スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

機関車少年など何々少年の発生は代理部の存在?

平成も24年目を閲し、最近は、パソコンショップなども、店頭売りは激減し、学生街の高田馬場駅前にあった、九十九(つくも)パソコン高田馬場店が3年半前に店を閉め、その後を引き受けたクレバリーパソコン店も、2年も持たず、店を閉めました。原因はパソコン自作者や改造者が減ったことにもよりますが、インターネットショップ等による通販流通時代の再来です。
第一次の通販流行時代がちょうど私どもが、少年時代で、、、まだ科学雑誌や学校児童、中学生、など学生や大人向けの各種月刊雑誌が競争で読まれるようになった昭和一桁後半からのおよそ30年間のうち、途中大東亜戦争の前後約10年間をのぞく期間であったでしょうか。雑誌購読者、就中、その掲載記事のうち実際に作ってみようという製作記事や栽培記事にあった、材料や道具の完成品から工具農具の類まで、通販による、セット化やキット化によって、購読者は自分で買い集め利よりもずっと便利にその雑誌社の代理部の通販を使う便利さにオンブにダッコされていたわけです。
この時代、世間には人呼んで、機関車少年、電気少年、少し遅れてラジオ少年、天文少年、鉄道少年、などの各種凝り性の少年が出現した時代でもあったのでした。その少年たちは、それぞれにその方面の有能な、技師や、学者や先生たちに育っていったわけでしょう。
ついでですが、この時代にそれらの中でとびきり売れた、各種少年を育てた雑誌社、「誠文堂」と「新光社」がありました。昭和8年通巻第17巻第6号、つまり6月号の、表紙と裏表紙の新光社発行の科学画報の全面広告を掲げておきましょう、それぞれの発行雑誌社は、「子供の科学」が誠文堂、「科学画報」は新光社でした。それぞれの該当部分の新光社+誠文堂mc
部分拡大で示しておきます。
実は、時代の要請と言うことだったのでしょうか、新光社の編集発行人が突然物故して、誠文堂の切れ者編集人小川菊松氏が、兼務代行することになり結局、二つの大科学出版社が急遽この1年後も待たずに合併して「誠文堂新光社」という長い名前の出版社になり青少年学童生徒向けを中心とした月刊科学雑誌はこの出版社が大半を占めるようになります。未だ合併直前の誠文堂の方の「子供の科学」デスが、コレが、各種「何々少年」を作り出したと思われる子供の科学代理部の広告を列挙してみましょう。
3+4+5+6mc.jpg
次も子供の科学代理部。
7+8+9+10mc.jpg
同じく、
11+12+13+14mc.jpg
次の1ページの16ミリの映写機と、9ミリ半の映写機は、子供の科学代理部扱いデスが、あとの3ページはいずれも、広告を出した各社の通販広告と一部ペン習字などの勧誘広告です。
因みに戦前のこの時期、通販に限らず、家庭用の活動写真撮影機も手回しの9ミリ半のフランスのPathe Bebe通称パテーベビーという撮影機と、それようの9ミリ半の映写機が、大流行していて、うちの親父が手回しでゆっくり撮りすぎて、私ども子供がちょこまかと動き回るすばしっこい活動大写真を何度も笑い転げながら見せて貰ったモノでした。だって、この時代の、大学出の月給は、事務系は48円と決まっており、理工系が1円高い49円、高等工業・高等農林(後の工專・農專)出が39円、高等商業(後の経專・商專)出が38円と決まっており、それ以上稼ぐには勉強して責任ある役職に就くか、結婚したり親を引き取って、僅かばかり増える家族手当などのお手当をいただくしかなかったのですね。日本中皆貧しかったのです。国産品は皆壊れやすいメードインジャパンが代名詞、、、この16ミリや9ミリ半の映写機の広告(下)をよくご覧下さい、モーター付きは、いずれも¥75円也で、高等商業出のサラリーマンの2ヶ月月給分ほどもしたのですよ。当然元は舶来輸入物か、せいぜいノックダウン輸入品の時代だったのです。
何稿か前の、ジェームズ・ワットの稿で、イギリスやアメリカでは電機は勿論、蒸気機関さえ全くなかったころからでさえ、工場は山のなかに分け入って、、、山間の落差ある急流の、水力を動力源として、最大経100フィートもある木組みの大横水車をマワして、工場一つの通しの主軸とし、これからベルトで、フライホイールをマワして、紡績、織物、製紙、木材加工、小規模製錬、冶金鍛造、金属加工、印刷工業なども、既に起こっていたわけです。ワットの父親は、炭坑のよいとまけで、牛馬の代わりに、炭坑縦坑のケージの巻き上げ人足だったようです。
日本では、4輪車さえ禁止の悪政治の歴史で、折角幕府になっても「新規御法度」で、何ら社会的な鉱工業の発展もなく、幕府天領内で、ひたすら人力による秘密裏の、金銀銅(ごく一部に四国と九州の錫)の採掘だけが行われていて、、、鉱工業への展開の兆しさえなかったのですね。主に粗銅を中国に輸出し、日本で銅を使うときは中国から純銅や青銅を高く買わされていたわけです。甘い汁は皆中国に吸われていたとも言えます。そしてすかんぴんで、各藩ごとに外国の高い金利の借款を起こして、、、、火縄銃や、火薬や、仕舞には大砲や、軍艦まで、買わされて、借金まみれになっていたわけですから。コレを、明治新政府になってから、何とか不平等条約と、高利の借款を、国際的常識平等条約と、国際金利程度に条約や借款改定に努めはしましたが、負債の一時金利払いその他で、、、国費予算の何倍も毎年借金を返さねばならず、生糸と、絹織物を、造る片っ端から借金のカタに輸出して20年余、明治23年の10月の5日に、総ての不平等条約と高利の借款のやり直しの議定書の調印が終わり、、、名実ともに、独立国としての体面が整ったというわけでこの年のこの月末に明治天皇は独立宣言に代わる教育勅語を渙発、貧しくとも人としての道を守れと、、、諭したわけでしたが、、、国内の貧困は覆うべくもなく、、、軍部は富国強兵を叫ぶし、、、国内の産業は、とりあえずの生糸紡績、絹織物の工場のみという状態。汽車の線路も、この生糸と絹織物を運ぶ、真岡線と、高崎線と、八高線、横浜線だけという有様。それから40年しかたっていない、昭和一桁。その直前には、関東大震災という、自然災害もあって、♪、家は焼けても江戸っ子の、意地は焼けない見ておくれ、、、などの復興節も唄われていた時代。未だ舶来モノの他は家内工業で細々と国産品が造られた時代だったんです。
15+16+17+18mc_20120202205732.jpg
子供や少年の世界は、機関車電気機関車、蒸気機関、蒸汽で走るモーターボート、飛行機などの模型や天体望遠鏡、顕微鏡、カメラ、映写機に至まで、子供の科学代理部には揃っていたわけですが、、、実は社会というか、日本国内外の情勢は、この3年間に、世界とは隔絶されるような、後世いわゆる15年戦争と呼ばれる、暗い戦争という時代の幕開けに首を突っ込み、既にこの年の3月の国連、当時は国際連盟と称しましたが、、そこで報告された満州事変のリットン調査団の報告と勧告の賛否投票42:1の結果(日本国内の新聞はこの数字の語呂合わせで、国際連盟の採決結果は「死に体で、、日本が一番!」などと国民を煽りまくった!)になり、全権大使松岡洋右が、席を立って、連盟離脱を宣言してしまい、日本は世界の孤児となり、更に5月15日、血気にはやっただけの世間知らずの陸海軍青年将校の一団7-8名が、犬養毅首相官邸に押し入り、1人が首相に発砲、時は午後遅く、、、
300px-May_15_Incident.jpg
首相の長男犬養健は自動車で、たまたま来日していたチャップリンを連れて、大相撲夏場所を見物中、急な呼び出しでチャップリンを伴って、首相官邸に行くと、、、犬養首相は虫の息、、それでも長孫娘(当時12歳)・犬養道子さん著「花々と星々と」(中公文庫刊)によると、ピストルの弾は頭蓋骨内にとどまっていて、午後9時過ぎまでは、息があり、うわごととも遺言ともつかぬ事を時々口にしていたようだった、、とある。こうして日本は取り返しの付かぬ泥沼に入っていく、丁度入り口の年だったわけですね。

