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東京都内23区への集約は、マッカーサーが,,,

よく、東京都になったのは戦後だ!と誤解されるかたがおられますが、、、東京都の発足は、昭和17年10月1日。但し、当時は、まだ区の数は35区のまま、市の数は東京市が消えて、八王子市と立川市の2市35区3郡でした。
このまま、「敗戦」、しかし世の中では、当時までの軍国日本のオピニオンリーダーだった徳富蘇峰翁が提唱した「終戦」が常用されるようになりました。そして、コーンパイプを咥えて色メガネをかけたマッカーサー元帥麾下の米軍が占領、武装解除にやった来ると、徳富蘇峰翁は又造語して(占領軍)ではなく「進駐軍」と。
宮城とお堀を挟んで対峙する、朝日生命ビルに居を構えたGHQで、マッカーサーは、宮城前広場に集まる人々の行動をつぶさに見るに及んで、日本へ乗り込んでくる前に、日本学者らから聞かされた「日本で天皇制を廃止するなら余程のうまい口実を作らないと大変なことになル」と聞かされたことがまさに現実、、、と天皇制手直しは後回しにせざるを得なくなり、更に、日本に向かう前には、日本の復興にはまず、鉄道路線の復旧と鉄道車両の投入、このためには、LST老朽船舶にアメリカの中古レールと、中古鉄道車両を積んで、送ればいいと、考えていたらしいが、部下に計ったところ一笑に付された。日本の鉄道を見て納得。こびと国の鉄道で狭軌。鉄橋もトンネルも狭くて低い。大は小を兼ねない典型。アメリカ中古鉄道が全く活用できないと即断、日本の鉄鋼業の特急復興を指令している。
これに似たようなことをマッカーサーは見つけた。東京の中央部分から下町の焼け野が原十数区が、細かい区に別れているのに人口が、どうも、殆ど激減している。復興計画立てさせるにしても区毎に問題点の大小アンバランスが起こりそう。為政者のスパン・オブ・コントロールのアンバランスもひどすぎそう。ということで、35区はとうてい多すぎると、結論、早急に区の数を半減させるべく検討開始。そうなんです。戦災で焼けただけではないんです。もうその前から、昭和19年の夏休みあたりから、学童の集団疎開が取りざたされ、私学の学童から、まとまれば、地方の受け入れ地区に疎開することが始められ、昭和20年に入ってからは、集団疎開以外にも、都市部の個人的に疎開先のある学童生徒は、地方の学校に転入できることになって、多くの人口移動が行われました。又、空襲が始まると、多くの機能役所機関、が人間とも地方に疎開するようになりその建物が木造だと、間引き破壊されて火除け空き地に作られました。鉄道施設付近の木造家屋も、「強制疎開」で、火除け空き地化されていたのです。そこえ、空爆による焼け野原、、、でしたから、人口は激減したのでした。

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テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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