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ジェームス・ワットの蒸気機関とその後援者

戦前の文部省教育では、ワットの蒸気機関は、ワットが子供の時にやかんの蓋が、お湯の沸騰で持ち上がるのに気づいて、蒸気機関を発明した、、、という「偉人伝」だけでした。子供心にも、「ヤカンが当時あったっけカ?」とか、「炭坑夫分際の小せがれに、どうしてお金がいる蒸気機関の模型なんか作れるお金があったんだろう?」とか、、、頭が混乱する整理つけがたい話でした。又終戦後長じてからは、蒸汽で動くモノのハシリでは、ヘロンの公式で名高いギリシャ時代の数学者、ヘロンの「蒸汽で廻る球」heronnjoukimc.png
、、、や、もっと具体的にはそれこそ、炭坑の、水替え人足に代わる水汲みポンプ用に往復動機関ですが、ワットよりも1世紀近くも前に、ニューコメンの蒸汽機関が発明され、主に水汲みポンプなどに使われていたことが判りました。newcomenmc_20111214174648.jpg
ワットの親父さんは確かに炭坑夫の一種でしたが、坑内先山夫ではなく、地上で、坑内から坑夫や石炭をケージで巻き上げる、人力ウインチ巻きの人足だったようです。その職場を見て、子供心に、お父さんの苦労を思って、何とかならないモノかと、ワットは子供の時からお父さんに強い同情をしていたモノと思われます。
当時、はまだアルマイトのヤカンがあるはずはなく、落語の屁理屈の、湯沸かしじゃないが水差し風の水沸かしでお湯を沸かしていたはずで、ヤカンの軽い蓋のように簡単にカタカタと持ち上がっていたとも思われませン。
当時、18世紀初頭の、イギリスの徒弟時代の炭坑の特に、炭坑街や坑夫家族生活のあらましは、、、ハリウッドの西部劇の名監督:ジョン・フォードの異曲作「わが谷は緑なりき」によく描き出されていると思います。john Ford_AA300mc_
炭質の良い金回りの良い炭坑では、ケージ巻きウインチは馬二頭などで巻き上げていたようですが、、、零細炭坑では、人力で、巻き上げていたようです。余談ですが,映画「わが谷は、、、」も、落盤出水事故で、一家の大黒柱の爺さんも、生きながらにして坑内奧に閉じこめられ、孫と、会話は出来ましたが、、、犠牲となります。慎ましやかな生活が更に細っても家族は家族、「絆」は強く、、、そんなエンドマークです。
どうして戦前の文部省のような「ワットが蒸気機関を発明」と言うクロスモジュレーション(混変調)になったのでしょう。昭和1桁台の日本に、西洋、就中イギリスの近代産業史としてトインビーの「近代工業史」が持ち込まれて、一世を風靡した観があり、特に、その中で、動力産業史的な動力源としては、中世には水力、カスケード滝による大型水車による回転力を、工場機械の主軸動力とする鍛治鍛造金属加工、紡績織物、製材・製紙などの機械工業が、落差水力の豊富な山間部に発生・発達したいきさつがあり、これが、ワットが再発明に近い姿の蒸汽でニューコメンのシーソー往復動でなく直接回転力を引き出す、弾み車を廻すに便利な弁箱付きの蒸汽機関を作ったことによって、大型水車がなくても、工場一つを動かすような動力主軸を廻せるようになり、工場が山間部を離れてマンチェスターなどの平地に降りてきて、町の豊富な、労働力が利用できるようになって、一気に産業の大革命をもたらしたのだ、、、と報じられたことに拠って、ニューコメンらのことは吹飛んだ模様です。文部省は更に当時は、偉人伝を煽る必要もあったみたいで、子供向きには、ヤカンの蓋で単純化したようでした。このまさに子供だまし、、、をただすべく少年向きの雑誌「科学画報」昭和11年4月号と5月号に、発明興業館の河村直氏、今様で言うならば広報担当の方が「ワット小伝」上&下を書かれ、又、編集部の囲み記事で、「ワットを助けた人々」で、当時の子供心で私の疑問だった、お金は誰がどうしたの?にも同時に答えてくれていました。2001mc.jpg
