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相撲放送が始まった頃のラジオ3

相撲の中継放送がおっとり中継で始まったのは、親父の記憶に依れば、昭和5年の5月夏場所からではなかったか、と言うこと。(1930年)このとき相撲放送が聴けた人というのはそれ以前に作ったラジオ又は作られて、買ってきたラジオだったと言うこと。親父は鉱石ラジオを作って、竹竿で屋根より高いロングワイヤーアンテナを立てて聴いていたようです。この時代の背景は、大正の3-4年頃に欧州の雲行きが怪しくなって1914-1918年の第一次世界大戦が終結、ドイツは世界中に賠償金を支払わされて(日本にマルクが支払われたのは1929年に完了!10年かかっています)完全疲弊し、日本は大正12年の関東大震災で疲弊から7年、ドイツの賠償金で漸くやや救われたところだったのです。1年ほど前のこのブログで、一次大戦でのドイツ巡洋艦インド洋の通称破壊をしまくった一匹狼、エムデン号が当時イギリス領、現在オーストラリア領のココスキーリングで、座礁したためにお陀仏になって鉄屑になった、、、と書いて、写真を貼ろうとした行くえ不明の鉄屑の写真が、やっと壊れたパソコンの中からサルベージして出てきましたので、掲げましょう。
300px-SMS_Emden_wreck mc
1914年開戦当時のドイツ同盟国赤と連合国青との地図を掲げます。日本では欧州大戦と呼ばれましたが欧州でも中立宣言した國黄は多いのです。Europe1914-jpmc.jpg
このドイツの軽巡エムデンは、ココスキーリングに何しにいって鉄屑になったか?思い出してください。そう、当時の通信の世界中の拠点の一つ、海底電線による通信電報を、通信鉄塔を建てて、インド洋の船舶と無線でつなぐ重要な通信システムの拠点を破壊しにいったのでしたね。海底電線は、只の絶縁電線をつなぐだけでは、1秒間に地球を7回り半する電気信号といえども、大洋を横断するほどの距離の電線の上では、トンツウの信号波形でさえ崩れてしまって、受ける側で解読不明だったのです。これを改良したのが、日本の技術者、松前重義氏の裝荷ケーブルという発明でした。欧州大戦の直前に世界中の7つの大洋の海底電線が、この新機軸の裝荷電纜によって再敷設されたのでした。
大相撲の中継には、トンツウでなく、可聴周波で中継線を両国国技館から愛宕山のJOAKまで引く必要がありました。このケーブルも松前研究室のお世話になり、減衰も甚だしいので、途中確か築地の辺に中継増幅器が置かれたようでした。只信号波形は当時のカーボンマイクの声がまァまァそのままと思える程度に伝えられた程度だったと言うことのようです。
ドイツのノスタルジーラジオ写真集には、1927年にドイツのラジオ技術誌に、一次大戦前にアメリカで発表され始めた、有名なLC同調回路の考案研究者アームストロング教授の考案のラジオの受信回路のいろいろが紹介されて、その一つに、むしろ第二次大戦後に人口に膾炙した、スーパーへテロダイン回路も紹介され、1929年には3極管を使ったこの4つの回路で構成されるコの原理的回路受信機が試作され、原理的には正しいことが確かめられたのだそうです。但し、三極管単球では性能的には大いに不足で、1931年になって、2つの増幅回路、つまり、周波数変換前の高周波増幅は2段、中間周波に至っては4段の増幅部を組み込んでから検波段以降につないで、スピーカーを鳴らす受信機が作られたようです。写真集編集現在この受信機は残っていないようですがブロックダイヤグラムだけが示されています。SuperHet fig 1002mc
SuperHet fig 3 rf2 if2003
コの、局部発信周波数の高周波を、放送受信波に混合してビート周波数を取り出す原理は、すでに1915年頃カナダの発明家レジナルド・フェッセンデンによって予言されていましたが、何せまだドフォーレの三極管発明の数年後の職人手製の三極管の時代。発信周波数が安定せず、、、誰も安定したヘテロダインは実現できなかったようです。
コロンビア大学卒の無給研究員時代に、LCの組み合わせで、周波数がLC並列構成のタンク回路に閉じこめられるのではないか?とひらめいた男があり、徹夜の研究の結果、ついに「同調」「共振」つまり周波数をタンクに閉じこめられる事を発見確認。(このBlogですでに半年ほど前に書いています)これをラジオの回路に応用することに専念、同調検波回路の効率追求、検波真空管の負荷側に漏れる高周波を、電源負荷前にチョーク(塞輪)を置いて、同調コイルに差し戻すことによって、regenerativeさせられることを発見、再生検波回路として1914年特許取得するやLC同調共振回路の原理とともに公表、世間の自家製作放送受信家に資したわけでした。同様米国陸軍の通信部隊にも無料使用させたのです。一躍電気工学会及び電気通信学会の推薦により、コロンビヤ大学の電気工学の教授になり研究室も与えられて更なるラジオ回路の考究に没頭したEdwin H.Armstrong教授です。上述のフェッセンデンのへテロダイン原理も、局発周波数を、放送波よりも取り出す中間周波数分だけ高い周波数を混合することの方がより安定なふらつきの少ない中間周波数が取り出せることを発見したので、この回路に「スーパー」の名を冠して「super heterodyne」という名前になったのでした。1917年に当時戦場であった欧州に米国陸軍通信中隊の大佐待遇で技術総帥としてパリに招聘されています。その在パリ中の1918年に、Super heterodyneは特許されましたが米軍の通信部隊及び自家制作者には特許を及ぼさない、ラジオを作って販売する業者には特許使用料を請求する、と宣言しています。帰国後に1922年、パリで思いついた超再生検波回路の特許、更にその超再生で充分に受信できる放送形式として研究し約10年後1933年に現在も商業放送に使われている、WideFM放送の特許を取得しています。ラジオ回路界のエジソン並みですね。精密旋盤工に、思い通りの2連バリコンを試作させたり、学者と言うよりは結構エンジニヤーだったようです。肖像画を掲げます。220px-EdwinHowardArmstrong.jpg
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テーマ : 歴史雑学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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