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戦前の5mバンドが何故戦後6mに緩んだか?ご存じでしょうか?

nationalHROの原型の広告5m001
電波の発射やその受信が未だ未踏分野だった頃は、みなアマチュアで、みな法の保護は受けていない所謂「アンダーカバー」俗に言うアンカバだったわけですよね。それが、41m 波長辺で、北米の小父さんが、大西洋を越えてフランスの青年と、空中の電波だけで交信するに及んで、俄に各国政府が、銘々に法律を作って、この公的財産を、自国のお宝とせんものと、縄張りを用意し始め、、、もし官許やライセンスでも、その使える波長域を、どんどん限って軍事的や商業的用途に使うように、研究や、アマチュア用を細いバンドと称する波長域に細切れにして、高調波が出ても自分たちのバンド内になるようにその波長関係が倍数になるように割り当てて絞っていったのです。40mを中心に、80m-160mhへと、、、20m-10mへと行き、もう1931年の国際会議では、その上は、5mと決めたわけです。もう直ぐその翌年には、プラグイン式の5m迄の市販受信機が米国ではnational社によって発売されています。これはコイル箱ごと刺し込む形式の受信機のシリーズになって、有名なHROシリーズとなったハシリの受信機の広告です。(Radio News 誌(米)Aug.1932 JA8BFYのご厚意による)はっきり5mですね。
更にこれは、科学画報5月号表紙002sc
日本版誠文堂新光社発行の「科学画報」豪華客船クイーンメアリー号の就航処女航海を報ずる昭和11年五月号(SKされたJA2TYM遺贈による)の科学ニュース記事に写真入りで、米国の若い男女が胸から下げて、交信しているのが5mの短波送信機と受信機と掲載されています。科学画報5月号1936の記事は5m003
まあ、この時代は、アマチュア無線は、日本では私設無線電信電話実験局としてしか許可されなかったいわば日陰者だったから、雑誌記者も5mが何のことか判って書いているとは思われませんが。この時代5mは短波ではなく日本でも既に超短波の言葉があり、米国の普通の雑誌には、「Ultra Short Wave]の表現が使われていました。

日本でも昭和15年頃になって、移動用筐体に納めた5mの送信機受信機を作って、銀座川の借用モーターボートの上で、報国無線隊が、移動実験して、水上距離600mくらいの交信したことが、JARLのニュース紙に報じられているそうです。

それが、戦後は、5mで無く僅か1mだけだが波長が長くなった6mと言う倍数関係でないバンドにシフトされました。どんな理由だったのか?アマチュアは、毛嫌いされて、押しやられデもしたのでしょうか?いえいえ、むしろアマチュアのためを思って、国際電気通信会議で、勧告があり、それに従ったようです。

このブログの前稿、真空管回顧録9に書きましたが、普通の真空管の、脚のベースのベークライト樹脂は、だいたい高周波的には、18MHz~20MHz位までで、絶縁低下が急に起こります。それで12-3m 以下の超短波に近いところからは、戦時中から、ステアタイトを絶縁に使った部品とともに真空管のベースにも、このステアタイトを使っていたわけです。
戦争は発明の母とも呼ばれ、敵味方知恵を絞って、新機軸の発明考案に躍起となります。第二次大戦も例外でなく、特にドイツの研究内容は、V-1号やV-2号などだけでなく、化学の面でも素晴らしい研究が山のようになされていたのでした。米国は特殊部隊にいち早く敗戦ドイツの研究の要所を押さえさせて、これらの膨大な研究レポートを洗いざらい、米国に持ち帰ってしまって、PBレポートと名付けて、役に立ちそうなモノから英語翻訳して成果を盗んだのでした。私は化学屋でしたから、大学のゼミで、嫌になるほど、この英語訳やドイツ語のママの、PBレポートを翻訳させられたモノでした。有機物の合成の分野では日本でもあまり知られていなかった、高圧下でのアセチレン合成による物すごい数の高分子を含む有機物の合成が、Dr.Reppeによって報告されていて、毎夜うなされたモノです。米国は研究強盗は否定し、広く世界に公開して共有資産に資したと言っていますが、どうでしょうか。但し、ステアタイトに関する限りはその通りで、ドイツのPBレポートのお陰で、その究極の高周波絶縁は52メガまでで、5mのアマチュアバンド(56-60Mc/s)には及ばないことが実証されていて、、、このため、5mバンドをVHF帯を代表する波長帯として広くアマチュアに資するためには40/20/10/5mの倍数比にこだわらず、6mバンド(maxが54メガでステアタイトの限界周波数を上下に挟む!)にシフトすべきであるとの提案がなされていたわけでした。このお陰で、今日、6146などのステアタイとベースの真空管やステアタイト絶縁のバリコンででも6mバンドにはQRV出来るのです。6146B S2001

戦前の10m以下のアマチュアバンドが5m(56Mc/s-60MJc/s)であったという記述は、検索しても私のパピーニュウス2001Aug12の記述のほかには、横浜旧軍用無線機博物館の掲示板にラジコン模型飛行機に使われたという記述があるだけで、、、。あの戦前のえらいお方ボーイスカウトの日本最高代表の三島通隆氏が、ブザーバイブレーター変調ノイズ電波で受信機は低圧サイラトロンを入り切りして、エスケープメントをコントロールしていたという荒っぽい話。三島通隆氏が、戦前の私設無線電信電話実験局の当該電波の免許無しで、この周波数5mバンドを使っていたのでしょうか?JARL側には全くその記述は無さそうです。 

さてあなたは明日とは言わず今日から、真空管の何処に眼をやりますか?
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テーマ : 歴史雑学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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