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白夜の頃の話し。

昼間の時間が一番長いのは夏至の日ですが、日の出が一番早いのは、この日ではありません。夏至に先立つ2週間ほど早い、6月の10日頃です。日の出が一番遅いのは冬至からはもっとずれて、1月の10日前後です。日没もま、こうして夏至過ぎるとしばらくは遅くまで明るいですが、次第に早くなって行きますから8月の終わりになると急速に毎日「秋の日はつるべ落とし」に早くなっていきます。こんなワケですから、北極圏の白夜は6月の初めから、7月の半ばまで続くわけです。
私が6年ほどフランスの北岸ノルマンデイーに住んでいたところは、北緯49度19分でしたから、日本付近に比較すると現在の日本領土にはなく、その昔の樺太(現サハリン、当時明治のヒトはサガレンと言った)の日露国境線が、北緯50度線でしたからその数キロ㍍南。樺太をサカナに見立てての背びれの後ろ付け根に当時港があり、日本名を敷香(現ロシヤ名シスカ)と言いましたが、此処から北に数十Kmですから、日本よりよほど北に住んだことになります。6月の初めは、3時頃にはもう空は晴れていれば東半分は、澄んだスミレ色に染まり、4時には明るくなります。これでも1時間サバを読んだ、サマータイム制でのことです。
byakuya.jpgこの写真もインターネットからの借用ですが、他になかなかこのスミレ色の空の感じが出ているモノが見あたりませんで、この空の色をも少し澄んだ透き通る色にした感じをご想像下さい。フランス勤務中の休暇に日本からの頼まれ仕事で、スエーデンに行ったことがありましたが、丁度6月で、午前0時頃から、2時半頃まで空は深いスミレ色に染まっただけで黒くならずに夜が明けてし舞いました。本物の白夜の経験はありません。インターネットで見つけたフィンランドにお住まいの方の ブログで真夜中の太陽ではないが、、、と言う白夜の写真を見つけました。多謝借用します。yotonyo1.jpg


私が尋常小学校1年の正月過ぎから春頃までの婦人月刊雑誌(当時は週刊誌はありません)を賑わわせた事件に、
この樺太の北緯50度の国境線を暮れから正月の夜が長い雪深い時期に、当時の売れっ子女優、岡田嘉子が、恋人の舞台演出家杉本良吉と(2人ともそれぞれ配偶者あり、不倫の)の「恋の逃避行」とやらで、橇に乗って、国境線を越えて、ロシヤの官憲にスパイとしてつかまったという、ショッキングな出来事がありました。敷香で12月27日失踪、,,,と。
okada3嘉子
終戦後すこしたってからと又20年ほどたって、この事件に関するソ連側の調書関係が出てきて、いろいろ詮索が行われますが、、、ぴったり結論はやはりグラスノーチ後の、スターリン批判が許されてからのことになり、、、
この二人の道行きは、未だ丁度スターリンが、「粛正」を秘めて大統領にのし上がったばかりの時期で、粛正予定ターゲットの一人、トロッキストで言論に影響力を持つ、舞台演出家の大物メイエルホリドを粛正するのに格好の二人が国境越えの蜜入国をして呉れたというわけ、で何が何でも拷問して、メイエルホリドを介して言論攪乱とスパイ行為しようとしたと強制誘導自白させたようです。二人は別々にハバロフスクに送られ又拷問、最後にモスクワに送られ、KGBの訊問と審判。杉本良吉は1938年10月に銃殺刑確定。翌年刑執行。岡田嘉子も10年の懲役刑で強制収容所送り。良吉は病死と伝えられただけという結末。当然この2人の自白により、メイエルホリドも捕縛され、スターリンは、目的を達し、1939年見せしめを宣伝して銃殺刑で粛正。そして、粛清の嵐が始まったのです。
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1970年、加藤登紀子が突然披露した、森繁久弥作詞作曲の「知床旅情」が、流行歌でもないのに大ブレークして国民歌同様の流行しましたが、この歌詞で、森繁が、「白夜(hakuya)」がそれまでの日本語だったのに「白夜(byakuya)」と読ませ、加藤登紀子もそう歌って、NHKまで迎合してこの歌を持ち上げました。現在「はくや」は消えて「byakuya]が正式読みに規定されているようです。言葉は文化、簡単に個人の恣意によって変えられるのは如何なモノか?KGBの強制正誘導ではないが、チョイと近く、かなしい曲学阿世の徒の行為のように思う。
その森繁久弥が、知床旅情が、廃れた後、うたったのが、大正5年の北原白秋(びゃくしゅうデはありません、はくしゅうです)作詞に中山晋平が曲を付けた大正6年流行の「さすらいの唄」をリバイバルさせた。
♪行こうかもどろか 北極光(オーロラを当時はこう書いた)の下を
露西亜は北国 はてしない
西は夕焼け 東は夜明け
鐘が鳴ります 中空に、、、
森繁久弥が当時、ラジオのデスクジョッキーにゲスト出演した折に、この唄の3番を知っていると言って、口ずさんだことがありました。
♪ 燃ゆる思いを 荒れ野にさらし
馬は氷の 上を踏む
ヒトは冷たく 我が身はいとし
街の酒場は 未だ遠し
岡田嘉子が、刑期を終えて、シベリヤの荒れ野に放り出されて後は、極寒のシベリヤの田舎町廻りの歌手と踊り子をしていたようです。北原白秋も、森繁久弥も、知らずしてその運命を唄い込んでいたのかも知れません。