ついでにウイキペデイア、1933年、日本、で調べた、当時の日本をかいつまんで、コピーしておきましょう。
昭和8年の流行 
童謡: 音羽ゆりかご会
玩具・遊び: ヨーヨー、ヨーヨー(水風船)、ジグゾーパズル、コリントゲーム、バタバタ機、ベティブープ人形、ゴム縄跳び
流行歌 :東京音頭、サーカスの唄、山の人気者、十九の春、島の娘、皇太子様がお生まれになった、ハァ小唄
舞台・映画: 丹下佐善、鼠小僧次郎吉、十九の春、伊豆の踊子、滝の白糸
文化・社会: ロングスカート流行、ヨーヨーブーム、
言葉: 非常時、男装の麗人、ナンセンス、転向、ゴーストップ、一網打尽、ヅカガール
モノ・人:ヨーヨー、あんみつ、ブラジルコーヒー、わかもと
本・読み物 丹下佐膳、女の一生、にんじん
ラジオ :野鳥の声の初中継
この年の初登場 :ビスコ、トマトジュース、丹頂チック、トクホン
この年の物価:
豆腐1丁5銭、列車食堂50銭、汽車弁当30銭、富士山頂昼食60銭、富士山頂宿泊1円50銭、富士山頂記念写真1円20銭、うどん1玉2銭、ビスコ10銭、食パン1斤14銭、カルピス1円35銭、花王石鹸9銭、女給月給40円~50円、松坂屋女子店員日給90銭、家庭教師料1回80銭、松竹歌劇月給(スター以外)10円~20円、ヨーヨー10銭、ロート目薬30銭、わかもと1円60銭、電気アイロン2円40銭、圧力鍋15円~、花王石鹸9銭、花王シャンプー5銭、登山リュック2円~、登山ピッケル1円50銭~、宝塚少女歌劇入場料1円・2円・3円、ダットサン1350円、子供用自転車19円90銭、 ,,

又国民的出来事ではこの年の暮れ近く、昭和天皇ご一家にはプリンセスだけだったところへ、皇太子さまがお生まれになって、サイレンが鳴り響いた!、、、というおめでたがありました。
スポンサーサイト

テーマ : 模型・プラモデル・フィギュア製作日記 - ジャンル : 趣味・実用

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。