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登龍門伝説と鯉の瀧登り

民放テレビで深夜、登龍門というタイトルの番組で、若手お笑いの育成と称する、いわば暇つぶし番組がありますが、、、
5月です!昔は村には勿論街中にも、長い孟宗竹などの先に矢車を付け、吹き流し、でっかい真鯉、でかい緋鯉更に小さめの真鯉と、小さめの緋鯉など、一家総出の鯉のぼりが、この春風に、翩翻と翻っていたモノでした。甍の波と雲の浪sc今でもこうして、JIS漢字第二水準までの漢字コードを活かせば、この難しい「ヘンポントヒルガエル」も自動的に訳出出来る有難いご時世ですが、、、肝腎の、鯉のぼりの方が,難関突破、努力の目標象徴「吹き流し」の意味も知らず勝手に省略、、、鯉昇らずの横並びの、極めて平等な、お堀端の鯉並みの民主主義的翻し形になっているところが多いようです。たちまち龍になりぬべき
ま、立身出世、身の栄達、、、なんざは関係ねえや!、、、でイージーゴーイングな生き方でもおまんまとお天道様は向こうから付いてくるような、社会でもありますから、勉強や心身の鍛練、芸の磨きナンザアどうでもいいや、それよりダイエットでもして、チコットでもメタンコに持てる方がいいや!という間乞いが多すぎるようにも思います。こんなお堀端の駄鯉に似て、瀧を昇って龍になろうなんて気は毛頭無いように見えます。お堀端の鯉龍になれるかや?
フリーウイキペヂアによりますと、「登龍門(とうりゅうもん)とは、成功へと至るために乗り越えなければならない難しい関門のことをいうことわざ。特に立身出世のための関門、あるいはただ単にその糸口という意味で用いられる。鯉の滝登りともいわれ、鯉幟という風習の元になっている。」とあります。
ウイキペデイアの続きですが、「この諺は『後漢書』李膺伝に語られた故事に由来する。それによると、李膺は宦官の横暴に憤りこれを粛正しようと試みるなど公明正大な人物であり、司隷校尉に任じられるなど宮廷の実力者でもあった(党錮の禁を参照)。もし若い官吏の中で彼に才能を認められた者があったならば、それはすなわち将来の出世が約束されたということであった。このため彼に選ばれた人のことを、流れの急な龍門という河を登りきった鯉は龍になるという伝説になぞらえて、「竜門に登った」と形容したという。」と。
今年は2012年、丁度100年前の1912年大正2年。文部小学唱歌5年生の唄に、詠み人知らずのこの唄が、弘田龍太郎の作曲で、制定され、今日でも歌い継がれています。

1.甍の波と雲の浪 重なる浪の中空を
橘薫る朝風に 高く泳ぐや鯉のぼり

2. 開ける広きその口に 舟をも呑まん様見えて
豊かに振るう尾鰭には ものに動ぜぬ姿有り

3.百瀬の瀧を登りなば 忽ち龍に成りぬべき
我身に似よや男の子児と 空に踊るや鯉のぼり

何とも、すがすがしい、風薫る初夏の空に踊る鯉のぼりを見事に歌い上げています。「登龍門」伝説も唄い込んで、教育の淵源をひもとくよすがにも役立てているわけですね。上っ面でないまことに懐が深い文部教育でした。

龍と鯉、、、、鯉が幾多の懸崖滝や早瀬を登り艱難辛苦の努力の末に登り切って龍門を潜れば、忽然と龍に化身出来るという、、、ありそうにも思えてきますね。鯉には口の両脇に、威張り髭の芽生えのような髭がありますし、鱗もがっしりとしています。(上掲のお堀端の鯉の写真参照下さい)あとは角が生えて、手足が出て、のど元に浮き袋が出てくれば、半透明で、龍の玉のように見えて、、、地上の作物や生き物に恵みの雨を呼んで、、、雲を呼んで、天に昇るという。想像上のものにしても、何か合理的にも思えてきます。
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テーマ : 歴史大好き! - ジャンル : 学問・文化・芸術

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