スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

戦前の夏の海水浴場では、、、

戦前、関西の親戚からは暑中見舞いと共に、舞子浜の海水浴に行った便りが、親戚の数だけ来たりしました。
maiko_004_s2.jpg今の舞子浜はこんなに団地が近いようですが、戦前は白砂青松の海岸だったようです。
伊勢湾に近い郷里でしたから、毎夏、我が家も少なくとも一度は、一家を挙げて海水浴に行きました。今は遠浅の海が埋め立てられて、四日市の新ポート埋立地の内側になってしまった、霞ヶ浦海水浴場が決まりでした。ここに行くには、当時本線とは言わず「関西線」と言った、省線の四日市と富田浜の間に、夏季限定で「午起」(うまおこし)という駅が開業し、ここから歩いて直ぐの森を抜けると、整備された営業用の海水浴場がありました。戦時中は、海軍の何かに使ったとかで、貸し室や風呂場は荒れて休止していましたが、砂浜は健在で戦後直ぐにもテント担いで、海水浴に行った夏がありました。
霞ヶ浦海水浴場地図001
その戦前の関西の、舞子浜海水浴場ブームにあやかろうと、伊勢湾の、富田浜とは対岸の、常滑海岸に名鉄常滑線に「新舞子」駅と共に新舞子海水浴場が開業しました。確か、その夏、七月七日に廬溝橋の銃声一発、、、日中事変が始まった年ではなかったかと思います。新舞子海水浴場地図002
地図を掲げますがいずれの地図も現在のモノで、遠浅の海は、いずこも同じ、埋め立てられて、海は泳ぐところではなくなっていますね。
小学二年の夏に、従兄弟の小父さんという人に従兄弟と連れられて、一度だけここに行ったことがありました。ここの海水浴も楽しくてくたくたに疲れるほどでしたが、それにもまして、興味をそそられたのが、この直ぐ海岸沿い南に、飛行機教習所があるということで、中型と小型の、複葉の、ゲタバキ水上機が、代わる代わる低空飛行して、離着水を繰り返すのが見られたことでした。
戦後随分して、この飛行機教練所は、NHK連ドラ「雲のじゅうたん」で、主人公の女性飛行士を戦前に育てた、有名な、教練所だったようで、又、アマチュア無線を通じて知り合った、航空母艦「赤城」の九九式急降下艦爆の操縦士で、真珠湾攻撃にも行ってきました、、、という、静岡、駿東郡に住む、加藤さんという方も、海軍に入る前の操縦は此処で習いました。ここの連中と北陸の訓練所あがりが操縦は旨かったですね、、、と言っておられました。この方に、ここで戦前使っていたゲタバキ水上飛行機の機種は?と聞いたところ、「あれは、確か昭和一〇年頃、民間に払い下げられた、水上機母艦能登呂の一四式水上偵察機が大きい方で、小さい方が、一三式水上練習機という、軽い操縦の簡単な飛行機だったね。目ヱつぶってでも飛べる飛行機だったよ。陸上型もあり、コレは民間では、引っ張りだこだったはず。」という返事でした。先ず払い下げの一三水練,
13_suiren.jpg
続いて能登呂の一四水偵、
300px-Yokosuka_E1Y.jpg
ついでに、最近の新聞記事の、
記事001
の飛行機の機種も、この加藤氏のご指摘の、昭和10年頃海軍から民間に払い下げられて評判の、一三式水上練習機の陸上型と、考証できますね。
スポンサーサイト

テーマ : 地域情報 - ジャンル : 地域情報

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。