スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

オート三輪のおはなし

「乗り物」という範疇なのでしょうが、、、運搬車の区分でしょうね。
宮崎駿監督は、飛行機にメチャ詳しいことは「紅の豚」で遺憾なく証明されていますが、「となりのトトロ」に出てくるオート三輪2態も、いい加減のモノではなくて、大いに感心させられます。シーンから抜き取ってみました。ご覧下さい。
オート三輪トトロmc
冒頭の、お父さんとさつきとメイの三人が、キャビン付きの戦後10年たった頃の戦後最新版のオート三輪満載の隙間に乗り込んでのお引っ越しのシーンです。このキャビン付きのオート三輪は既に丸ハンドルであることがこの画面の前後のシーンで判ります。引っ越し先は、お母さんが長期療養入院しているサナトリウムにはトトロの森から自転車でならいける距離のようです。夏の真っ盛り、お母さんが、週末外泊で帰ってくる筈の予定が取り消されたとの電報が、小さな姉妹の心にショックを与えます。姉妹のショック疲れの昼寝中、妹メイが1人で七国山の病院に歩いていこうと行方不明になります。姉さつきは、必死に探し回りますがその途中で、七国山から来たというオート三輪の兄妹連れに遭いますが(上の二つの図に対し下の図がそれ)このオート三輪は、キャビンもホロもない戦前の典型的な、ツノ・ハンドルのオート三輪です。
この赤シャツにカンカン帽のお兄さんが運転するオート三輪の絵がどのくらい正確か、戦前のオート三輪ビッグスリーの写真と比べてみてください。戦前オート三輪ビッグ3mc
オート三輪という運搬車が日本で生まれたというのは、オートバイの二輪車牽引と無関係ではないようですが、、、前稿で書いたように職業としての人力車曳き俥夫「俥やさん」の存在と無関係ではありません。人間は歩かなくて済むようになりましたが、重い荷を曳くには、大八車や、荷馬車では、早さがたりない場合が生じてきたのです。その第1番が軍隊の移動です。人間の移動だけなら日本も将校や騎兵隊は馬でした。西洋ではオートバイが馬に取って代わります。特に将校や伝令の移動には、サイドカーが使われはじめ、日本でも、軍隊には側車付き2輪と称して、サイドカーが、大正時代から使われました。因みに側車は一輪ですョ。コレを取り外した、オートバイを陸軍用語では「単車」(側車が着かないから)と呼称していました。戦後、帝国陸軍はなくなってもサイドカーなんて見たことがなくてもこの陸軍用語だけがオートバイの和訳として一人歩きしたわけです。
自転車も普及が進むと共に直ぐリヤカーの牽引が考えられたように、大正にはいると、日本でも、外国製オートバイの輸入が盛んになり、特にアメリカ製、インデイアン・モトが故障が少ないとの評判で普及し、
Scout.jpg
警視庁が、大正6年頃、赤バイ4-50台を一括輸入して、赤バイ隊を編成しています。この頃からかっこいいのはこっちよ、と、ハーレイアンドダビッドソンが輸入競争に加わります。
この頃から、軍隊経験のない金持ちの運転手付きの乗り物用に、自動車の潜在需要がおきてきます。もう馬車の時代ではなくなってきたのです。しかし、自動車には、ガソリンという、馬と違う燃料が要るということ、米一俵が10円札一枚という時代に、五千円を大きく超える初期投資が要るということで、鉄パイプに五厘鉄板の板金加工で、手作り自動車を作ろうという人が現れ、白楊社という会社を作って、エンジン、プロペラシャフト、ブレーキ、デフ、などの部品輸入してあとは手作りの自動車を300台ほど売っています。ここで技師長をやっていた蒔田鉄司という技術屋が、大正の関東大震災後の復興に、資材の運搬、それも小回りの利く運搬手段の需要が大きいと、見て、、、自動車製作経験からオートバイに二輪車牽引させる発想から>4輪は無駄>、なら、一輪省略して>オートバイの後輪の代わりに三輪の右輪だけをプロペラシャフトで廻す>デフ省略発想でオート3輪を廉価に作ったのでした。エンジンはイギリスのJAPや,サンビームなどの350CC級の空冷単気筒、、、気筒容積の割に出力は大きく、180kg(約五拾貫)の荷は運べる運搬自動三輪運搬車を帝国陸軍が農家などの馬を将校乗馬用に買い上げる価格850円での発売を実現したのでした。自分の名前にある字「鉄」から「くろがね号」と命名しています。(因みにこの商品名は戦後会社が東急車輌に売られても受け継がれました)(三連写真中央)
昭和に入ってまもなく廣島の東洋工業がマツダ号(同左)を、さらには大阪内燃機が、ダイハツ号(同右)で後を追っています。
この頃フォードモーターのトラック、乗用車のノックダウン輸入工場の話が持ち上がり、市場調査の結果、このオート三輪の潜在需要が意外に大きいことを、フォードが心配しはじめたため、運輸省が、オート三輪の気筒容積は350ccまでと釘を刺しています。コレが、戦後まで尾を引いて、日本独特の存在「軽自動車」の気筒容積は三六〇ccまでという世界的にも希な存在が始まったのですね。
側車も荷車も着かない、「単車」オートバイの国産化も、昭和に入って漸くオート三輪の需要に連れて、進み始め、トーハツ、サンヨー、などが、売れ始めます。特にトーハツのエンジンは評判が良く、戦後、会社は放漫経営で潰れますが、エンジンは戦前戦中液冷だけで空冷エンジンの経験のなかった川崎がそっくり受け継いだくらいです。
こうなると、国産奨励のために、米国製のハーレイダヴィッドソンやインデイアンの完成車輸入関税は障壁化されることになり異業種「三共製薬]が戦前多角経営的に投資していた「日本ハーレイダヴィッドソン」も、ライセンス製造化されることになりブランド名の、カタカナ名前は棄てて「陸王」という戦前派にとって懐かしい自動二輪が登場したのが昭和10年でした。
250px-Rikuo_VLE1200_1959.jpg
スポンサーサイト

テーマ : どうでもいいって言えば良いんだけどね - ジャンル : その他

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。