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旧正月の雑踏の中に駐留軍のジープ1台!、、、の話。

真夏に敗戦で総てを失って、、、その年の秋はどんなにして生き延びていたか、確たる記憶はありません。運が良かった兵隊さんが、あちこちで、復員しているとは聞いていましたが、現地から帰った人によって、戦友の死が直接家族に伝えられるという悲劇も伴いました。「岸壁の母」の悲劇はもう少し後の出来事でした。

もう空襲も戦争もない!と言う安堵感だけが、喰うモノや、燃料の配給もないナイナイづくしの乏しい生活の中でのその日暮らしの中の、心のわずかな支えでした。そのうちに、町中に、船底帽子の占領軍兵隊の220px-CaastroValleyMay2008parade-016.jpg
ジープを見かけるようになっていました。
我々小国民に、「鬼畜米英」と言うことを押しつけた大人達までが、、、このジープが通るたびに、「占領軍」とは呼ばずに、「進駐軍」と呼び、英語を知ってるぞとばかりに、「噛みや、チョコレートサービス!」などとわめいていました。
そんなこんなで年も明け、戦前の延長で、餅の配給もあるわけでなし、新暦の正月は、闇の小麦粉と、アミノ酸醤油のわずかな配給を使って、すいとんが雑煮の代わり!しかし、旧正月には「ララ物資」が届いたから、餅の配給をすると新聞が報じ,ぬか喜びをさせられました。お役人が折角の餅米を、大量に横流しして、うるち米と入れ替えてしまい、配給された切り餅にはご飯粒が半分以上干涸らびて入っている、餅とはいえないような、ぶつぶつセンベの様な、モノでした。どうやって食べたか良くは覚えていません。多少は腹の足しになったのは確かです。

そんな、歳の旧正月でしたから、初詣でもして少しはましな生活になりますようにと神頼みでもしようと、、、終戦後の初の初詣とばかりに、町は賑わいました。その人混みの中に、、、上の写真のような、船底帽の占領軍兵士運転のジープが乗り入れてきたんです。片言の「チョコレートサービス!」の声も出ず、人混みがわれました。「ライスが居て、何とかタイホスと言う病気が蔓延するので、これからここでDDTを散布する」と叫び、、、そこに一列に並べ!と言うのでした。ライスと言えば、お米のことと思うでしょう?、、、ところが、米兵が、ライスと言いながらジェスチュアしたのは自分の両の手を手首で交差させて、自分の首にあてがい左右の指を10本バタバタさせたのです。
日本人の一番不得意の発音違いのライス、つまりお米は「Rice」ですが[Lice」の方だったんです。お米は右Rの方で、左Lの方は「シラミ」のことでした。米兵がしたジェスチュアをこのシラミの写真からご想像ください。img4610b81759893.jpg
このシラミは、人間の血を吸う代わりにリケッチャという病原体を人間に供給して、発疹チブスと言う病気の媒介をするのでした。巷の人々の9割以上の人が、終戦前後からこのシラミにとりつかれていました。2-3mmの小さい虫、毎日数百個ほどの卵を産む、この卵はシャツの縫い目に食い込んで産み付けられるので、やっつけるには毎日一度は、シャツを脱いで、石の上に縫い目を当てて、石ころを握って縫い目をトントン叩いて卵を一粒一粒つぶすっきゃあないのでした。
米兵は、DDTを散布するから一列に並べというのでした。自転車の空気入れのような、水鉄砲式のモノに、白いメリケン粉のような粉を吸って、1人ずつ、首の付け根から胸の方へと次は背中にと、1人頭2噴射宛して、OK,Next!とやるわけです。200px-DDT_WWII_soldier.jpg
写真は米兵同士のモノですが、DDTの噴射は同じコトでした。正月明けには小学校にも行き、女の子は髪も真っ白に噴射されて、頭シラミも綺麗にいなくなったようでした。
このDDTは効果抜群で、一躍有名になりました。この化学薬品殺虫剤、私たちは、中学の2年で、化学のH先生から、すぐ構造式まで習いました。200px-DDT_svg.png
先生自身が勉強家で、何処で調べてきたのか、この化合物は1870年代にすでにドイツの学者が合成しているがほったらかしにしていた。1930年頃に、スイスの染料会社ガイギーの研究者が、殺虫の効果があると、発表していた。日本と米英が開戦して、ピレスロイド系の殺虫剤の日本や中国の除蟲菊の輸出が止まり、イギリス軍はイタリー戦線で、マラリヤの大流行で、、、米軍は、太平洋のジャングルで、マラリヤに苦労して、殺虫剤の調査で、このDDTに辿り着き、戦争の後半やっと大量生産が出来て、日本軍のペリリュウ島の玉砕後の、死体のハエの異常発生には何故か効かなかったが、それ以外では、著効を発揮し、イタリー戦線の英軍も、この恩恵に浴してやっとイタリーを降伏させたと、、、話してくれ、ついでに、この、di-Chloro-di-phenyl-tri-chloro-ethaneと言う一般的な、有機化合物の万国命名法(戦前発行の理化学事典の巻末付録にあった)を、助手のガリ版刷りで配って、3時間ほども掛けて、説明していただいて、化学に関係した私には終生役立つ、思いがけない、授業をしていただきました。DDTがシラミにぱしッ!と決まったように、我々の学年の生徒は、このために多くが化学それも亀の甲という有機化学を怖がらなくなりました。
この後、このガイギー社の何とか言う技師は、このDDTの薬効の発見で、ノーベル化学賞を受賞しています。DDT は殆どマラリヤを征服したかに見えた頃、弟はかりしか兄ハカランヤ、、、アメリカで、大変な事件が発表され!たのでした。bald-eagle.jpg
日本の国鳥は?そう、お札の絵にもあるようにキジ、、、ではアメリカの国鳥は?いえ、藁の中の七面鳥ではありません。そう、白頭ワシがそうなのです。ところが、シラミやマラリヤ退治が済んで、DDTが農薬として、田畑や、森林の害虫駆除に著効ありとて、30年使われ続けてみると、自然動物界の食物輪廻の頂点の、国鳥白頭ワシに、このDDTのツケが回っていて、その蓄積の副作用のカルシウム脱落異変によって、この鳥の卵の殻がうすくてもろいモノになっていて、抱卵すると卵が潰れてしまって、繁殖できなくなって、絶滅の危機に瀕しているという報告が上がったのです。追い打ちを掛けるように、発ガン性物質の疑いも掛けられ、1975年までのわずか数年の間に、世界中で、DDTの製造・販売及び輸入が、禁止されてしまいました。
しかし、自然の回復力というモノは、時とバワイに拠ることは当然ですが、ハマダラ蚊によるマラリヤの脅威は、その後又の30年で、後進国への脅威として復活してきて、マラリヤ復活地域にとっては、DDT はやはりなくてはならないモノになり、2007年に、WHOによって、使用法を限って、特定地域に使用許可されるようになりました。
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テーマ : 歴史雑学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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