別件ですが、5月末から、関東東北北海道では、午前4時過ぎから、外で新聞が読める明るさになります。江戸時代の日本お時間制度は、この明るさを明け六つ、暮れ六つとして、江戸城内から太鼓を打ち鳴らして知らせ、その間を6等分して、「いっとき」を決めていた季節に準じて変わる、時刻制度でした。お天道様の恩恵をよく知る庶民であったのです。高価な油灯しを節約する、、、モッタイナイスト達でもあったのでした。

現代庶民は如何なモンでしょう、戦後の占領されたアメリカの、ペーパーシビリゼイションに染まって、,使い捨て紙文明((文化ではありませんシビリゼイションは文明と呼びます!)日本人は面倒がりやでこの区別をないがしろにしています)にどっぷりつかって、、、その実その面倒くさがり屋が[丸出し」になって、折角、アメリカ占領軍GHQが、「勤勉な日本人のために」根付かせようとしたサマータイム、その名も読んで字の如く[Daylight-Saving-Time]であるべき時刻制度を、占領下、1949年の4月3日から、半年宛、3シ-ズンに渡って実施しました。1952年1月、日米行政協定に従って、政治の主権は、GHQから日本政府に委譲されましたが半年の協力体制下、このシーズンも、サマータイムは実施されました。DST_on_3_April_1949_in_Japan.jpg
だのにアメリカ占領制度の重しが退いたトタン「面倒くさいサマータイム」は止めようや!と自民党内閣が議決。以来一顧だにされません。現在の自民の谷垣総裁も、大前研一氏に拠れば、、、大蔵時代から「増税となにやら以外は」ナンにもセンター人物なのだそうで、ましてや面倒くさいサンマータイムなど出来るヒトではないそうです。
参考までに当時から今に至る世界の"daylight-Saving-Time"の分布世界地図をWikipediaから引用します。350px-DaylightSaving-World-Subdivisions.png
見ておわかりだと思いますが、ブルー色が、当時からずっと、サマータイムが定着している國、ライトブラウン地域が日本と同じように一時経験したsが、何らかの理由で現在は、サマータイムを実施していない國、、、赤褐色地域の國が、サマータイムを一度も経験したことがない國なのです。

お天道様が東の空高くなるまで明るくなってから未だ3時間も寝ているサラリーマン諸君、、大丈夫ですか?そのお天道様のしっぺで、3時間も4時間もサービス残業しなければならなくなっているんじゃないでしょうねえ?初夏から夏の夜明けはカラダも気分もすがすがしいモノですよ。
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テーマ : 海外生活 - ジャンル : 海外情報

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