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[映画に学ぶ]3:永恒的技師「パッテンライ!」

石川県に古い北国新聞社がその創刊115周年の記念事業として放ったこのアニメ映画は、日本ではあまり知られていません。新宿を皮切りに3年前の秋から、日本全国10数カ所で、公開されたのですが!omote_master1タイトルmc
全世界の地勢が一見してわかる世界地図を開いてみてください。陸地は北半球に偏っています。がしかし、その陸地の中で、23.5°N の北回帰線のあたりを横に見てみると「ナーンデカ」、、、砂漠地帯が非常に多く分布し、陸地の効用を大きく妨げ、人間の食糧事情に何度も危機を感じさせる歴史がありました。北回帰線をまたいで、南シナ海に位置する台湾という島がありますが、このスペイン人が再発見し「緑したたる島」"Formossa"と名付けようとした島でも例外ではありませんでした。北回帰線のすぐ南に乾燥台地があってそこから海までの西側には日照りに苦しむ旱魃田が続いていたのでした。19世紀の終わり頃日清戦役という大陸の戦で清国の私兵軍団が日本に敗れて、その講和条約で、その代表・李鴻章があっさり日本に、この台湾を割譲してしまったのでした。「あっさり」の理由の一つは、1/3ほどの地域に、未開の蛮族10数族が分布居住していたことと、さらに、この沃野であるべきはずの、夏のお日様が真上に来る地帯に水が足りない島であることもわかっていたらしいのでした。
日本に割譲される10年ほど前にも、清国の依頼に応じて、日本は、北白川宮という皇族将軍率いる軍隊を送り込んで、蛮族連合の蜂起の鎮圧に資した実績もあったのでした。

日本統治になっても蛮族の反乱は収まらず、はじめの十年は、軍政に傾いたのですが、以降は後藤新平以下の文政文教政策に転じ教育の徹底による懐柔政策でかなりの成功を見ていますが、蛮族反乱は食糧事情に起因し一般も旱魃飢饉のおそれありとして治山治水の工事が急がれることになったのでした。この担当として、帝大土木工学卒の若い技師が派遣され、はじめの数年で、桃園地区の旱魃田地帯にクリークを巡らして成功して名を揚げ、引き続き、この大難関嘉南台地にさまたげられる広大な干ばつ地域の水対策工事を任されたのでした。彼はその発想と、滅私奉公の精神とその若さで十数年、自らの官職を捨てて台湾人と日本人の協力を引き出し、この一大難工事に成功、、、この烏山頭水庫またの名を珊瑚譚(さんずいヘンです)と呼ばれるようになるダムを造ったばかりかその水を田畑に細かく振り分ける水路を張り巡らし、その限られた水の最大有効配分の3年サイクルのソフトウエアまで編み出して懇切指導、ついにこの砂漠化しつつあった嘉南旱田地帯を台湾最大の穀倉地帯に変えたのです。
私も4年半の台湾在勤中にこの話に感銘を受けて、或る一日勤務地南投から車ころがして嘉義から西海岸の勇壮な海祭りで名高い北港までこの嘉南大釧(かねへんを土偏にします)地区の沃野連なるたんぼ道を延々と往復走ったことがありました。この道の並木には、日本の松ボックリの松とは違う、韓国料理や台湾料理に欠かせない松の実がなっている単子葉松の並木が多く、これも、嘉南大釧構築のころに植栽されたモノであり、その実はまた人々の役に立っているのだと、この地の人々は八田技師夫妻を讃えていました。
嘉南ditch mc註:この地図は90°回って上が東ですのでご注意ください。

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テーマ : 台湾 - ジャンル : 海外情報

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