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ワットの0弾み車を円滑に廻すための工夫が最初の10年間の課題で、單気筒で單ピストンの蒸汽シリンダーでは、フライホイールのデッドポイントが、模型では克服できても、大負荷になると越えられないことも多く、実際の機械の仕掛けでは、ワット自身よりも、ウイリアム・マードックの考案や発明が、必要だったようでしたが、ウイリアムは、みんなワットの発明だと主張したと伝えられています。スチーブンソンが、蒸汽機関車第一号を作っていますが、單シリンダーの非力なモノだったようで、後にウイリアム・マードックが、單桿2ピストン4弁式の弁箱(choke plunger chanber)付きのピストンシリンダーを考案し、これがその後の蒸汽機関車の複数動輪を直接動かす現在も使われる強力單軸往復動ピストンの原型で、マードックの発明のようです。このように、ワットの弾み車、マードックの弁の改良、弁箱式シリンダーの改良、と更に、蒸汽自体の効率アップに繋がった、コンデンサー(復水器)の採用で、蒸気機関が完成するまでには40年近い歳月が必要だったのですが、、、その40年間に、水車の山から工場がドンドン山を下りてきて、町の近くに新しい工場が出来、そのボイラーを炊くための石炭を運ぶトロッコや機関車用の鉄道も発達始め、石炭の需要も鰻登りで、炭坑も採炭量を飛躍的に上げねばならず、産業界全体が、激動していったわけです。
40年後には、もう最新式の蒸気機関も鉄道用のレールも、機関車も、新大陸からの注文が相次ぎ、その後10年で、アメリカの製鉄・製鋼業の方が、大きく発展、鉄道の敷設距離も圧倒的に多く、更に1849年のカリフォルニヤのゴールドラッシュがアメリカの産業革命を大きくヨイショして、、、アメリカの工業も完全独立、はご存じの通りです。
私の子供心の疑問、炭坑街のワットの発明に誰がお金を出して、蒸気機関作ることが出来たの?の方は、、ジョサイア・ウエッジウッドという言う、小さなごく普通の家庭陶器と少しの黒色陶器ぐらいを焼いていた会社が丁度折良く、世界で初めて明るい空色ライトブルーの色の焼き物を作って一躍時代の脚光を浴びて、ウハウハ儲かった、、、そのもうけを、無駄に冗費せず、産業工業社会の発展に再投資とばかりにワットの蒸気機関に惜しみなくつぎ込んだ、、、あれから2世紀、ウエッジウッド社もその後も、空色の上薬ナシのパステルカラーの色と補色の、紫ピンクのココア色の釉薬なし陶器も発明して、今日も尚世界中から愛される陶器会社をやっていますね。wedgwoodあらかるとmc
私が小学校に上学したのが昭和12年の春ですから、当然子供心の疑問の頃も小学校高学年でも戦前の文部省教育、、、現代の文科省の小学校教育で、ワットや、蒸気機関のことが出てくるかどうかは不勉強で、知りませんが、1985年から1991年までのフランス・ノルマンデイー勤務の間に見聞して知った、初級学校では、フランスの国旗の3色旗の意味の説明、すなわち赤は自由、白は平等、青は博愛、のこの博愛の項でジェームズ・ワットの蒸気機関の実用化に、社会全体の大進歩に貢献させるために、儲けたお金をみんなワットさんの蒸気機関の発明改良の研究にお使いなさいと、惜しみなく再投資したヒト(ヨシア・ウエッジウッドと言う陶器会社の社長さん)のお陰で、産業全体が大躍進して、その陶器会社もいい蒸気機関を採用できていろいろ仕事が便利になったし、社会全体のみんなの生活も、便利で豊かになったのです、博愛とは、一面、「情けは人のためならず!」でもあるのです、、、と教えるそうです。付け加えておきます。
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テーマ : 宇宙・科学・技術 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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