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ついでにドイツのラジオと真空管の歴史

第一次大戦に敗れたドイツは、総てを失った上に巨大な賠償金を支払って、疲弊のどん底にあった。国民元気の取り戻しのためには唯一「世界に冠たる」技術力の健在を内外に発揮するよりなかったのだが。あった!電波!エーテルの振動に国境はない!萎縮もない!欧州は狭い、電波を出せば自国民は手が出せなくても外国が聞いてくれる!、、、そうだ放送だと、ラジオ放送の開始が急がれたのでした。2度目の敗戦で殆ど焦土と化したドイツ自国にはあまりこのときのモノが残っていないようです。欧州大戦終結後5年目の1923年にラジオ放送が開始されたようです。放送開始50周年の切手発行の初日カバーの切手シートから。ドイツの放送50周年001mc
4枚の左上の1枚の絵は、明らかなモデルをみつけました。前稿までご紹介したノスタルジーラジオ誌にありました写真の部分でした。ドイツの放送50周年002mc
ドイツの放送50周年002切手の絵の部分sc
特徴的な二つのバスケットコイルとビリケントップの寸胴管LOEWE社の特徴です。ガラスチューブに電極を作ってはめ込みそこのガラス封じて、ソケット用の足の着いたベークのベースを嵌め、頭のガラスチューブを搾って、真空に引き頭を焼き切ってピリケンにまとめ、ゲッターのマグネシウムを燃やして最後のガスを始末すると真空管が出来たわけ。それでチューブという名が付いた。3極管までは、ランプガラス球でも寸胴チューブでも電極保持にさしたる支障はなかった。ガラス球からの名前はvalveバルブ。
電池を電源としたほか、ドイツではこの頃から12V/24VのDCの局所配電が始まったところが多い。そうした地区にはすでに横置き電極の111などの空間格子4極管radioも現れたようです。空間電荷格子管?ラジオ009mc
ともかく回路的には、ストレート受信機で、3球・4球と増えるにつれて高周波段が3段までぐらいに(3-V-1)増えている。その例の写真がありました。3_V_3 ストレートラジオ010
前稿で、1931年にスーパーへテロ受信機が現れたという記事をみつけましたが、ラジオの写真はなく、周波数混合管に使ったと思われる複合管をみつけました。ド複合管のハシリ005sc
ドイツの電極職人芸の極致のような作品です。急速に治具や機械化が行われ、全くの手作業から金型を使う型打ち作業になっていったようです。詳しい話は省略されていますが、真空管のコレクターの方のコレクション棚の写真が出ています。ドイツの放送50周年tubes003mc
第二次世界大戦あとまでのモノも含まれています。ドイツ製の真空管で見慣れないモノとしては、アメリカ系のタマでは決してみられない、炭素粉や金属粉を低ソーダ・無機質水ガラスで塗料化した制電塗料で、管球の外側をシールドを兼ねた制電塗装をしているモノが結構あることです。例として、日本やアメリカの6C6などは、灰色の二次電子減殺用の制電塗装が管球の内面に塗装されていますが、同じクラスのタマがドイツではこんな塗装になっています。ドイツ式制電シールド塗装管008
この本の締めに、真空管とラジオの暦年進化の様子を簡潔にイラスト入りの年表にして示してありましたので、横長でしたので、2分して2段抜きで、掲げておきます。
ドイツの放送50周年tubes history004_1mc
ドイツの放送50周年tubes history004_3mc
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テーマ : 歴史雑学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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