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沖縄疎開船受難事件ツウ

8月の項で、、、学童疎開船「対馬丸」の潜水艦魚雷による沈没遭難に触れましたが
このほか沖縄・石垣島から台湾への小型避難船2隻が昭和20年7月に、米空軍B-24の攻撃を受けて、機関がやらるなどして中破、あり合わせの布をつなぎ合わせて帆の代わりに張って、帆走して且つ戦前尖閣列島魚釣り島にあった鰹節工場にいたというヒトの誘導で、魚釣島 に辿り着き、1ヶ月半後の終戦後、50日ぶりで救出されますが半数に近い50数名が飢えと怪我が元などの病気で死亡、、、と言う悲劇が起きていたようです。
300px-Maxwell_B-24_(cropped).jpg(写真はB-24;米海軍機PB4Y-1も同型機体の哨戒機仕様バージョン)

この事件は、尖閣諸島戦時遭難事件(クリック)に詳しく述べられていますが、魚釣島には明治時代から鰹節工場があったのが戦時統制法その他資金規正法などの強化もあって、昭和15年に閉鎖されていますが、この工場にいたことがあるというヒトがいたお陰で無人島となっていた魚釣島で50日ほど喰うや喰わずで雨露凌いで、救出に逢い一命を全うした人たちもいて明治からの鰹節工場は閉鎖以降戦後の方がむしろ有名になったのだそうです。魚釣り島全景
珊瑚礁を切り開いた明治時代からの船着場
日本の人、特にマスコミ関係者が不勉強で古賀村が存在したことも知らず、ニューヨークタイムズに100年以上も前から日本領土、、、と、すっぱ抜かれてしまいましたが、心したいものです。

同様の勉強なさりたい方は、竹島でもクリックしていろいろご検討下さい。29ページ分ほどもありますよ。
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