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関東大震災の正体、関東地震とは?

毎年9月1日は防災の日。1923年9月1日の正午数分前、突然関東全体が揺れ動き、「柔らかい土地の上の」家がほとんど壊れ、「お昼ご飯の準備中」の時間だったがために、あちこちで出火、手がつけられず、大火災となり火の手に逃げ道を塞がれた東京の下町では、川や池に逃げ込んだ人まで含めて17万人の人が焼け死んだ、大災害になってしまったのですが、、、、地震の正体はあまり語り伝えられず、あたかも東京だけが揺れたような錯覚のみが伝えられています。地震直後の出火は、潰れた家の人は、まず動けず、初期消火は期待できないのです。これは神戸・淡路の震災でも長田区の大火災の教訓でも明らかです。江戸中期の「天地正大の気、,,」の有名な藤田東湖まで、圧死した奧江戸湾直下型の初期震動であっという間に7-8千戸が潰れ、2万人余が一瞬で下敷きになって圧死した地震では、神戸よりも早い時間で、火の気がなかったために火事が発生していません。これくらい、地震の発生時間で、ウン不運が伴うのが怖いのです。
インターネットで、!関東大震災写真集をアップしておられる「名無しサン」(註:指方さんのサイト;と言うらしい)の写真集は2008年5月のフランスの新聞ル・モンド紙の「未公開広島の写真」誤報事件で一躍有名になりましたが、、、この中に、地震後約1時間後の新宿西、淀橋貯水場近くから見た最初の黒煙、と約2時間半後の千住から見た都心方向の猛煙,の2枚の煙の上がり方の写真があります。まさに神戸長田区と同じ、はじめの1時間以内に、水が掛けられ続ければ!?を思わせられます。新宿西 千住から見た黒煙mc
ではこの地震自体の震源地は?意外に知られていない、この現実、、、駿河湾トラフ?伊豆?いえいえ相模湾トラフでした
結論から先にお見せします。証拠ですが、インターネットからではなく、岩波書店刊、岩波・科学の本のうち8のこの背表紙の本のsugimurasinbookmc.png
第5章「関東地震」からです。第5章の扉写真のように江ノ電らしい電車ですが、関東南部の方が土地の隆起が激しく、結構ひどい揺れだったはずです。
震源地と、断層の動きの推定図ですが、この1ページをご覧ください007mc_20100901065530.jpg
現代の地殻構造学のプレートテクトロニクスたら云うので云えば、フィリピンプレートの端が、ひねくれて丹沢山塊の根本を巻き込んで、北アメリカプレートの下に斜めに潜り込んで、江ノ島の南から房総を持ち上げたということのようです。
この本には、実際の、東京市街区における家屋倒壊状況を、鎮火後、帝大の地質学教室と地震研が、小学校児童の、紙面記入によるアンケート調査で、おおよその地震直後焼ける前の家屋はどうだったか、を含めて、の家屋倒壊率調査で、下図のような分布を得、東京市街区域の家屋倒壊率分布図013mc
東京地区に特異な有楽町層と言う、自然沈下しやすい軟らかい地盤のところで、30%まで行かない25%前後という結果を結論しています。全く火事さへ出なければ!17万人の火炎地獄はなかったのです。
これは、断層の動きを推定した計算による、隆起沈下の試算推定ですが、、、では実際の隆起沈下の様子と三角点の水平方向の地面の動き量の実地測定は?まず、丹沢山塊だけが1mたらず沈下して、あとは房総半島の南部中心に隆起したと云うことのよう。図をご参照ください。隆起沈降の図おrg010mc
さらに三角点の地震後測量での水平方向移動量分布の図です。
三角点の水平方向の移動量分布011mc
地震の揺れやら地割れ、を伝える、丹那隧道入り口の土石流事故のや小石川大曲の地割れの写真を伝えておきます。丹那隧道入り口の土石流012mc
典型的地割れ 小石川 大曲004sc
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テーマ : 歴史雑学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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