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相撲放送が始まった頃のラジオ

双葉山の69連勝でストップがかかったのが私が確か、尋常小学2年生お正月過ぎ、爺さん婆さんがまだ元気にラジオの朝顔ラッパに齧り付いて相撲放送を聞いていて、、、子供は寄りつけなかった頃。
この双葉山が敗れたときの実況中継は、、、神宮の森、鴉二三羽、、、で早慶戦を有名にしたことで名高い、故松内則三アナウンサー。当時のウチにあった朝顔ラッパの3球式の鉱石検波器レフレックスラジオの絵は1年ほど前のこのブログに紹介しています。
相撲放送が始まったのは、親父の覚えでは、兄の生まれた1930年の5月の夏場所からだったようだといっていました。双葉山時代、一方の大部屋の親方出羽海、現役時代のしこ名常ノ花の時代だったと記憶しているといっていました。昭和6年に大阪天保山事件で、大阪相撲20数名の脱退があり、一時相撲本場所自体が、行われず、日本相撲オープン大会、アマも元プロもプロも参加していい、自由参加の相撲トーナメント大会が東京で行われて、大正15年に髪がツルはげて、髷が結えなくなって全盛期ながらやむなく引退した栃木山の春日野親方が、6年ぶりに参加、アマチュア横綱を初め並み居る現役プロも次々破って、、、この実力オープントーナメント相撲を制して、世間をあっと言わせたのでした。
今日古い雑誌を整理していたら、2005年のドイツのFunkと言う雑誌に丁度、60年ぶりに当時のラジオの復刻版がドイツで発売されたという記事がありました。radiomann001mc.jpg
写真には小さいながらも2連バリコンやミニチュア管が載っていて、、、明らかに今様、似而非・復刻版ですね。60数年前、雑誌に紹介されていたというオリジナルのこのラジオの図を掲げてありました。radiomann002mc.jpg
このナス球(3極管)二本を、双三極ミニチュア管 12AU7 1本にまとめてあるというわけです。このナス球の後ろに隠れて当時の一枚羽根のバリコンが書かれていますね。発明は一気にではなく、工作技術の進歩で、複数羽根のバリコンに進化したのです。屏風のようなのは、9本腕のスパイダーコイルですね。本の表紙のように開閉してアンテナコイルと同調コイルの結合を強くも弱くも出来る仕掛けです。強くすれば感度は上がるが選択度は落ちて分離が悪くなり混信が起こるかもしれないからです。耳宛型のレシーバー(当時はそういいました)が着いていますね。円筒のコーヒ缶のようなモノの上に4個のターミナルが出ているのは低周波トランスでしょう。当時も1:3の昇圧比でした。
この元・栃木山/春日野が日本オープン選手権相撲を制した頃、、、日本では、方鉛鉱をエボナイトの筒の両端に金属蓋をねじ込んで、バネ鋼のコイルスプリングで固定して、鋼と硫化鉛のピンポイント接触点接半導体検波器が古河鉱業(山一印)によって商品化され(商標FOXTON)、、、鉱石検波ラジオが普及します。これは便利だ、と世界中で特許が真似されて、、、コヒーラーなど粉体接触検波器まで姿を消し、、、これがあるなら電池直流検波でなく交流でフィラメントをバランサーでハムを消して、増幅だけ真空管で、検波だけはこの鉱石検波で済ませば交流式のラジオも可能となるのですが、まだ交流配電は町方だけでこれから電柱が立って、、、電線が町の外に伸びていく配電普及途上の時代。電線は張られても定時配電と言って昼間は電気が来ない、、、そんな時代に育ちました。双葉山が連勝を始めた昭和11年頃から相撲実況放送が聴ける時間から配電がある様になりましたし、相撲の打ち出し時間が午後の7時前後と遅くまでやっていたようでした。このドイツの雑誌に、、当時のラジオをトランジスタ、フェライトバーアンテナ式で復刻版作ると?の一例の図が比較で出ていますので参考に掲げます。
radiomann003mc.jpg
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テーマ : 歴史雑学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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