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真空管回顧録 6:UY-76で作ったスーパーリゼ受信機

低周波増幅用のごく普通の中増幅率3極管、それもST管ですが、たまたまベースが緩んで、脚の半田が取れてぶらぶらしている錨マークのジャンク球があったので、20円でしたか払ってかってきていました。脚をみんな半田外して、ベースを外し、タマの中をしげしげ眺めると、当時の海軍用の大半のST管を作っていた理研真空管の特徴でプレートがブラックニッケル、ホイ、コレは勿体ない、どう使いましょうか?と言うことになった。
STかんのベークライトのベースを取り去ったのですから、ステムから脚に繋ぐ引出線直結配線が可能です。丁度いい、こんなタマが果たしてどのくらいの高周波まで使用可能か試してやれと、VHFのスーパーリゼ受信機を作ってみました。UY-76で作ったリゼ受信機
昭和27年、その夏、戦後JAコールサインが日本人局に返ってきた年の秋でした。ラジオ雑誌に依れば、解放された日本人局にも50Mc/sが有り、既に川崎のJA1AG黒川さんなど始め、JA1AN信濃町の元・華族原敬様の御屋敷のお坊ちゃんも、50Mcだけの免許と報ぜられていました。その後、市ヶ谷のJA1BD、大久保のあたりの山手線の外側JA1DIなど予備免許が報じられ、コレは先ず、50Mc/sを訊いてみようと、1.6ミリ径のエナメル線の自立コイルをカットアンドトライしようと、夜になるのを待ちかねて、2mほどの室内アンテナを張って、軽く結合させて、気長ウオッチ、待つほどもなく一番近いJA1BDの信号が這入り、カットアンドトライの必要なし、ホンの2-3夜の間に、SWLならぬVHF-L JA1-1024のレポートカードを手作りして、この3局に7円切手を貼って送りました。程なく、JA1BDとじJA1ANからは同日にQSLカードが来て、申し合わせたように、最近50Mc/sでリゼノイズがひどいと思ったらお宅でしたか!,,,とあり、このアームストロング教授の、簡単にして強力受信機回路が、惜しむらくは、受信時も再生重畳発振によるノイズを発振していることを知り、大きな勉強をしたことでした。3-4日遅れてJA1DIからカードと手紙が這入った封書が届き、、、カードにはあとの2局と同じ文面、リゼノイズはお宅でしたか、しかし、その熱心さは賞賛に値します、そこで、お教えしましょうと、高周波1段増幅を付けるだけで、リゼノイズのまき散らしは止まるはず、と、6AK5のG側とP側をしっかりアルミ板などでシールド区分しシルドケースを被せたリンクコイルでリンクダウンして軽くチョウサイセイにカップルさせる回路と、、、どうしてもコレが発振するかもだから、その心配のない回路、双三極管で、カソードも別々のタマ、たとえば6FQ7(たとえば6J6などはカソード共通で駄目よ!)で、発振防止のニュートロ中和を取らなくて済む回路「カスケード・カスコード」増幅回路を付図に書いておきましたから是非作ってみてご覧なさい。お金は掛かりますがそれだけの価値はある回路です。とありました。コピーマシンは全くない時代ですから、手書きの回路図です。 1リスナーのために、カードだけでなく、手紙と2枚の回路図同封のお返事を戴いて恐縮しましたが、貧乏書生の身、背に腹は代えられず、50メガの受信は諦めて、自立コイルを付け替えて、当時砧のNHK研究所から1Wで送信されていたTVの実験放送の音声受信に切り替えたにとどまりました。
と言うことは、ベークライトベースを取り去って、引き出し線直結にすれば、UY-76でも、100MHzを受信できると云うことの実証をしたことになりました。因みに受信地点は、小川町交差点から数十メートル北、未だ駿河台の木煉瓦を敷き詰めた坂を登る前の4階建てのビルに囲まれた下宿の部屋でした。
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