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幻の6m巨大鏡ゼレンチュクスカヤ天文台経緯儀

1960年頃というとソ連邦は共産主義華やかなりし頃、「隣の芝生は青い!」とか「となりの花は赤い!」とか喩えられるやっかみのたぐいで、当時のソ連には、プルコボ天文台という19世紀の半ば、ロマノフ王朝時代の伝統はあるが64cmから74cm口径の旧式の屈折望遠鏡等を装備した天文台があるだけで、プルコボ天文台003mc
ジャイアンチズムのアメリカの、ウイルソン山に次いでパロマー山に設置された、5m大反射鏡の科学の扉を開ける威力が次々報じられ続けるに及んで、フルシチョフら共産党幹部の顔色が変わり、、、ついに「パロマーの5m反射鏡に、口径で負けない望遠鏡を持つ2000m以上の高山天文台を作れ」と厳命が下ったのです。プルコボ天文台の天文学者達は天文学の学者で天文と光学の知識の固まりですが、望遠鏡を作ったことはない、物づくりではいわば素人です。此処プルコボ天文台で、6m口径の反射鏡の基本設計に加え、焦点距離25-6mの先に、分光装置や写真装置を光軸に直接つないだり切ったり出来る装置を作り付けるようにと言う注文で、、、大型機械メーカーに発注され、6m口径の主鏡は、レニングラードに国立光学工場を設立、此処が製作研磨据え付けをを担当することになった。話が始まったのは1960年頃とされる。10年何度も6mの何百トンの主鏡を鋳込に挑戦してもんでも、冷える途中で、罅が入り、割れてしまう。ついに、時計のように周りを12分割して12枚の3mのくさび形の鏡を磨いて、12枚を時計の盤面のように並べて、並べて放物面に総合仕上げ磨きにすることに設計変更された。ゼレンチュクスカヤ天文台001mc
1972年頃らしい。こうして12枚の分割鏡は何とか出来たようです。これを、ジグに並べて、6mの鏡として精密放物面に磨ければ、、、大成功だったはずですが、12面の部分鏡が、一枚一枚作られたために、ガラスの脈理や、成分の均一性がそれぞれ違っていて、同じ研磨機で静密に並べて研磨しても部分的に、細かい凹凸が出来て磨けば磨くほど反射画像がゆがむという、、、何度もゆがみの激しい1/12枚を作り直したが、ついに2.5m鏡ほどの分解能も出ない代物で、アルミメッキされて、1976年に納品された。27m先に又何トンもある分光器と写真装置を取り付けられて、向ける角度で自重ひずみで、光軸がずれるので、保持櫓筒は、補強溶接が繰り返され、ますます重くなってしまったそうだ。主鏡6mとその保持台を入れての総重量は最後に840トンにもなっていたと云うから、恐ろしい。
結局、このコーカサスの巨人経緯儀望遠鏡BTMは、2070mの山の上に58mのドーム付き塔として一旦は威容を誇ったが、共産党幹部の「口径だけはパロマー山に負けるな!」のその言葉通り、口径だけは負けなかったのですが、望遠鏡の役目を果たすいとまなく解体され、改めて2012年をめどに再建計画があるようですがその後のニュースはないようです。ゼレンチュクスカヤ天文台002
嘗て、ソ連は、ロケットにも、人工衛星にも、一本モノには強いという所がありましたが、、、このコーカサスの巨人望遠鏡ではさんざんでした。日本のことわざに、「船頭多くして船山に登る」というのがありますし、エンジニヤリングに通じない特に学者が、設計に関与すると、使えないモノが作られてしまうことがあるという一つの例でしょう。(参考文献:巨大望遠鏡の時代/野本陽代/岩波書店/2001年)
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テーマ : 歴史雑学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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