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真空管回顧録:7 小型送信管 とその身代わり管達

小型送信管
目の前にタマがあるわけでなく、ノルマンデイーの社宅にあるリグも、半導体終段のFT757DxM50w機。
レシプロライセンスでフランス1年免許で、日本の2アマはFD1相当に扱われるから、日本の局免にはバンドは関係するが、電力は関係なくフランスの相当資格で制限される100Wが可能。だから、免許確認テストに来た検査官が50W機でアンプリは使うのか?の質問があった。リニヤーアンプリファイヤーは日本ではリニヤと略すが、フランスではアンプリと略すようでありました。
7メガが日本人ハム開始当初は5つの周波数スポットで、他のバンドも、メーカー検定済みのヘテロダイン周測計を備え付けていなければ、許可電力は「無周測」資格に関係なく10w以下でありました。
当時、メーカー較正検定証附きのヘテロダイン周波数計は、ハム開局全経費よりも高価であったでしょう。まあ金のない素人は、水晶磨いて、10W以下でおやり成され、というお役人の親心であったのでしょう。小型でも送信管と名がつけば結構なお値段でしたから、ハム開局を目指す人たちは身代わりになりそうな、放出代替管ジャンク、出力5極管、ビーム管等で思い思いに実験して、これらの垂涎のタマは横目で見るに留めて代替品の獲得に懸命でした。
UY-807の代わりは、住友真空管(戦後の日本電気となる)学校等の放送アンプ用の終段や、海底電線端末増幅器用に使われていた807のトッププレートを脚に廻したと云われた本来オーデイオ用の出力管FZ-510D等、又、アメ・ジャンの6L6G、その直熱2.5vメタル管ジャンク1619,殆ど身代わりそのもののでは、807の12.6v管1625、でした。2E26や2E24(2.5v直熱)になれば高級でした。大体そもそも807は始め、低周波放送アンプ終段用のビーム管として、50やB級増幅の79の代わって大型オーデイオ拡声器アンプ用に開発されたモノで、戦争のどさくさで、送信にも使えるという拝借用途でした。日本では、飛行機対飛行機用の20メガ以上周波数の用途に使うために807の冗長なステム部分を可及的に縮めてステアタイトベースにして真鍮板をはかま巻にしたUY-807Aというタマを開発小型化、高周波数用としていました。
807の出力に相当する送信専用管としては当時から、直熱6.3Vフィラメントで、波形プレート補強の5極送信管があり、そのプレートの波形が湯たんぽの波形を思い出させることから湯たんぽの愛称の2E22が有りました。yutanpo
この送信管と807とのよく似たことを思い出させるのは、電極マイカの下、ステムとの間にリード線のシールドのつもりの金属板リングがあることです。ところが、いずれも、送信機として作るときには、この部分も含めて、電極マイカの下までは金属筒で袴をはかせないと、自己発振を起こし易いタマでした。1625にも着いていましたがかなりおざなりで、傾いたモノや、外れ掛けたモノなど有り、お笑いでした。その点、2E22のはさすが、バッチリ・スポット溶接でした。
私は、1954年の12月に予備免許でしたが、1625の予定が、CQ出版の通販・代理部の高槻無線が左前で仕入れが出来ないと、代品1624を送ってきました。一ッ若番というだけで、大分の違い、先ず1625はビーム管なのに、1624は5極管。1625は12.6vの傍熱管に対し、1624は2.5vの直熱管、プレートデシペイションが、1625の60%程もないひ弱な送信管でした。
日本でハム再開と云われる、1952年7月30日30局が免許された時点では、具体的に割り当て周波数のあったスポット周波数又はバンドは、7/14/28/50で、事前の電波監理局の発表の3.5-144メガサイクルのうちの米軍の軍用使用中だった3.5/21/144メガはまったく解放されませんでした。Beacon誌などで3.5から144までと書いて居られる方などはSWLのご経験も無く、当時の雑誌を調べることもしないという不勉強な方です。こんな方が書いたモノを残されるのは歴史を曲げる元で、大変後世の混乱を招く源になります。3.5は2年数ヶ月後に、電信2波電話1波のスポットで申し訳に許可になり、21メガに至っては、4年後に漸く許可になりました。144も2年数ヶ月後だったと思います。50メガまでは、2E26でナンとか、波が出せましたが、この小型送信ビーム管は、スクリングリッドが弱く、ゲッターの位置も悪かったために、スクリーングリッドの片ヤケから端を発して、ヤケ球不良になるいわゆる片ヤケジャンクが多く、非常にひ弱いタマでした。50/144にプッシュプルでよく使われたのは、ベース無しのガラスから双頭双グリッド足の出ている双ビーム球で、10W級では832Aが、40w級では829Bが使われました。(その後国産化は2B29という名称になっています。)
これらを使って、50メガや144メガで、普及を目指して頑張った人たちは、当時俗に「大浦回線」と自称他称した東北本線沿線大宮浦和方面の方たちで、固定の3えれから4えれなどで、八木アンテナの試用に乗り出して苦労を共にしておられました。この人達の試用のお陰で、144も4メガ幅でのバンド幅が保たれましたが、タマが高い、おいそれと補給できない、安いタマは144メガには使えない、ということで、自作の限界が来ていて、局数は伸び悩み、遂に自衛隊に146-148メガバンドが奪われてバンド幅が半減させられてしまったのでした。それから大分経って、代わりに430メガがまったく新しく割り当てられたわけです。このバンドではもう大型真空管では駄目で、僅かにエーコン管955の脚直結レッヘル線発振とかシンプル電極双3極ミニチュア管6J6直結空洞共振とかが実験されたにとどまりました。私も6J6で、430メガまでのグリッドでデイップメーターを作ろうとしましたが390メガで発振が止まり、結局UHF用のトランジスターを待つしかありませんでした。
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