に第二線として日本の本土決戦投入用に待機していた、1944年11月から1945年9月までの契約で、ニュージランドがアメリカから借用していたエンジン増強換装前の旧型F4U機体での、英王室空軍ニュージランド支隊があり、「天啓的」に終戦めがけて米空母に乗せられて日本近海に来ていた可能性はあると言うことのようです。
300px-Papua_new_guinea_manus_province.png
vought F4U admi RNZaf mc006
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テーマ : 雑学・情報 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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